{2}僕の手と飴玉をくれる少女

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{2}僕の手と飴玉をくれる少女

 つかむとか、つかめないとか。  手にするとか、手にすることができないとか。  僕はずっと考えていた。  そのことではなく、その周囲にあることを、だ。  僕は拘泥していたのかもしれない。でもそれに自分で気づき改善することはできなかった。何ら難しいことではないようにおもわれるだろうけど。僕にはそれが困難だった。逃れることすらできずとらわれるしかなかったのだ。いつもオニに一番最初に捕まる鬼ごっこしかやってこなかったみたいに。僕には上手く逃れることができなかった。  僕は手のひらを眺める。その手を宙に伸ばす。そして握る。そこにある何かをつかむように。  生命力は感じられない。売れない俳優がやる自己アピールのためのアドリブのようだ。その俳優が売れない理由が理解できる。安っぽい芝居。現実と乖離した芝居。取るに足らない演技。求められていない演技。  少女が現れる。左の頬がぷっくりと膨らんでる。少女はその膨らみを左から右の頬に移す。今度は右の頬がぷっくりと膨らむ。甘い、あまい口のなか。ほんのり果実の香料がかおる。少女の手に紅いセロファンに包まれた飴玉が握られている。あげる、と言って少女は握りしめていた手のひらをひらいて僕に飴玉を見せた。  少女が差し出してくれた飴玉ひとつ。僕の手のひらから転がり落ちる飴玉ひとつ。  少女は身をかがめて素早く飴玉をひろい、僕の顔を見てなんでもないことのように笑った。天真爛漫な微笑み。純朴な優しさ。やわらかな頬が緩む。白い小さな歯はその少女が笑っていることを証明し、同時に生きていることを証明していた。  少女は飴玉をもう一度僕の手のひらにのせる。手のひらからまた飴玉が転がり落ちる。  あっ、と言って少女はもう一度、身をかがめて飴玉をひろう。飴玉を手に、試すように僕の目をのぞきこむ。ほんの少しだけ笑って、ほんの少しだけ白い歯を見せた。  少女は飴玉をもう一度僕の手のひらにのせた。手のひらからまた飴玉が転がり落ちる。  もうっ、と少女は怒ってる。なんで握らないの、と言っているのだ。少女はまた落ちた飴玉をひろい僕の顔を見た。失望する黒い瞳。もう小さな歯を見せてはくれなかった。頬はやわらかさを失い小さな唇が力を込めてかたく閉じられていた。少女はかなしい顔をした。  つかむとか、つかめないとか。手にするとか、手にすることができないとか。  人はその手に何かをつかもうとするけれど。たとえそれを手にすることができなくても。その手につかもうとするんだ。  僕の手は何もつかもうとしていない。何も手にしようとしない。役立たずの手。空の手だ。  少女をかなしませるくらいなら飴玉を受けとらなければよかったんだ。「ありがとう」とだけ言って、少女に微笑み返しその場を立ち去ればよかったんだ。相手を気遣いその場から優しく逃げるように消える。逃れることのできる唯一の(と言ってもいい)手段。オニ役から解放される手段。  それは両手のない逃亡者。両方の手がない逃亡者は追っ手から逃れるために走っている。両手はパーカーのポケットに突っ込んでいる。  不恰好な走り方だ。  通りを歩く人になるべく顔を見られないようにしたい。できれば誰にも見られたくはないがそれは不可能だ。  両方の手が、手首から先がないことを隠さなくてはならない。  何かの罰を受けたみたいに切り落とされた両の手首。その切り口は切り落とされたばかりのように赤い。だが血は流れていない。血は流れることを忘れたようにそこに留まっている。血は一瞬にして固まり、その上からニスを塗られ仕上げられたように、てかてかと安っぽく光っている。それは黙って見過ごすには痛痛しく、手を差し伸べるほどには他人の興味を引かない。まるで道端に落ちているアルミ玉のように見られている。そんな不特定多数の目的を持たない群衆の視線を浴び、やがて群衆が揶揄する心良くない言葉を浴び続ける。  顔は俯き背中を丸めポケットに両手を突っ込んで不恰好に走る逃亡者。それが僕だった。あの頃からくらべると随分ましにはなったとおもうが、根本的なところで僕はまだそんなだった。何も出来ず惨めで、何を得ることもできない。そんな自分をどこまでも蔑んでいた。  だからこの家に引っ越してきたこと、そして彼女と出会ったことは僕にとって救いのようにおもえた。この先もまだ長く続いてほしいと願った。  それは神様がくれた処方箋のようだった。調子のいいことを言うやつだという自覚はある。普段は神様に願ったり、神様がどうだとか言いやしないのに可笑しなもんだけど、それは神様からの贈り物のようにおもえたんだ。先方から贈り物を頂けるような覚えは僕にはないのだけれど、有り難く受け取ることにした。そして…。  また今度。もしも彼女が飴玉を差し出してくれることがあったなら、僕はしっかりと受け取ろうとおもってた。その手に何かをつかむことの表明みたいに、僕はつよく握りしめようとおもっていた。
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