{11}僕と警察官と夜を黒く塗りつぶすカラス

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{11}僕と警察官と夜を黒く塗りつぶすカラス

「私は裸のままパトカーに乗せられたのよ」とマイは怒っていた。 「警察署の中も裸で歩かされたわ」 彼女は黒いガウンのようなものを警察官に着せてもらっていたので「裸のまま」は間違いだ、「黒いガウンの下は裸だった」というのが正解だ。 彼女にとってそれは恥ずかしいことで腹ただしいことであったのだろう。僕は黙って彼女の話を聞いた。 警察から連絡を受け母親が彼女を迎えにきたらしい。マイの母親は警察からある程度の説明を受けていて着替えを持参していたという。職場から直接駆けつけたものだから、道すがらに寄ったブランドショップで買った派手なドレスのようなワンピースだったらしい。 「ママはふざけてたのよ、あんな派手な服を持ってきて」とマイはママに対しても怒っていた。「しかも服だけよ、下着はなし。おかげで裸で街中を歩かされることになったわ」 僕の方はといえばそれはそれは世にも恐ろしい取り調べだった。 そもそも僕は犯罪者でもなければ容疑者でもなかった。僕からすればたまたま彼女が真っ裸の時に警察官が訪ねて来ただけのことだった。ほんとに失礼な来客だ。彼女が悲鳴をあげたことだって裸を見られたことによるショックと恥ずかしさからのもので、僕が猥褻行為をしようとしたからではない。 警察官が彼女の悲鳴を聞いたとしても、引き続きドアの外から声を掛けてくれていれば、僕は、「大丈夫です。少し待ってください」と返事をして彼女を洗面所に戻してから玄関のドアを開けたはずだった。 そうさせてくれれば何の問題もなかった。そうさせてくれれば幼気な少女の裸を警察官二人に見せなくて済んだのだ。 でも実際には僕の知らないところで警察官は目的を持って僕の家に訪れていた。 近所の人らしき匿名の通報があり、「最近空き家に中年の男と十代の少女が頻繁に出入りしている」という証言を基にあの大雨の中を警察官は僕の家に訪れたのだった。 僕はついこの間まで「圧倒的な喪失感」という友人とマンションの一室に閉じこもってきた。その友人の他には誰とも接触せず人に会うことを避けて過ごしてきた。 この一軒家に引っ越してきてからはそこまで状態は酷くはなくて徐々に良くなっていることを実感していた。だがまだ近所に、引っ越してきたことの挨拶回りを平然と出来るまでには至ってはいなかった。 近所の人に不審に思われても仕方がない。それに関しては僕に落ち度がある。ほぼ100パーセント僕の所為なのだ。 警察官は少女の悲鳴を聞いていきなりの突入となった。そこに裸のマイが居たことで彼らにとって僕は現行犯だった。僕は容疑者として犯罪の嫌疑をかけられてしまったのだった。 僕はおもった。求められた任意同行には応じず、拒否することも出来たのだからそうした方が良かったのではなかったかと。しかし、あまりにも急にいろんなことが目の前で起き、気が動転していたというのが正直なところだ。 あの日は大雨だった。かなり大きな台風が接近していた。僕は雨に濡れた13歳の少女の裸を目の当たりに、警察官二人が自宅に突入してくるシーンに当事者として出くわすことになった。 自分自身、疚しいことはなかったがあまりにも状況が悪すぎた。最近出会ったよく知りもしない少女(谷田だか谷川だか、僕は彼女の名字すら知らない)と毎日のように会っていたという事実が、嫌疑をかけられたとしても仕方がないと納得せざるを得なったことが(任意同行を)拒否しなかった理由でもあった。警察官の姿を見た瞬間に僕は取り調べられることを覚悟していたのだ。それは好むと好まざるに関わらず。 僕は取調室で警察官に、特に未成年の女子に対する事件の容疑者としてありとあらゆる疑いをかけられ、聞きたくもないことを聞かされ、訊かれたくないことの答えを求められた。それは容赦なく威圧的だった。とても黙秘権の行使など出来る状況ではなかった。 最初のうちは冷静を装い何とか上手いこと説明できないものかと試みたものの、如何せん相手が聞き入れようとしてくれなかった。僕は次第に目の前にいる警察官に腹が立ち、頭がかっとなり冷静さを失い、思考回路は見事にぐちゃぐちゃになってしまった。僕は法律に触れるようなことはしていないと言っているのに、相手は法律に触れるようなことを何故したのだと訊いてくるのだ。会話は成立せず、まともな話ができるわけがなかった。 僕の取り調べは思いのほか長時間になり、警察署を出たときには夕方が終わろうとしていて沢山のカラスの群れが空を黒く塗り潰している最中だった。 僕は警察官に散々嫌なことを聞かされ、言いたくもない嫌なことを言わされた。未成年の女子に対する事件性についての話なら事の成り行きで仕方のないことだが、それ以外にも現在無職であることやその理由。どうやって生活をしているのかなどの質問から、過去の仕事についての事。自分の会社を手離した理由などを事細かに嫌らしく訊いてきた。それらの答えが事件に繋がっているとでも言いたげに、僕を犯罪者に仕立てようと設問しているように感じた。僕がそれらの設問を嫌がっていることには気づいているはずだった。精神的に参ってしまい気分が悪くなり「勘弁してください」と何度もお願いをしたのだ。しかし警察官らはやめなかった。嫌がっているからこそそこを攻めるように設問を繰り返した。膝を痛めたプロレスラーのその膝を悪役プロレスラーが容赦なく蹴りつけるように。僕は狭い取調室で痛みに耐えながら声にならない悲鳴をあげた。 灰色の空間。目に映るすべてが灰色に見えた。灰色の雲が重なり合いその灰色の濃度が増す。取調室にはそんな灰色の雲がたばこの煙のように充満し僕はそれを嫌煙していたが、視覚的にはただの薄汚れた灰色だった。 この空間には真実など何一つないのだ。 ここに連れてこられた者はこの灰色の無機質なテーブルの前で、肘掛けのある灰色の事務椅子に座らされて、その肘掛けに肘をつくように嘘をつく。真実を語らない灰色の人間だ。それを聞く警察官にしても(職業的技法のひとつとして)真実を語りはしない。灰色の人間による嘘と嘘が交差する会話。この空間は、この灰色の空間は、そんな嘘が染み付いて薄汚れていた。 真実を語りはしない警察官がぎょろりとした眼球を嫌らしく不規則に動かしながら顔を近づけてきた。汚らしく濁った白目を向けて「差し支えなければお聞きしますが」と、言葉とは裏腹に強制的に圧力をかけてきた。自白を迫っているように。顔面は大きく鼻は図々しく口は嫌味を言うためだけにそこにあるような、恐ろしくも虫酸の走る顔だった。 ふと誰かが誰かを呼ぶ声がして我に返った。若い女性の声に若い男性が返事をした。街を行く人の歩きながらの会話だった。 僕は警察署を出たすぐ前の歩道で立ち尽くし、たった今まで行われていた警察官とのやり取りを回想していたのだ。回想なんてしたくもないはずなのに。 それは白昼夢のようだった。こんなところにいてまたあの警察官が「一つ聞き忘れていました、差し支えなければお答えください」とやってきたら僕は理性を保つことはできないだろう。あの警察官に全力で殴りかかり殺してやろうとさえおもうかもしれない。それほどに僕は腹を立て苛立っていた。頭は混乱し正常な判断ができる状態ではなかった。すでに限界だった。これ以上の何かが起きたとしたら我慢することはできない状態だった。 僕は警察官を殴るだろう。僕は警察官を殴り倒し馬乗りになってさらに顔面を殴り続けるだろう。 警察官は殴られながらも薄ら笑いを浮かべ、「差し支えなければお聞きしたいだけです」と言っている。僕は躊躇なく殴り続ける。その両拳は血に染まっている。警察官の鼻血や唇が切れ出血したものが僕の両手にべっとりと付着している。殴り続けるうちに何度か警察官の前歯に当たり僕の拳も裂傷した。痛みがあり血が噴き出していた。僕の拳の傷口に警察官の嫌らしく汚らしい血が侵入してくる。「差し支えなければでいいんですが」と傷口から警察官の血が侵入しようとしてくる。恐ろしくも虫酸の走るその顔は、わざと殴らせるように挑発しているように笑う。 「もう勘弁してくれ」 僕は警察官の腰に付けたホルダーから拳銃を抜き取り、馬乗り状態のまま警察官の左胸に直に銃口をあて迷うことなく引き金を引いた。 激しい銃声が鳴り響き血が噴き飛んだ。通りを歩く人々が悲鳴をあげた。警察官の左胸から破裂した配水管から水が噴き出すように血飛沫があがる。だがその血は大方の予想に反して黒色だった。その黒い血は、恐ろしくも虫酸の走る顔をした警察官の身体の内側に留めておかねばならないものだった。僕が仕出かした事だ。僕が一人で受け止めなければならない。通りを行き交う人々にそれを見せてはならないのだ。 真っ黒な返り血を顔に浴びた僕は警察官に馬乗りになったまま頭上を見上げた。 はるか上空、まだカラスの大群が空を黒く塗り潰している最中だった。 夜が来れば、真っ暗な夜が来れば、何もかも隠せてしまえるのにとおもった。カラスは先回りして僕のリクエストに応えてくれてるようだ。カアカアと大勢で鳴きながら。 真っ黒なカラスは折り重なるように黒い闇を形成している。ほんの少しでも隙間があると闇として成立しない。一羽一羽の連携プレーが必要だったが、どうもカラスらの一連の動きはまとまっていなかった。チームプレイがなっていない。その為なかなか夜がやって来なかった。警察官の左胸から噴き出る黒い血を他の人にこれ以上見せるわけにはいかない。何事もなかったかのように、一刻も早く夜の闇に隠さなければならない。リクエストに応えてくれていたカラスたちの厚意に悪びれながら、「僕の方が君らよりも手際よく黒く塗り潰すことができるよ」と僕は独りごちて、噴き出る警察官の真っ黒な血であたり周辺を黒く塗り潰した。 なんてことはない。すぐに夜はやってきた。
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