理由

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

理由

 彼は立ったまま死んでいた。しかしそれは比喩であり、実際はただ極限まで呆けているだけの息をする人形であった。 「ねぇあんた、ねぇってば!」  突然、目の前に厚化粧のおばさんが現れた。というのも、ただ彼が我に返っただけであり視覚認識を取り戻しただけである。同時に彼は今現在コンビニのアルバイト中でレジを任されていることを思い出した。 「あ、はい。なんでしょう」 「だから肉まん一つ」  怒りのせいか女の皺は誇張されている。化粧が剥がれかけていた。  それから女の要望通りに肉まんを温めると、その間に料金を頂戴し、温め終わった肉まんを袋に入れ女に渡した。女は依然として不機嫌そうにコンビニを後にする。  重い溜め息が出た。仕事のミスからではない。彼は昨夜の悪夢のような現実を再び思い返していた。  それはあまりにも唐突だった。予感めいたものなど何一つなかったのだ。まさか最愛の恋人に別れを告げられるなんて、彼は夢にも思っていなかったのだ。大学一年生の時から交際していて、その年月は三年と五ヶ月になる。彼は卒業してからの結婚も視野に入れていた。  それにもかかわらず、二人の愛は昨夜にして儚く散ってしまうことになった。  原因はさっぱり分からないでいた。昨日バイトから同棲しているアパートに帰ると、突然彼女から別れを切り出されたのだ。最初は何の冗談だと余裕の笑みだったが、彼女の眼差しを受けるも彼の表情も曇り始めた。  彼が理由を問い詰める間もなく、彼女は家から飛び出してしまった。あの時、追いかけるべきだったと後悔している。しかし、青天の霹靂で足が動かなかったのだ。  何十分もその場に立ち尽くしてようやく彼が思ったことは、あいつ泣いていなかったな、ということだった。そして彼の目から大量の涙が溢れた。  彼の視界がレジの前に立つ客を捉えた。頭を振り払い、仕事に集中しようとした。 「いらっしゃいま……」  彼の目は大きく見開かれることになる。出かかっていた言葉が喉の奥に留まってしまった。  ――なんでこんな所に。  最愛の元カノがそこにいた。いつも見てきた彼女だったが、この時ばかりは心の動揺を隠すことが出来なかった。 「あ……あ……」  目は合っている。しかし彼女の目を見る限りでは、動揺しているのかそうでないのか彼には判断つかなかった。  ふと、彼は視線を落とした。レジの上に彼女が持ってきたであろう商品が置かれている。  それは彼女のお気に入りの歯ブラシと0.01mmのコンドームだった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!