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不如帰
「わぁ、美味しい!
これぞ、春の味だね。」
僕は山菜おこわを頬張りながら、そう言った。
「そんな風に言って貰えたら、作った甲斐があるわ。」
そう言うと、女将さんは無邪気な顔で笑った。
あぁ、たまらない。
女将さんのこの笑顔…
僕は、この笑顔見たさに、ここに通っていると言っても過言ではない。
ここは、大通りから少し奥に入った路地にひっそりと佇む料理屋『不如帰』
美人で優しい女将さんが、一人で切り盛りする小さな店だ。
ウリは女将さんだけじゃない。料理だって、もちろんうまい。
特に、季節感を感じる料理がうまいように思う。
素材にも器にも、かなりのこだわりを持っているみたいだ。
それだけじゃない。
味付けにもこだわっているらしく、毎日、天気予報を見ては、その時々の天候や温度や湿度に適した味に調整しているというのだから、驚きだ。
「天ぷらも美味いなぁ。」
「そう、それは良かったわ。」
僕は女将さんに好意を持っている。
女将さんに好意を持っているのは、僕だけじゃない。
女将さん目当てで店に通ってる人はけっこういるみたいだ。
だけど、女将さんには決まった人はいないという。
小耳に挟んだ話によると、女将さんにはどうしても忘れられない人がいるんだとか。
それには『不如帰』という店の名前が関係してるらしいのだけど、詳しいことは皆目わからない。
そもそも、その噂が本当かどうかさえわからないんだから。
「山ちゃん、おかわりはどう?」
「もちろん、いただきます。」
「はい、ちょっと待っててね。」
たとえ、女将さんが誰かのものになっても、僕はきっとこの店に通い続けるだろう。
こんなに料理がうまくて、居心地の良い店は滅多にないから。
鳴かぬなら、それでもいいよ、ホトトギス
僕は、ずっと、君についていく。
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