4人が本棚に入れています
本棚に追加
偏差値五〇
属する集団が変われば普通も変わる。当たり前のことだけど、身を持ってそれを体感する人は意外に少ないんじゃないかと思う。
この春僕は県下一の進学校の特進クラスに合格した。このクラスは大学受験のためのクラスで、三年間クラス替えもなければ担任も変わらない。カリキュラムも普通科とは全然違う。家庭科や技術や情報、体育、選択芸術の時間が少ない代わりに数学が週七コマあったりする。つまり、数学がない日はないし、同様に現国、古典、英語のいずれかがない日もない。そして授業の進度がとにかく早い。普通科が二次関数に取り組み始めた時、僕たちはもうサインコサインタンジェントを履修し正弦定理と余弦定理の証明を始めている。二年生の終わりには全教科が高校の履修範囲を網羅し、三年生になってからの授業は全てセンター対策、二次試験対策に費やされる。毎時間ごとに前回の復習、もしくは新出単語の予習チェックと称した小テストがあり、(英語や日本史、生物などの暗記物だけじゃない、数学や古典でさえ、だ)その結果が毎回教室の後ろに得点順に張り出されるような、そんなクラスだ。(もちろん全国統一模試の結果が張り出されることは言うまでもない。このクラスでは誰が出来て誰が出来ないのかということは教室の後ろの掲示物を見れば誰でも分かる。)
文化祭の準備が始まり出した五月、入学から一月過ぎて学校生活にも慣れ始めた頃、僕はこのクラスに入ったことを少し後悔し始めていた。授業についていけないとか、課題が多すぎるとか、一年生から受験が始まる(先生たちも含めた)みんなの雰囲気についていけないとか、そういうことではなかった。このある種特殊な、限定された人間が集まる環境において、自分が今まで信じていたアイデンティティの一つが崩れようとしていたからだ。
僕は今まで自分が全くもって「普通」の人間だと思っていた。可もなく不可もなく、日本人の大多数と同じ生活水準で、同じくらいの選択肢の中で生きてきたと思っていた。だけど実際ここでは、僕は「普通」にはなれなかった。義務教育までは恵まれていると思われた僕の素朴な経済状況(地元の中小企業に勤める父、パートでビルの清掃員をしている母、そして僕)はこのクラスにおいては完全なる「下」だったのだ。「中の中」を自負していた僕にとって、これは少なからずショックなことだった。別に自分の育ちがいいだとか、自分の家が金持ちだとか、特別恵まれていると思ったことは一度もない。それどころか自分の境遇について特別世間一般のそれと比較してみたことすらなかった。それほど僕の今までは「問題なし」だった。意識しないということは中心にいるということだ。つまり平均点ということ。偏差値五〇で生きてきたってことだ。今まで偏差値五〇でいられる集団の中にいたから、自分について改まって考える必要が無かった。(例えば罪悪感も優越感も持たずに自分の母親の話が出来るのは母親がいるということが一般的な集団の中で生きているからだ。みんな当然のように母親がいると思っているから臆面もなく母親の話なんかが出来るわけだ。)
このクラスにいると、自分が持たざる者だと考えないわけにはいかなかった。最初に話しかけてくれた前の席の篠原は医者の息子だし、後ろの席の菅原の父親は世界的に有名な自動車メーカーに勤めている。当然のように母親は専業主婦、共働きする必要がないのだ。僕の家みたいに、二馬力で頑張らなくとも息子を大学へ行かせられる家ばかりだった。公立高校にもかかわらずこの特進クラスには高学歴高所得の家庭の子ばかりが集まっているようだった。(県内に付属中学も付属高校もないためかもしれない。)
最初は僕も、会話に入って話題を振られれば自分の話をした。けれど自分では普通のことを話しているつもりでも、同情されたり聞いてきた相手を申し訳なくさせたりするようなことが度々あり、だんだん自分の話をするのが嫌になった。
昼休みに購買で買った総菜パンを食べていると
「母ちゃん作ってくれないの?」
と母親の手作り弁当を広げる篠原が聞く。僕が
「母親、パートでビルの清掃してるんだけど仕事がビルの人が帰った後からで遅いからいつも朝寝てるんだよね。その代りお昼代五〇〇円くれる」
と何の気なしに言うと、
「そっかぁ、大変だな」
と眉を下げて言い、自分の弁当の卵焼きをひとつくれたりする。一緒に食べていた菅原も
「五〇〇円じゃ足りないよな」
と僕に同情を示したりするのだ。ここで問題なのは、僕は自分のことをちっとも大変とも可哀想とも思っていないことと、二人には善意しかないことだった。
中学の時にどの塾に行っていたか? という話をしていた時も、何かしらの補助学習を取り入れていたということが前提になっていて、篠原が駅前の清水進学ゼミに行っていただの、菅原が俺はずっとZ会をやっていただのと話している中で、習い事や通信教育に全く投資を受けて来なかった(そもそもうちにそんな余裕は無い)僕には話すこともなくただそれぞれの話を聞いて居た堪れない思いをしていた。
これらのことは篠原と菅原に限った話ではない。このクラスでは彼らの水準が一般的なのであり、他の人から見ても僕の家庭は気の毒な、大変な状況であるらしかった。
長期休暇の予定を話している時なんかが特に顕著だった。カナダにホームステイするだの、イギリスに短期留学に行くだの、有名講師のいる予備校に通うだのと予定を話し合っている級友たちの中で、僕は予定を聞かれて素直に「家にクーラーがないから、学校に来て課題でもしようかな」と言った。その後のみんなのすまなそうな目を、僕はもう忘れられない。
日常の何気ない会話の中で生活の差が見えてつらかった。しかも彼らに悪気は全くないのだ。
自分や家族に満足していても、他人から同情されることにより自分が可哀想になってしまうということはあるので、むやみに他人に同情してはいけないし、可哀想だと思ってもいけないと、僕は学んだ。
そんなこんなで僕は自分の話をしなくなった。そしてクラスメイトの話を積極的に聞こうという気も無くなり、(聞けば自分が惨めになると分かってしまったからだ。)自然と一人で過ごすことが増えた。クラスから浮いているというわけでもなく、体育の柔軟体操で一人あぶれるということもなかったが、ただ一線を引くようになった。友情において育った環境の類似性というのは重要で、僕はまだ誰とも本気で共感し合えたことが無かった。篠原や菅原、その他何人かの級友と行動を共にしていても、いつもどこかずれを感じていて、こっち側とあっち側というように線引きをして卑屈になっていた。そんな僕の空気が周りにも伝わったのか、級友たちは僕を学校外での集まりには誘わなかった。彼らなりに気を遣ってのことだったのかもしれないが。
六月の学園祭が終わる頃には、僕はもう友達を作るということはすっかり諦めて、勉強に集中しようと心に決めた。そもそも僕がこのクラスに入ったのはいい大学に行くためだ。僕は、彼らみたいに予備校に通えるわけでもなく、夏休みに留学に行けるわけでもない。教材だって授業や課題で必要な、最低限のものしか買ってもらえない。家に帰ったら残業で帰りの遅い父のために夕飯を作らなければいけないし、受験だって滑り止めの私立を受けられるかも分からない。だから僕は限られた資源で結果を残すために高校時代の全ての時間を勉強に費やそうと、そう決意した。
休み時間は自席で小テストの勉強をし、昼休みも購買で買ったパンを片手に単語カードをめくった。休み時間は暗記の時間にしようと、ほとんど席を立たず誰にも話しかけなかった。誰も僕に話しかけなくなった。
割り切って過ごしてみると、今まで見えて無かった教室のことが色々と見えてくるようになった。どうにかしてクラスの輪に入ろうと思っていた時は目の前の会話や人物に集中していたから全然全体のことが見えてなかったようだ。
入学から三ヵ月もすると、クラスの人間関係も固まってくる。最初は席が近い者同士で話していたが、今は仲良しグループが出来ていて、昼休みはだいだいそれぞれの類友グループで過ごしている。その中で一人だけ、僕の他に、どのグループにも属していない奴がいた。それが村神だった。村神も僕と同様、学園祭の打ち上げに誘われなかった男子の一人だ。
村神は休み時間、やはり僕と同じように一歩も自分の席を離れなかった。一〇分休みには速読英単語(しかも緑、上級編だ)を赤シートで隠し、昼休みには弁当を食べながら日本史の教科書を開いている。入学当初は、席が離れていたこともあって、全然存在に気がつかなかった。
いつだったか、まだ学園祭前、僕が篠原や菅原たちと共に行動していた頃、誰かが村神について
「まぁ、あいつは貴族だから」
と言っていたのを思い出した。確か学園祭の出し物の役割分担を決めていた時、丁度村神が欠席していて、村神の役割が残ってないと気づいた時に誰かが言ったんだ。
「まぁ、あいつは貴族だから仕事なしでもいいんじゃね?」
だから村神は学園祭でクラスの仕事が何も無かった。放課後みんなで学園祭準備をしていた時、村神の姿が無かったのはそのせいだ。
学園祭の企画案に自分の名前が載ってないと気づいた時、村神はどんな気持ちだったんだろう。
それにしても「貴族」ってなんだ? 日本に貴族なんかいるのか? 家がすごい金持ちってことなのかな。だとしたらあいつは僕とは真逆の理由でクラスのみんなから一線を引かれている。
「偏差値五〇って、意外に難しいんだな」
僕は教科書を読みながら弁当を頬張っている村神の後姿を見てひとりごち、単語カードに視線を戻した。
最初のコメントを投稿しよう!