{5}成瀬ミチル naruse.michiru

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{5}成瀬ミチル naruse.michiru

「ミチル」は学生の頃からのあだ名だった。 誰もがそう呼んだわけではなかったがほんとに親しくしていた友人のほんの何人かがそう呼んでいた。 それに僕は「道雄」という名前があまり好きではなかった。 その名前がその字面と読みから、決められた道を真っ直ぐ歩く面白みのない人間を連想させた。人からその名前を呼ばれるたびに自分の面白みのなさを指摘されてるような気がしたし、面白みのない自分を詫びなければならない気持ちにもなった。それはほとんど条件反射的に僕の癖のようになっていて、その癖がまた自分を面白みのない人間だと確認作業をさせられているようだった。 そんな理由から「道雄」という名前が好きになれなかった。 僕のことを「ミチル」と呼ぶ人は少なかったが、「ミチル」と呼ばれることは気に入っていた。 僕は小説家になりたいとおもっている。いや、「小説家になりたい」というよりも「小説を書きたい」というおもいを実践したいというのが正解だろう。ただ純粋に実直に、実際的に。 僕は数年前に厄介な友人ができそいつと一緒に暮らす羽目になった。やつらに殺された後の話だ。 僕の心は死んでしまった。だけどからだは辛うじて生きていた。心が死んだからだだけの僕はその友人と出会った。 「圧倒的な喪失感」という名の友人だった。或いは鬱病を患っていたというべきかもしれない。しかし心療内科を受診し医師にそう診断されたわけではないのであくまで疑わしいという状態だった。その頃の僕は自分の体調が思わしくないからといって病院にいくような精神状態ではなかった。それがインフルエンザや食中毒であっても病院にはいかなかっただろう。そこで自分の身に起こったことを受け入れ受けとめることしかできなかった。それらを回避したり快復の為に何かをするといったことが当たり前にできる状態ではなかったのだ。 それからというものその「圧倒的な喪失感」という友人と片時も離れずに家に引きこもり続けた。その友人の影響で僕は基本的には何もしない毎日を過ごすことになる。悪い友人は持つものではない。二週間に一度くらいの夜間の買い出し以外は外出はしなかった。ただワンルームマンションの部屋にこもった。 大学生の頃から毎日欠かすことなく読んでいた新聞も読まなくなった。あれほど好きだった本も読まなかった。テレビはつけてはいたが画面に見入ることはなかった。服は暑さ寒さを凌ぐために季節ごとに着替えるくらいで、それ以外はずっと同じものを着ていた。身なりなんて気にもならなかったし風呂にもほとんど入らなかった。部屋の掃除もせずマンションはゴミ屋敷になりかかっていた。携帯電話は料金未納のまま放置し、やがて黒くて硬いかまぼこ板みたいになった。誰かに連絡をすることもなかったし、かまぼこ板には誰も連絡してこなかった。とにかく無気力で、何に対しても興味が無くなって自分に対しても興味を持て無くなっていた。同居する友人の影響力はそれほど甚大だった。 思えば僕にはその数年間の記憶はほとんどない。何もしていなかったのだから記憶が無くても当たり前といえば当たり前だ(言い切ってしまって良いものか、疑問におもうが)。生きているようで死んでいるような毎日だったのだから。 その頃に書いた日記があったとしたら、毎日大して記すような内容もなく困っただろう。 部屋のカーテンの隙間から差し込む光で朝を知り、やがて部屋の中が真っ暗になることで夜を確認する。 光だけが唯一の訪問者だった。闇はもはや自分の一部に属していた。 激しい眩暈、悪意に満ちたやつらの顔、天井のプリント合板の木目が流れ出し壁をつたい谷底に誘うように床にむかい濁流となった。気を失うように眠りに墜ち死に損ないのように眠りから覚める。そんな毎日だ。 それを書き記して何になる。それを読み返して何を想う。僕はそこで起きたこと、そして起きなかったことも含め全てをその場限りとしていた。未来にもっていくものなど何もない。そもそも未来なんてものが信じられなかった。 僕は毎日を記憶せずに忘れた。忘却の日々。そんな毎日にそもそも記録に値するものはなかったのだ。ペンを握る動機にもなりえない。ただ僕はあの瞬間だけは鮮明に記憶している。忘れようのない記憶として、それこそ日記の1ページに書き記す特記事項のようなものとして。 それはちょっとした頭痛のようなものだった。頭の中の一部分が少しだけ温かみをもったような感覚でそこに痛みはなかった。痛みがないのなら頭痛と呼べないかもしれないが、それは単に温かいだけのまさに頭痛だった。そこに家族がいて食卓で子どもがクリームシチューを食べてる。部屋には暖炉があって家族みんなの笑顔がある、そんな温かさだった。そんな温かいだけの頭痛をきっかけに僕は本棚から一冊の本を手に取ることになる。(後に確信するのだが)その行為は僕の運命の分岐点の一つだった。 僕は温かいだけの頭痛に促されるように本を手に取ってその本を読んだ。別に読みたかったわけではない。それが何の本だったのかさえ記憶にない。僕は紛れも無く純粋に本を読んだのだ。僕がその後にも読むことになったそれらの本は僕のかつての仕事だった。 僕はたくさんの人に「読書をしよう」と声をかけてきた。それは僕の心からの思いであったし、それが僕の仕事であった。だから僕の部屋は本だらけだった。数えたことはないが1000冊近くあったとおもう。そのマンションに引っ越して来てからの年数を考えればそれはかなりの数だった。 僕がそれらの本の中から一冊を取り出したことは初期行動としてはそこに何の意味もなかったし、その選ばれた本にも何の役目も役割もなかった。 それでも僕はその本を開いて本を読んだ。ただ黙々と読み続けその一冊を読み終えると次の一冊を読んだ。またその一冊を読み終えるとまた次の一冊を読んだ。黙々と繰り返すともなく繰り返していると何の意味も持たなかったその行動が僕の心にある変化を齎した。次第にそこに意味が生まれようとしていたのだ。二年近くの間、「圧倒的な喪失感」という友人に支配され虚無の世界と化したマンションの一室の住人となっていた僕にはそれが何なのかを知り得るのはまだずいぶんと後になるが、この時の衝動が「小説を書いてみたい」という欲望として僕の目の前に突然姿を現した。 僕の前に手の届く範囲に、手にすることができる(できそうな)存在として現れた欲望だった。 部屋にある本のほとんどを読み終えるころには僕はパソコンを使って小説を書き始めていた。頭の中の枯渇していた創造を司る泉に水が湧き出る気配がした。それは気配に留まらず水が干上がった地表にじんわりと滲み出し僅かなしみをつくり出していた。僕はたまらずそのしみに触れる。手のひらの所々、疎らに濡れた微かな感触があった。僕はその手のひらを顔を覆うように優しくあてた。そしてゆっくりと徐々に力を込めて何度も顔を擦った。初めは涙かとおもったが涙でないことはすぐにわかった。それは紛れもなく泉から湧き出た水だった。僕はまた干上がった地表に視線を落とした。そこに滲み出たしみは幾分か増えているようだった。そんな僅かな変化でも僕には嬉しかった。それを自分が「嬉しい」と感じていることがまた嬉しかった。創造を司る泉はやがて水で満たされるだろう。そう確信しその光景をイメージしてみた。そこに溢れ出す豊かな水で満たされた泉が現れた。 僕は小説が書けると思った。見切り発車ではあるもののそうせざるを得ない欲望をすでに手にしていた。僕はインターネット上のサイトから原稿用紙の形式をダウンロードしてパソコン画面に原稿用紙を映し出し、そこにキーボードで文字を打ち執筆を始めた。干上がった地表に滲み出た水のようにゆっくりと文字を打ちゆっくりと文章に変化させた。落ち着いて丁寧に。地表に滲み出たしみは地図のように見えていて始めはどこかの国の小さな島だった。やがていくつかの島が現れその島々は独立した国となった。さらに島と島は繋がりそれは大陸となって、いくつかの大陸が現れて世界が広がっていった。そんなふうに文章を展開させていった。目の前で世界が広がっていった。それは本を読み始めたことと同様に初期行動としてはそこに何の意味もなかった(のだろうとおもう)。ただ感情の赴くままにといったものだった。自然と体が動いてそうなったとも言える。僕はインターネットで素人が誰でも自由に登録できる小説投稿サイトを見つけ、そのサイトに自分の作品を投稿することをイメージしそれを目標として小説を書き始めた。 その時に登録する上で必要な作家名の欄に「成瀬ミチル」と打ち込んだ。それは何年も前からそうすることが決まっていたかのようにぴったりとハマりしっくりと収まった。パソコンに映し出された登録画面の作家名「成瀬ミチル」の文字をしばらく眺めた。何人かの友人がそう呼ぶ、自分が密かに気に入っていたあだ名だった。温かいだけの頭痛はいつの間にか消えていたが、痛みを伴わないその温かさは身体中に浸透するようにやわらかく広がっていた。僕が厄介な友人と部屋に引きこもってから二度目の夏を迎えた頃だった。僕がある意味、部屋から外の世界へ一歩を踏み出すきっかけとなった。 つづく
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