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村神は
夏期講習も終わりお盆休みに入った。僕は家の盆準備も手伝わず外で焼きそばを焼いている。何故か。村神に祭りに誘われたからである。もとい、労働力として収集されたからだ。
「祭りに行かないかって、こういうこと!?」
鉄板の熱気と真上の太陽のせいでダラダラと汗を流す僕が不平を叫ぶと往来の反対側で冷たいドリンクを売っている村神が
「なんだよ、間違ったことは言ってないだろ」
と平然と返した。村神のテントはドリンクが入った氷水のおかげで涼しそうだ。汗ひとつかいているようには見えない。
「夏祭りに誘われたと思って浮かれた僕の喜びを返してくれ」
夏期講習最終日、しばらく村神には会えないなと思っていたら珍しく村神の方から話しかけてきて
「明日祭りに行かないか」
と言った。僕は最初耳を疑い、言葉の意味を咀嚼した後二つ返事で
「行く」
と返した。ついに村神が僕を遊びに誘ってくれたと、達成感にも似た高揚があったのに、蓋を開けてみれば労働力として動員されたに過ぎなかった。あんまりだ。だいたいなんで僕が焼きそばの屋台で、村神が冷たいドリンクなんだ。普通逆だろうなどと考えながら恨めし気に涼し気なテントを見つめていると、隣で焼きそばをパックに詰めている森口さんが僕に話しかけた。
「いやぁ、助かるよ。ボランティアが集まらなくて困ってたんだ。一昨年は自粛したし、去年も結局人手が集まらなくて開催できなかったんだ。子供たちのために、今年こそはと思ってたから、今年は開催出来て本当に良かった。とてもありがたいよ」
人の良さそうな丸眼鏡の奥の目が細められる。額に浮いた大粒の汗を首に巻いたタオルで時々拭い、森口さんは慣れた手つきで焼きそばを均等に分けていく。
「毎年恒例なんですか、この祭り」
僕は目の前を走り過ぎていく子供たちを見た。右手に綿あめを持ち、左手にりんご飴を持って走り回っている。落としたりぶつかったりしないか心配になる。親の姿はない。時折、屋台を交代し休憩に入った職員さんが子供に手を引っ張られてお店を回っている。
「そう、夏祭りとあと冬にはクリスマスもやるよ」
「森口さん、サンタ役ですか?」
首にネームカードを下げた学生ボランティアがかき氷のシロップを持って店の前を走っていった。
「よく分かったね」
森口さんは笑った。笑うと森口さんの大きな身体が揺れて、ますますサンタみたいだった。
「子供たち、みんな楽しそうですね」
芝生の庭は休日の公園みたいに賑やかだった。
「彼らにとっての夏祭りはこれしかないからね。打ち上げ花火は出来ないけど、夜には花火大会もやるんだよ。線香花火でチャンピオンを決めたりね。霜村くんも、良かったら夜まで参加してよ。夜はバーベキューだし」
「でも僕は部外者だし、そんなにお邪魔したらおかしくないですか」
「君は部外者じゃないよ。数馬くんの大切な友達だろう」
森口さんが言った。僕は対岸の村神を見つめた。
「そうだといいんですけどね」
村神は若いカップル二人にドリンクを渡しているところだった。
「あれ、この祭り、施設以外の一般客もいるんですか?」
「そうだよ、そんなに宣伝してないから客入りは少ないけど、知っている人は来て何かしらを買って行ってくれる。主に公官庁の人が多いけどね、やっぱり。売り上げは施設の運営費にしてるから、子供たちのためにっていうのは、経済的な意味でもあるんだ。霜村くんも交代したらどんどん飲み食いしてね」
森口さんがウインクした。僕は生返事をし、財布にいくら入っていたか思い出そうとしていた。
その時だった。コナラの森の入り口の方角から大声で泣き叫ぶ子供の声が聞こえたのは。
「えっ、なに?」
子供たちと一緒に中央の丸テーブルに座っていた職員の女性がすぐに立ち上がって
「私見てきます」
と森口さんに言い、門の方へと走った。しかし十メートルも行かないうちにその女性は足を止めた。絶句して何かを見つめている。その場の雰囲気が凍り付いた。みんなが一点を見つめて固まっている。僕は鉄板の上に身を乗り出すようにしてみんなの視線の先を見た。一人の若者が芝生の入り口に立っていた。
「明くん……」
隣で呟いた森口さんは動揺していた。何とも形容しがたい複雑な表情だった。
僕は明と呼ばれた少年を改めて見た。短髪に刈り上げた頭に色白の痩せた身体、飛び出そうなくらい大きな瞳、そしてつり上がった眉毛。彼は怒っていた。怒りに歪んだ真っ赤な顔は破裂寸前の風船のようだ。誰もが一歩後ずさりした。楽しかったお祭りは一気に水を打ったような雰囲気になった。怒りに震える少年の手には、くしゃくしゃになった手書きのポスターが握られていた。子供の泣き声は止まない。
「明、どうして……」
いつの間にか村神が店から出て、彼の前に立っていた。少年は村神を思い切り睨みつけた。血走った目は泣きはらした後のようだ。
「何が勇気祭だ。ふざけんなよ、誰も俺のこと迎えに来なかったくせに、祭りなんかやってんじゃねぇよ!」
少年は叫んで握りしめていたポスターを投げ捨てた。破られてしわくしゃになったポスターには拙い字で書かれた夏祭りの案内と可愛らしい子供の絵があった。
「俺が捕まったのに、楽しく暮らしてるお前らなんて大嫌いだ!」
叫ぶ少年が、今にも泣き出しそうに見えた。僕は鉄板にコテを投げ捨てて走り出していた。
「だったら来なきゃいいだろ。嫌いなのになんでわざわざ来たんだよ。なんでお前はいつもそうなんだ。嫌いなら見ないようにすればいいだけだろ」
村神の声が震えている。怒りなのか、怯えなのか、後姿からは分からない。少年が憎しみのこもった目で村神を睨み上げた。
「お前も俺と同じくせに。親に捨てられて、何もないくせに! 必死に勉強なんかして、意味があるのかよ。くだらねぇ。何もかも無駄なんだよ、頭が良くたってどうせ誰からも愛されないんだ!」
「違う。村神は君とは違う」
僕は膝に手をつき、肩で息をしていた。声が掠れて自分の声じゃないみたいだ。鼓動が速い。汗が一粒芝生に落ちた。
「なんだてめぇ。部外者はひっこんでろよ」
最強の少年を目の前にして、僕の膝は震えた。僕は今まで人を殴ったこともなければ、殴られたこともない。他人にこんな鋭い目を向けられるのも初めてだ。
だけど、退けない。
「部外者じゃない。村神はもう、僕の友達だ。村神は君とは違うよ。全然違う。だって村神には僕がいる」
心臓が痛かった。明の大きな瞳が揺らいだように見えた。明は一言、
「死ね!」
と叫んで芝生を掴み取り、僕の顔めがけて投げ捨てた。目に激痛が走った。土が目に入ったのだ。僕は目をおさえて呻いた。近くにいた職員さんやボランティアスタッフの学生が慌てて彼を取り押さえた。
「明くんはどうなったんですか」
施設の保健室で、僕は目を洗浄してもらっていた。目から液体が鼻に垂れてきて気持ち悪い。幸い目に傷はないようで、砂が取れると痛みもひいた。鏡を見ると白ウサギみたいに目が赤かった。
「支援者にすぐに連絡して迎えに来てもらったよ」
医療用のゴム手袋を外す森口さんが言った。
「支援者?」
「保護司のことだよ。彼にも治療が必要だからね」
治療。一体何の治療だろう。考えていると、森口さんが再び目の前の丸椅子に座って僕に向き合い、神妙な面持ちで謝った。
「本当にすまなかった。君を巻き込んでしまって。君のご両親になんて申し開きをしたらいいか。一歩間違えれば目が見えなくなっていたかもしれない」
森口さんは唇を噛んだ。良い人が負い目を感じているのを見ると、心が痛む。
「いいんです。僕が勝手に飛び出していって目に砂が入っただけのことですから。僕こそ勝手な行動してすみませんでした」
僕がそう言うと、何故か森口さんは涙ぐんで首を振った。声も出ないようだった。
「それより僕森口さんにお礼が言いたかったんです」
「お礼? 何かな」
鼻をすすって森口さんが聞いた。森口さんの目が涙できらきら光っていた。
「昔、森口さんが村神に言ったこと、聞きました。村神と、明くんとの違いについて。僕はずっとそれを聞きたかったんだと思います。あの事件をテレビで観てから抱えていたもやもやが少し晴れた気がします。だから、ありがとうございます」
僕は森口さんに頭を下げた。森口さんは最初何のことか分からない様子だったけど、しばらく考えてから思い当たったようで、ゆっくりと首を振った。
「礼を言うのはこちらのほうだよ。実はね、あの時、数馬くんに言い忘れていたことがあるんだ。本当の気高さというのは他人が君に与えてくれるものだ、とね。霜村くん。数馬くんと友達になってくれて本当にありがとう」
そう言って森口さんが微笑むと、小さくなって消えそうな目から、涙が一粒零れ落ちた。宝石みたいに綺麗だった。
保健室を出ると、扉のすぐ隣に村神が立っていた。
「びっくりした。ずっとそこにいたの? 入ってくれば良かったのに」
村神はとても不安そうな顔で僕を見た。まるで何が悪かったのか分からないまま廊下に立たされている小さな子供みたいだ。
「目、見えるか」
切羽詰まった様子で村神が聞いた。
「見えるよ、大丈夫」
僕が笑うと、村神が心底ほっとした顔で息を吐いた。それから俯いて、
「本当に悪かった」
と沈んだ声で謝った。
その時僕は気づいた。村神が僕に何かを言う度に、僕が村神に何かをする度に、僕は村神のことをますます好きになっているということに。村神の生真面目さ、不器用さ、生い立ち、自信が無くて悲観的なところ、彼の周りの人たち。その全てが僕にとっては新しくて、彼を尊敬する気持ちに繋がっている。
「なんで君が謝るのさ。君は全然悪くないだろ」
僕が吹き出すと、村神はむっとして
「お前なぁ、もっとひどいことになったかもしれないんだぞ。俺がどんな気持ちでいるか分かってんのか。そもそも俺と関わらなければこんなことには」
「いいって、そういうの」
村神の台詞を強引に遮って、僕は言った。
「友達だろ」
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