第一話:ごはんをたべよう

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第一話:ごはんをたべよう

 死霊魔術師(ネクロマンサー)が見渡せば、今日も世界は滅んでいた。  灰色の廃墟、ほうぼうに生えた雑草、無人の町。今そこを歩くのは、骨のような灰色のローブをすっぽりとまとった、顔の見えないネクロマンサーひとりだけ。  魔法使いは辺りの景色を特に気にするでもなく、散歩のような何気なさで割れたアスファルトの上を行く。燃え尽きた車や幾つかの瓦礫を通り過ぎ、辿り着いたのはスーパーだった。無論、ボロボロの看板を掲げた廃墟であるが。 「お邪魔します」  自動ドアを手動で開けて、ネクロマンサーは一言挨拶をしながら店内へと入った。返事はなかった。ここには誰もいないから。それでも挨拶をしたのは、一応は不法侵入にあたるので「まあ良くないことをしているな」という自覚に起因する。  無音の店内は埃っぽく、長らく人の手入れが施されていないことを物語る。だが足跡が幾つも残っている。それは全てネクロマンサーのものだ。彼はここによく足を運ぶ。食料や生活用品の調達の為だ。  廃墟の中は、午後の麗らかな日差しにほの暗い。  商品棚にはいろいろなものが並んでいる。野菜、果物、肉――こういった食品類には防腐魔法がかけられているので、千年先も新鮮なのだ。  もともと防腐魔法は死体を腐らせない為に発明されたものなのだが、それを食料に施せばどれだけ便利になるか、人類が気付くのは早かった。 (今日は何を作ろうかな……)  ネクロマンサーは背負っていたリュックを手に考える。 (カレーか……チャーハンか……いや、ハヤシライス……)  悩んだので、ネクロマンサーはゴソリと平べったい骨を取り出した。そこに魔力を込めて発火させれば、乾いた音を立てて骨に亀裂が入る。 「うん、ハヤシライス。ビーフで」  ネクロマンサーは骨による占いの結果に従うことにした。  店内をうろつき、牛スジ肉、玉ねぎ、ハヤシライスのルーをリュックに入れる。それからしばらくスーパーに来なくても良いように、幾つかの食材。そろそろなくなりそうだったので牛乳も。 (あとはー……)  ネクロマンサーはローブの中にしまっていた買い物メモを見る。食パンと、洗濯洗剤と、歯磨き粉のストック。それらもリュックに入れる。  それからネクロマンサーはお菓子コーナーへ、重たくなってきたリュックを背負い直しながら向かった。指差し確認しながら、手に取るのはチョコレート菓子だ。チョココーティングされたクッキー、キャンディサイズの袋詰め、麦チョコ、板チョコ、エトセトラをぽいぽいリュックに入れていく。 (そろそろ、この店のチョコレート菓子のストックも減ってきたなぁ……)  チョコを切らすのは良くない。あの子にぐずられてしまう、とネクロマンサーはフードの影でそっと溜め息を吐く。甘やかし過ぎだろうか、我慢を覚えることも大事だともう少し厳しく教育すべきか、今日もまたネクロマンサーは頭を悩ませる。 (まあいいや……また明日考えよう)  そして今日もまた、ネクロマンサーは悩みを先送りするのだった。時間が悠久にありすぎると、「時間はあるしまた今度でいいや」「いつかなんとかなるでしょ」という思考になりがちである。  ネクロマンサーはレジに向かうと、テーブルの上に紙幣を置いた。そこには彼がこれまで置いてきた紙幣がどっちゃりと積まれている。あるいは床に落ちてしまっている。  人がいないのでお金を払う意味はない――むしろお金というものに価値がなくなってしまっているのだが、それでもネクロマンサーはなんとなくの律儀さでお金を払っていた。 (……何かを忘れてる気がする……)  自動ドアを手動で開けて、閉じて、朽ちた車が疎らに並ぶ駐車場をネクロマンサーは歩く。  何か目的を持って出かけた時って、しょっちゅう「何か忘れてるような」という気持ちになる。家の鍵を閉めたっけ、財布持ったっけ、買い忘れないっけ、などなど。ネクロマンサーは買い物メモをもう一度見た。買い忘れはない、と思われる。 (でもこういう時ってだいたい杞憂なんだよね)  というわけで、ネクロマンサーはまた気ままな歩調で廃墟の世界を歩くのであった。  好き放題に街路樹が育った道を行き、やがて景色はありふれた――徹底的に無人であることを除けばありふれている――住宅街へ。  ネクロマンサーは拾った枝で、錆びた柵をカンカンカンカンとなぞっている。並ぶ家々は静まり返り、庭はもれなく貧乏草が生えている。  そうして歩いていきながら、飽きた枝をポイと捨てた。  ネクロマンサーを呼ぶ声がしたのは、そのほぼ同時であった。 「おーい!」  それは天真爛漫な幼い少女の声で、上の方から聞こえた。  ネクロマンサーが顔を上げれば、民家のベランダから少女が手を振っている。血色の悪い顔は、彼女がゾンビであることを示していた。 「ネクロマンサー、おかえりー!」 「ユメコ、ただいまー」  ネクロマンサーはベランダの少女――ユメコにヒラリと片手を上げた。 「お布団ありがとー」  彼はベランダに布団を干してくれた彼女を労った。「それから洗濯物もー」と、干された洗濯物を見て追加した。ユメコは得意気に笑むと、パタパタと家の中に戻っていく。ネクロマンサーもその家へと向かった。  このありふれた民家こそ、ネクロマンサーの拠点である。  その証拠に、この民家だけ周りと比べて明らかに手入れされていた。庭には野菜が植えてあり、窓はピカピカに磨かれていて、ベランダにはネクロマンサーの灰色のローブと縦縞トランクス、ユメコのワンピースと女児用パンツが干されている。  そして、かつての住人のものだった標識は剥がされ、そこには「ゆめことねくろまんさーのいえ」と、幼い文字で書かれた板が貼り付けてあった。 「ただーいまー」  ネクロマンサーは玄関のドアを開け、魔術装具である仰々しいブーツを脱いだ。そうすると、廊下をダッシュしてユメコが来る。 「おがえりぃい!!」  力んでダミった声と共に、ユメコは絹のような金髪をなびかせて、ネクロマンサーへぴょんと飛び付いた。魔法使いはタックルめいた勢いに若干よろめきながらも、幼い少女を抱き留める。 「おーユメコただいま~ちゃんとお留守番してたかー」  ネクロマンサーはユメコの背中をポンポン撫でる。女児はひとしきりネクロマンサーの肩口に顔をぐりぐり押し付けて甘えてから、「してた!」と笑顔を上げた。アクアマリン色の瞳をした、人形のように整った顔で、「おせんたくとおふとんほした!」と主張する。 「えらい! ユメコえらい!」  ネクロマンサーはユメコの冷たくてモチモチなほっぺに頬擦りをする。彼の頬の剃り残し髭がジョリジョリとして、ユメコはきゃーっとハシャいだ声を上げた。  そうこうしながらネクロマンサーは居間へと向かった。ありふれた外観の部屋だ。魔法使いはユメコを下ろすと、背負っていたリュックを「よっこいせっ」と机の上に下ろす。 「ユメコーこれ冷蔵庫にしまうの手伝ってー」 「ネクロマンサー! かえってきたら、てあらいうがい!」 「あい」  女児にそう言われては、ネクロマンサーはすごすごと洗面所に向かうのだ。歯ブラシが二つ置いてある。成人用と女児用だ。歯磨き粉は「炭磨き口臭ケア」と「キシリトール入りイチゴあじ」の二つ。 「ちゃんとせっけんであらうんだよ!」 「は~い」  廊下の向こうから聞こえてくる声に答えつつ、ネクロマンサーはこれまた仰々しい魔術装具である手袋を外して、筋張った手を石鹸でキチンと洗った。そしてうがいをして、魔術装具を手に着ける。これ手を洗った意味なくね、と毎度思うのだが、ユメコの中では「外から帰ってきたら必ず手を洗わないといけない」ことになっているので、仕方がない。 「きれいきれいしましたよー」  ネクロマンサーがのそのそと居間に戻ると、ユメコがリュックの中身を冷蔵庫に仕舞っていた。足りない身長は椅子に上って補っている。  この冷蔵庫を始め、この家の電気はネクロマンサーの魔力を変換して成り立っている。より具体的に言うと、そういった魔力変換蓄電装置があるのだ。  なお食材には防腐魔法が施されているが、保存の為に冷蔵庫にしまうのは、冷たいところに食品を置いておきたい人間のサガだ。まあバターとか温度で溶ける奴や、冷えてた方がおいしい牛乳とかの為ではある。 「チョコレート!」  ユメコがリュックの中から見つけたお菓子に目を輝かせた。 「3時のおやつね。全部いっぺんに食べるなよー」 「あい!」 「食べないやつは冷蔵庫に入れときな」  ネクロマンサーがそう言うと、ユメコは散々悩んだ挙げ句、ピーナッツ入りチョコレートを今日のおやつに選んだようだ。  選ばれなかったチョコを冷蔵庫にしまって、ネクロマンサーは「さて」とユメコへ向いた。 「ユメコ、今は何時でしょーか」  そう言って、壁にかけられた時計を指差す。時計の読み方は最近教えたばかりだ。ゾンビ少女は冷たい脳味噌を捻って捻って、ウンウンと考える。 「さんじじゅういっぷん……」 「ファイナルアンサー?」 「まって……いや……うーん……ファイナルアンサー!」 「正解は……ダララララララ……ダン! 2時55分でしたー」 「あ゛ー!」  頭を抱えるユメコ。ネクロマンサーはからから笑いながら、古びたソファに腰を下ろした。 「短い針が過ぎた数字が『時』で、長い針の『分』は0から59まであるんだよ」 「なんで『ふん』だけ、とけいのすうじどーりじゃないの?」 「俺が『分』の為の数字を魔法で消滅させたからだよぉ」 「ネクロマンサーのせいかー! なんでそんなことする!」  ラフな姿勢で座っているネクロマンサーに、ピーナッツ入りチョコレートの箱を持ったユメコが飛び乗ってくる。ぺちぺち胸板を叩かれて、魔法使いは「ハハハ」と笑った。それからユメコを抱えて、自分の膝の上に置いた。 「とけいに『ふん』のすうじ、もどしてあげないの?」 「どうしよかなー、じゃあユメコが時計を読めるようになったらね」 「ほんと?」 「ほんとほんと。ほらもう3時になるから、おやつ食べていーよ」 「たべる!」  ユメコは上機嫌に、ネクロマンサーの膝の上でチョコレートの箱をぺりぺりと開けた。そうすれば現れるのは、真ん丸なピーナッツ入りチョコレートだ。 「いただきまーす」 「はーい」  ポリポリと小気味いい音を立てながら、ユメコはチョコレートを頬張る。ネクロマンサーは彼女の柔らかな髪を撫でてやりながら、甘い味に頬を膨らませるゾンビを眺めていた。 「ユメコー、チョコおいしいかー」 「おいしい!」 「そっかそっかー。チョコ好きだもんなー」 「ネクロマンサー、そと、どうだった?」  フードの影の顔を見上げながら、ユメコが魔法使いに問うた。「外ぉ?」と男は暗がりで片眉を上げる。 「別に、いつもと変わらんよ。いい天気で平和だった」 「そっかーー」  質問をした割りにはあんまり興味なさそうにユメコは答えた。それからチョコレートを一粒とると、ネクロマンサーの唇にぐにっと押し付ける。 「ネクロマンサー、これあげる」 「あいありがとー」  チョコを押し付ける圧が強い……と内心思いながら、ネクロマンサーは押し付けられたチョコレートを口に含んだ。しばらく舌で転がしていると、チョコレートが溶けてゴツゴツとしたピーナッツの感触が表れてきた。そのまま噛めば、チョコの甘さと共に香ばしさが口の中に広がっていく。 「おいしい?」 「おいしいよー」 「じゃもうひとつぶあげゆ」 「もらゆー」  ネクロマンサーが口を「ゆー」の形で構えていると、またユメコがそこにチョコレートを押し付けた。二人してポリポリとチョコを食べる音を響かせる。 「ネクロマンサー、きょうのごはんなに?」  ユメコは魔法使いの膝の上、足をぷらぷらさせている。魔法使いが貧乏揺すりの要領で足を震わせれば、少女の体ががくがく動く。 「今日のごはんはですねー、ハヤシライスです」 「はやしらいす」 「スパイシーじゃないカレーみたいなやつ」 「……アレか!」 「思い出したかー。そうですアレです」 「たべたい!」 「そーね、煮込むやつだし早めに作っちゃおか、その方が味染み込んでおいしいし。ユメコお手伝いできる?」 「できる!」 「えらい! じゃあエプロン持っておいでー」 「あい!」
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