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「遅いよ、海老原さ……」
咎めるように話しかけてきた新崎さんは、私の顔を見るなり血相を変えた。
「ちょっと大丈夫? 海老原さん、顔真っ青だよ?」
パントリーには新崎さんの姿しか見えない。今日は式場全体で披露宴が一件しかないからか、昨日みたいな煩雑さはなく、パントリーは至って静かだ。
焦りがちな彼女も、今日は比較的落ち着いているらしい。時計を見ると、時刻はすでに勤務開始の九時を十分ほど過ぎている。
新崎さんは、バンケットでは最も歴の長い女性社員だと聞いている。元々はサービスから裏方までなんでもバリバリこなしていたところ、二年前に腰痛を悪化させてしまい、それ以降は事務の仕事を中心に任されているそうだ。ここ二年ほどは、週末のみ現場の裏方業務を担っているとのことだった。
長年、現場でスタッフと信頼関係を築いてきた彼女が、いつもと明らかに違う私の様子に気づかないわけはなかった。
「あ……はい。遅れてすみません、連絡も入れないままで」
「っ、具合悪いの? 休まなくて大丈夫?」
「大丈夫です。その、遅刻してしまって……申し訳ありません」
深々と頭を下げた私に、新崎さんは眉根を寄せる。
そして、「いいよ、オマケしてあげる」と少しだけ口角を上げた。
「昨日は帰り、相当遅くなっちゃったもんね。けどホントにめちゃくちゃ顔色悪いよ? 具合が悪くなったらすぐ言ってね、今日は人員にも余裕があるから」
「はい、ありがとうございます」
口角を上げて笑ったつもりが、どうやら失敗に終わったらしかった。
今日、海老原さんには別の仕事を任せるね。目を見開いた新崎さんはわずかに首を傾げつつそう口にし、困ったように微笑んだのだった。
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