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京女
「ご先祖様、どうぞ気ぃ付けてお帰り下さい。」
小夜は手を合わせて目を閉じて、小さな声で呟いた。
ベランダから見えるのは、『大』の形に燃える送り火。
祈る小夜の姿に、つい思う。
やっぱり、小夜はここじゃないと駄目なんだって。
小夜と出会ったのは、この京都だった。
有休がたまってきたから…ただそれだけのことでふらりと出掛けた初めての一人旅。
そこで、僕は小夜と運命的な出会いをした。
以前から、話には聞いていた。
結婚する相手は、会った瞬間にわかるんだって。
僕の場合がまさにそれだった。
そんなのは、独りよがりな思い込みかもしれないし、ただの一目惚れだったのかもしれない。
でも、とにかく僕は『この人しかいない!』そう思ったんだ。
それからは、とにかく積極的に攻めまくり…僕は、毎週、京都を訪れた。
そんな頑張りに、彼女もついにほだされて、僕のプロポーズを受けてくれた。
幸せいっぱいの僕とは裏腹に、彼女はどんどん元気をなくしていった。
そう、彼女は東京という土地になかなか馴染めなかったんだ。
はっきりと口に出すことはなかったものの、彼女が京都に帰りたがってることは、僕にもよくわかっていた。
僕はなんとか励まそうと頑張ったけど、彼女は沈んだままだった。
僕は悩んだ末に大阪支社への転勤を申し出た。
そして、その希望がようやく叶えられ、僕たちは京都に居を構えた。
彼女の実家に自転車で十分程という場所に。
「ここからやとほんまによう見えるなぁ…
お母ちゃんらも呼んだげたら良かったかな。」
小夜は、『大』の形の火を愛し気な視線でみつめる。
僕には、なにがそんなに良いのかわからない。
だけど、去年、この時期に実家に帰って来た時も、彼女はとても愛しそうにこの送り火を見ていた。
物干し台から背伸びをして、懸命に…
「あ、そうや。」
彼女は急に部屋の中へ入って行った。
戻って来た時、手に持っていたのはふたつのマグカップ。
「あ、やっぱり出来た!」
彼女は、嬉しそうに微笑む。
僕には、彼女の笑顔の原因がわからない。
「はい、憲さん。」
「え?」
「飲み。これから一年、大文字さんに護ってもらえるんよ。」
「……そうなんだ。」
それはただのオレンジジュースだったけど、小夜にとってはきっと特別なものなんだと思う。
それなら、僕にとっても特別だ。
小夜の笑顔に、つくづく思った。
ここに戻って来て良かったと…
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