カフェオーレも飲みたい

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カフェオーレも飲みたい

「ダァリンっすごぉい…いっぱい出てる」 「––––––」 「ぁあんっ溢れちゃうっ溢れちゃうよぉ!」 「––––––」 なぜこうなった……俺は、明日から授業をしなければならないリリアナに英語を教えていただけのはず…… 「ダァリンっだめぇ……これ以上はぁ…」 虚ろな目にボヤける視界。リリアナの面倒な声が遠く響いてくる––––––。 遡る事一時間前。 「ねぇ、ダァリン。ここが……わからないのだけどぉ」 実にあざとい上目遣いを聖に向け、英語の参考書を艶めかしく指でなぞるリリアナ。 「嘘だな」 静かに目を瞑り、リリアナの言葉を聞き流しながらカウンターで珈琲を啜る。 「ほ、本当だよ?だから、隣に来て……いっぱいお姉さんに、教えて欲しいな……」 妖艶な吐息を漏らしながら唇に指を添えねだるように聖を甘く火照った表情で見つめ。 「お前、参考書の内容…全部覚えたろ?」 「ぇ……いやぁ、わかんないなぁ…全然頭に入らなくて、難しいよねぇ」 実際ほんの数時間リリアナに教えてわかった事……こいつは間違いなく優秀、いや…天才の域にいる。 基礎から一般会話レベルの参考書を、恐ろしい程の集中力で読破し…まるでパズルのピースを当てはめていくかの様に言語を取得していった。今まで英語が出来なかったのではなく、本当に興味が無かった…ただそれだけだ。 その情報処理能力は目を剥く以外無い。正直俺は僅かな解釈の違いを擦り合わせただけで、何も教えてなどいない。最初からそんな必要すらなかったのだろうと思う。 「まぁ、その分だと授業するのに差し支えはないな……」 「ぇえー、私ダァリン以外に教えるなんて嫌ァ、ダァリンは私が誰かに……取られても、いいの?」 妙に熱っぽい視線で琥珀色の双眸を細め聖を見遣る。 「教師だろ?寧ろ授業中はそうしてくれ…頼むから」 肩を竦めながらため息交じりに応える聖。それを受けたリリアナは僅かに嘆息した様子で。 「もう、ダァリンの意地悪っ……少しは、心配してくれたって……」 ぼやくように口先を尖らせ独り言ちる。その様子を聖は横目に見ながら少し照れた面持ちで。 「……リリアナが本当に誰かの所にいくとは……思っていない……信頼…している」 「……ぁ、うん…私も…考えてない…あり得ない……ぁりがとぅ」 いきなりの真面目な返答にリリアナは思わず顔を赤らめる。沈黙が二人の間に割って入り微妙な空気をその場に立ち込めさせ。 「……なんか、ごめんね?私、ひじり君の前だと舞い上がりすぎちゃって……ブレーキが効かないというか」 「……らしくないな、リリアナは……そのままでいい…急にしおらしくなられると反応に困る…」 「ひじり君……ぅん、ありがとぅ」 気まずさとは違った意味で、二人の会話は何処かぎこちなく互いに意識し合って空回りしているようで。 沈黙に耐えかねて、その口を開いたのは聖だった。 「ひと段落したし…そろそろ飯でも食うか?」 「…ぅん、そうだね…ぁ!私、ひじり君にご飯作ってあげようと思ってたのに……」 膝を抱え落ち込むリリアナを慰めるように、俯く頭に軽く手を置き。 「今日は色々合ったからな、簡単だが俺が作るよ。食べられない物はあるか?」 「ダァリン……ぅう、ダァリンの手料理を食べれるなんて……お肉がいいです!お肉以外は嫌です」 潤んだ瞳で聖を見つめたかと思うと、子供の様な表情で肉を食わせろと要求するリリアナ。 「まぁ…わかっちゃいたが……まさか野菜全然食わないのか?」 「ダァリン……草は食べてもお腹いっぱいにならないよ?」 「ぁあ……さっき頭いいかもと思ったやつ、取り消すわ…」 呆れた表情を隠す事なく、リリアナを遠い目で見つめる。 「ぁあ、ダァリンがバカにしてるっ、お姉さんの魅力を今日こそ教えてあげるんだから」 頬を膨らませ、何やら思案する様に考えこみ料理を始めようとしている聖に歩み寄る。 「ダァリンっ、何か手伝う?」 「ん?ここは大丈夫だから座って待っててくれ」 「そっか……じゃぁ飲み物準備するね?冷蔵庫開けてもいいかな?」 「……じゃぁ頼む、ミネラルウォーターか炭酸水しかないけどいいか?」 リリアナのまともな態度に訝しむ表情を向けながらも––––––。 「きゃぁっ」 「何やってんだ……」 「手が滑って水が…シャツ…濡れちゃった…」 どう手が滑ったら未開封ペットボトルの中身を全身に被るのか…… そこには白いシャツを水で濡らし、僅かに透けた下着を露わにしたリリアナが––––––。 なんだ……この感覚は…リリアナを直視できない…何か内側から熱い物が込み上げてくる様な… 「ダァリン…どうしよう?濡れちゃった…」 追い討ちをかける様に腰をくねらせながら半透明になったシャツ姿で聖に迫るリリアナ。 「わざとだろ……早く着替えてこい」 目のやり場に困る姿のリリアナを直視出来ずに視線を逸らしながら投げやりに言い放った。 「着替え…ないから、ダァリンの服…借りてもいいかな……」 「いや、部屋にあるだろ…戻れよ」 「ダァリンっ?!こんな夜遅くに女の子を一人で帰すの?」 「家出て二秒で到着だろ?!」 胡乱な眼差しをリリアナに向けるも、一歩も引かずに地団駄を踏み。 「やだぁ、ダァリンとまだ離れたくないっ一人ぼっちの部屋に戻りたくなぁいぃ」 「わかったっ、何でもいいから早く着替えてくれないか?!」 とにかく視線のやり場に困っていた聖は目頭を抑えながら、呆れ半分で着替えを促す。 「にひっ、はぁーい」 水を得た魚の様に、勝ち誇った笑みを浮かべたリリアナはいそいそと聖の寝室へその姿を消して。 「ったく……何なんだ、この…今まで感じた事ない……感覚…熱でもあるのか…俺」 全身に気怠さを感じながら大きく溜息をつき、再び料理に意識を向け慣れた手つきで下拵えを済まして行く。 一通り処理をした所で未だ戻らないリリアナに嫌な予感を感じ––––––。 「ダァリンっお待たせっ」 突如目の前に現れたのは…白銀の長い髪を垂らし、その頭には人外の耳…ピンと立った狼の耳が生えて。 「お、お前その格好っ」 「ふふっあの日ダァリンが私を受け入れてくれた時から…密かに練習していたのだょ」 徐々に目線を落とすと顕になるその様相。 大きめの白シャツを一枚だけ羽織りボタンはお腹の一点のみ、大胆に露出した胸元からは下着から零れ落ちそうな双丘が自己主張をするかの如く揺れ。腰の下から生えた美しい白銀の尾がシャツの裾をたくし上げる様に大きく左右に振られ、透き通る白い脚線美からふっくらとした太腿…その先は。 「––––––ぶふっ?!」 聖は鮮血を吹きながら崩れ落ちた。 「だ、ダァりん?!ちょっ、大丈夫?!ダァリン!」 「––––––」 黒崎聖はその特殊な生い立ち故に不要な感情を削ぎ落とし生きてきた。 大凡世間一般の高校三年生が通るであろう過程を一切経ていない聖にとって女性の身体など未知であり。 その教養は保健体育の授業で得る知識程度。勿論成人向けの雑誌など目にした事は皆無であり––––––。 部分獣化したリリアナに白シャツ一枚と言う破壊力抜群の姿は、聖の許容量を軽く超え。 「ダァリンっ、鼻血っ!鼻血すごい出てるっ溢れちゃうよぉっ?!」 限界を超えた未知の感情は男性の本能に従い、最もベタな反応として鼻からの流血と相成った。 「ダァリン、可愛すぎっ!もう大好きぃっ!」 白く柔らかな玉肌、弾力のある豊満な胸に顔面を包み込まれ。 「––––––ぶっ?!」 当然未知の体験である。聖はこの日、自身が思いもしなかった弱点を知る事になり、女体…怖いという歪んだ思想を植え付けられた。 「ふふっ、ダァリンったら……あなたに会えて、ホントに良かった…」 意識を手放した聖を愛しそうに抱き、髪を描きながらそっと額に口付けをする。 「もう少し…もう少しだけ…私のわがままに付き合ってね…あと、ほんの少しだから…」 「––––––」 慈しむ様に思い人を抱きかかえたまま、優しく夜は更けていった。 頭を撫でられる優しい感触を夢現つに覚えている……暖かい膝の上、柔らかな手の感触が髪をすく。 心安らぐ香りに包まれながら…陽の光にも似た暖かい笑顔…甘く幸せな時間…… 『ひじり…あなたは平穏に、たくさんの愛に包まれて生きて欲しい…あなたも…どうかたくさん愛し––––––』 眩い光が周囲を照らし女性の姿を覆う様に包み––––––。 「……母さん」 目を覚ますと、窓の隙間から朝日が差し込み聖の顔を照らす。 「久しぶりに見たな……母さんの夢……」 そしてふと頭元の暖かい感触に違和感を覚え。 「膝枕……?」 目線を上げると聖を膝に寝かせたまま壁にもたれかかる様に幸せそうな寝顔を浮かべるリリアナの姿。 「とんでもない醜態を晒してしまった……飯も食わずに朝まで俺のこと……」 ゆっくりと起き上がり、リリアナを静かに横たえ抱きかかえる。 「だぁりん……」 寝ぼけたリリアナが自然と聖の首に手を回し。 「––––––?!」 大きく開かれた胸元が至近距離で顕になるが、寸前で視線を逸らす。 「……危ない、今後女性とはよりいっそ距離を取らないとな……」 多分に間違った方向へこじれていく聖であった。リビングのソファーにリリアナを寝かし付けその寝顔を視界に入れる。 「……なんだ、こいつ…こんなに可愛かったか…」 無垢に寝息を立てる子供の様な寝顔に聖は引き込まれる様に顔を近づけ。 「何で…こうしたくなるんだ……胸が熱い……口をつけ合うなんて…意味もない、細菌が感染するリスクがあるだけの……無意味な……」 吸い寄せられる様にリリアナの柔らかく潤んだ唇へと向かって行く、それは抗えない…本能の様で。 僅かに互いの唇が触れ合う瞬間。 「––––––?!」 バシッっとリリアナの目が見開き、驚異的な身体能力でバク転をしつつ後方へ距離を取り––––––。 「ダァリン?今…ちゅーしようとしてた?」 寝ぼけ眼を擦りながらリリアナがムクッと起き上がる。 「な、なんのことだ……俺はずっとここにいたっ、そんな危険な行為…するわけがない」 「にひぃっ、絶対しようとしたよねぇ、無防備なお姉さんの唇奪おうとしたよねぇ?」 「ちがっ、そんなんじゃない」 「お姉さんはいつでもウェルカムだょ?ちゅぅー」 唇を押し付けてくるリリアナを遮り、顔をそらしながら、しかし僅かに表情を赤らめ。 「可愛いと思った…」 「?!」 ボヤくように、ただ掛け値の無い本音を零した聖を点になった目でまじまじと見つめるリリアナは。 「か、かわいい…ダァリンが…か、かわ」 茹で上がったように顔を赤く染めぎこちなく聖の言葉を反復。それを見て聖も不器用に頬を描きながら。 「朝まで、膝枕…ありがとうな、身体も、血とか…色々汚して悪かった」 「ひじり君……ふふっ、なんか別人みたいっ」 クスクスと微笑むリリアナを見て。 「そうだよな、自分でも不思議だ…おかしいか?」 目を閉じてリリアナは噛みしめるように静かに頭を横に振り。 「おかしくない。もっと好きになっちゃいそうで……怖いくらいっ」 満面の笑みを浮かべ聖を見つめるリリアナ。 その琥珀色の双眸は憂いを帯びているようにも見えて。 彼女の瞳に見えた陰りに俺はこの時気付いてやる事が出来なかった。無邪気にしかし必至に笑い掛けるリリアナの心はこの時どれだけ痛んでいたのだろうか。 「腹減ったろ?作っておくから、その…俺がつけた血とか流してきたらどうだ?」 「ん?これ?流さないよ?ずっとこのままがいい」 小首を傾げ平然と言い放つリリアナ。聖も何処か壊れたような様相で。 「流しなさい、今すぐに洗い流しなさい」 「ぇえ、ヤダょ、私についた血は私のだもん」 「なんだ、そのガキ大将理論は、変なものに執着するんじゃありません!」 徐々にキャラ設定が崩壊して行く聖。ただそんな『普通』のやり取りが妙に心地よく感じ。 「ぷぷっ、ダァリン変なのっ…一緒に入っちゃう?」 上目遣いで試す様に聖を見つめ。 「そうだな、俺がつけてしまったからな」 聖も照れを隠す様に頬を描きながら俯く。 「ぇっダァリン…本当に…」 予想外の反応に顔を赤らめ口元を両手で覆う。 「…だが断る」 一瞬とても彫りが深くなった様で…気のせいだ。 「ぇっと……誰?」 戸惑うリリアナは点になった目でポカンと惚けて。 「ふふっあははははは」 リリアナは心の底から笑っていた。 いつぶりだろう…こんなにも心が軽くなったのは。 彼女は目尻に涙を浮かべ心底可笑しそうに、そして幸せそうに笑っていた。 そんな彼女をみて。 「クフフ」 思わず笑みが溢れ。 「ダァリンが笑ってるっ?!しかも凄く悪い顔…魔王みたい」 リリアナの表情が一瞬にして驚愕に染まる。 聖は作り笑い以外の笑顔を忘れていた。でも今この瞬間は本当に笑えた気がして。 「魔王ってお前な……」 「くぷぷっ、ゴメンねっ、でもっフフフ」 「笑いすぎだ」 とても穏やかな時間に思えた、こんな時間がいつまでも続けばいいと…満更でもない自分がいて。 同時にリリアナの存在が自分の中で大きくなっていく怖さを感じていた。
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