{8}絶対に開けてはいけない小箱

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{8}絶対に開けてはいけない小箱

僕が「圧倒的な喪失感」という友人と別れ、共に過ごしたワンルームマンションを出ることにした時、これまでの価値観をすべて捨て去ることを決心した。 それはあまりに揺るぎない決心だった。僕は引っ越しの準備中に、とは言ってもほとんどの物は処分したのだけれど、その部屋の中に次第に物が失くなっていく様を眺めながら、余命宣告された患者のように「もし生きることができたなら」と考えていた。 それは自分に残された僅かな荷物だった。 良いことも悪いこともあった激動の三十代が過ぎ去ろうとしていた。もう若いとは言えない四十代を迎えることに恐怖も感じていた。 またこれから先の四十代に良いことが起こるかもしれない、と楽観的には到底なれなかった。逆に悪いことが起こるとしたらこれまで以上に悪いことが起こるような気がしてならなかった。 だとしたら自分はこれまで以上の苦しみや痛みに耐える自信がなかった。それは同時にこの先の四十代を生きていく自信がなかったと置き換えてもいい。 あまりに多くのものを失いすぎて生きる希望も失い、生きる意味も失っていたことがその原因なのは明らかだった。 「もし生きることができたなら」 生きるという奇跡をもってしても、それを手放しで喜ぶことはできなかった。 仮に生きることで、これから先に何らかの幸せを感じられるものを新たに手にすることができたとしよう。それは多くのものを失い何にも失くなってしまった自分にとって掛け替えのない大切なものになることは容易に想像できる。 それは雨の日に濡れた仔猫を拾うように。 僕は仔猫を可愛がり餌をやり牛乳を飲ませてやる。僕は仔猫に名前を付けるだけろう。とても愛おしい名前を付け、その名前を何度も呼ぶ。用があってもなくても、一日に何度も呼ぶだろう。仔猫は昼間には僕の膝の上に座り眠りこんだり、夜は僕の布団の中に潜りこんで眠るだろう。 仔猫はあっという間に大きくなって、あっという間に僕の年齢を越えてしまう。やがて僕は猫を失うのだろう。猫を失いまた深く傷つくのだ。 「それは猫であってもなくても、すべてがそうなのだ」 そう考えると失ってしまうに違いないなら最初から手にしなければいいのだとおもいたくなった。その方が幸せなのだと納得したかった。 僕は雨に濡れた猫を横目に通り過ぎる。 「どうか心ある人に救われますように」と願いながら。 僕は両手のない逃亡者だ。 両手のない逃亡者なんだ。 僕は何も持たないことを決めた。 手元から失くなって悲しい思いをしたり、失くしたことによってつらい思いや痛みを感じるものは手に入れないようにする決心をしてそれを誓った。 何かを失って悲しまないように。何かを失くしたことでつらさや痛みを感じることのないように。 そう決心してからの毎日は、概ね良い傾向が表れているではないかと自己評価している。 だが反面、幸せを感じたときに悲しくなり、つらさや痛みを感じるようになってしまっていたのも事実だった。 その事実から条件反射的に顔を背けた。知らず知らずのうちに「幸せ」を遠ざけていた。 それは母親から「絶対に開けてはいけません」と言われ押入れの奥に隠された小箱のように。確かにそこには存在するのだけど開けられないので自分には触れることのできないもののように。 次第に絶対的にそうなってしまっていった。 つづく
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