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「お疲れ様です、海老原先輩」
「……あ、加瀬くん」
不意に声をかけられたのは、新崎さんへの報告を終えた直後。腑に落ちない彼女の対応に、なんとなく不快感を抱えながら休憩室に向かっているときのことだった。
休憩室の扉の前、温厚そうな笑顔を浮かべてそこに立っていたのは、今月から新しくアルバイトとして入ってきた加瀬遥斗くんだった。
加瀬くんは、同じ大学に通う二年生。担当の先生のもとで研究を開始する、いわゆる各ゼミへの所属が始まるのは三年次からだが、それにもかかわらず頻繁にうちの研究室に姿を見せる真面目な学生だ。
私が所属するゼミの先生をよく訪ねてくるため、私自身も何度か研究室内で挨拶を交わしたことがあった。
……まさか、この子と同じ職場で働くことになるとは。初めて彼が出勤してきたとき、そう思ったことを覚えている。意外と言ったら失礼かもしれないが、こういった華やかな場所での接客アルバイトを選ぶような子には、加瀬くんはとても見えなかったのだ。
「どうかしたんですか? 顔色が悪いみたいですけど」
「あ……ううん、なんでもないよ。昨日遅くまで研究室に残ってたから疲れてるのかも。加瀬くんは大丈夫? ここのバイトって結構ハードでしょう、もう慣れた?」
「僕は大丈夫です、結構楽しんでやれてますし。……休憩、終わりですね。先輩はこれからチャペルですか?」
「そっか、三十分休憩だもんね。うん、これからチャペルに行って着替えるよ」
「なら一緒に行きませんか? 僕、今日はチャペルの待合室係なんです」
加瀬くんが最後に口にした話題に、少々面食らってしまった。
チャペルの参列者用控え室は、チャペルへ向かう通路の途中に併設されているオープンスペースだ。開式までの待ち時間を、参列者が気楽に過ごせるよう用意されている。私たちはそのスペースのことを、分かりやすく〝チャペルの待合室〟と呼ぶことが多かった。
基本的には女性、主にパート従業員を中心に配置されるため、今日は加瀬くんがそこの担当だと聞いて驚いてしまった。
もしかしたら、今日はお休みのパートさんが多いのかもしれない。そう思いつつも、バイトを初めてまだ一ヶ月も経っていない加瀬くんが、そのようなイレギュラーな業務を任されていることに純粋な尊敬を覚えた。
勤め始めて最初の一ヶ月、ホール内での料飲サービスのことだけで手一杯だった私は、その時期に特別な仕事を任されたことなど一切ない。
「そうなんだ。そうだね、もう時間だし行こっか」
「はい」
微笑んだ加瀬くんと一緒に、私は従業員用の階段を下り、一階に向かったのだった。
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