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元ナンパ君の純愛 ③
あの飲み会の後、俺は更に仕事を頑張っていた。
主任を含めた先輩の指導のお陰で、半年も経つと分かってきた事も多くて、少しづつ楽しくなってきている。
ただ、彼女とすれ違うことも多くなってきていた。
俺が短期での出張も行くようになってきて、彼女は夜勤もあって…
以前のように会える時間は、確実に少なくなっている。
主任が言うように、1年目は仕事を頑張った方が良いのは確かなんだろう。
だけど、彼女とすれ違ってしまうのは嫌だった。
今も、彼女と会えずに1週間。
電話とかで連絡はしていても、やっぱり直接顔が見たい。触れたい。
だから、ついつい会いたいを連発してしまう。
「お姉さんに早く会いたい。」
「…仕事だし、しょうがないよ。明々後日には会えるんだから。」
「そうだけど。」
気がかりなことがもう一つ。
お姉さんは、自分の気持ちをあまり言わない。
元々思ってたけど、すれ違うことが多くなってきて、それが特に気になるようになった。
会いたい、寂しい。
その類の言葉を、お姉さんが自発的に言うのを聞いたことがない。
俺が聞くから答えてくれるだけ。
…本当は、会いたいなんて思ってるのは、俺だけなのかもしれない。彼女は仕方なく俺に合わせてくれているのかもしれない。
会えないことで、そんなマイナスな考えも浮かんでくる。
そんなわけないと信じてるけど、俺だって不安にならないわけじゃない。
「はぁ…」
「どうしたんだ、溜め息なんかついて。出張疲れか?」
昼飯を食った後、休憩室でコーヒーを飲んでいると主任に声をかけられた。
「いや、ちょっと…」
「悩み事か?」
「まあ…」
「仕事の事か?それともプライベート?」
「プライベートです。」
「そうか。」
休憩時間なのもあって、俺は主任に、彼女とのことを話した。
「なるほどな。まあ、気持ちは分かる。俺もそうだったしな。」
「主任も?」
「ああ。…お前、今日の夜時間あるか?」
「ありますけど。」
「じゃあ、開けとけよ。」
飲みにでも連れて行かれるんだろうか。
主任には、何度か奢ってもらったことがある。
でもその時は、主に仕事の悩み相談だったけど。
終業後、主任にある所に連れて行かれた俺は、驚いた。
「主任、ここって…」
「まあ、入れよ。」
主任に言われて入ったそこは、普通の一軒家。
「おかえりなさい。狭い所ですけど、どうぞ。」
…ここ、間違いなく主任の家だ。
目の前で、笑顔で俺を迎えてくれた女性は、以前主任が見せてくれた奥さんだった。
「…お邪魔します。」
リビングに通されると、まだ小さな男の子がクッションの上に寝かされていた。
そういえば、まだ1歳になったとこだって言ってたっけ。
「あ~、今日は寝てたか。残念。まあ、適当にその辺座れよ。」
「ありがとうございます。」
主任は俺に座るように言った後、すぐにキッチンへと向かい、奥さんと何やら話ながら手伝っている。
その仲睦まじさに、思わず笑顔になった。
本当に、愛妻家なんだな。
「お待たせ。ん?どうした、そんな笑って。」
「いえ、本当に奥さんの事好きなんだなと思って。」
「当たり前だろ。」
「人前でやめてよ、もう。」
後ろから食事を持ってきていた奥さんが、主任の言葉に照れている。
主任と奥さんって、俺とお姉さんにちょっと似てるかもしれない。
「で?彼女とすれ違いになってきて、会いたいとか言われない事が不安なんだったか?」
奥さんと2人で並んで座った主任は、昼間話した内容を繰り返した。
「まあ、はい。そうですね。」
「んじゃ、女性の意見も聞いてみるか。」
「はい?」
「俺もそうだったって言っただろ。つまり、似たような悩みの経験者。うちの奥さんも、寂しいとか会いたいとか全然言ってくれなくて、当時は本当、寂しい思いをしてたんだよ。」
「それはあなたがっ。」
「ストップ。その時どう思ってたか、こいつに教えてやってくれ。俺じゃなくて。」
俺は、思わず奥さんを見た。
彼女の気持ちを少しでも知れるかもしれないなら、聞きたい。分かってあげたい。
「教えてもらっていいですか。その当時の気持ち。」
「そうですね…あの頃は、この人が仕事を頑張ってるのを分かってたので、邪魔したくないって気持ちが強くて。負担になるのも嫌だから、会いたいとか寂しいとかは言えなかった、ですね。」
「負担…」
「あなたの彼女も、きっとそうだと思いますよ。あなたのことが大切だから、自分が負担をかけちゃいけないって思って、我慢してるんだと思います。…本当は、会いたいし、寂しいはずですよ。」
その言葉に、俺は考え込む。
彼女はいつも俺に、無理はしなくていい、と何度も言う。
あれは、俺に負担をかけたくないからだと分かってる。
ということは、会いたい、寂しいと言わないのも、奥さんの言うように我慢しているのかもしれない。俺の負担にならないように。
俺は、自分が不安なせいで、そんな簡単なことにも気付けていなかったんだな。
「負担になんて、ならないのに…」
「それを、ちゃんと言葉と行動で伝えてやればいい。少なくとも俺はそうした。だから、今こうして夫婦になってる。」
「…そうですね。」
不安になんてなってる場合じゃない。
きっと彼女の方が、俺よりも不安なはずだ。
俺を取られるかもしれないって不安は、今でも解消されていないんだし。
ご馳走になった後、俺は自分の家に帰って、彼女にメッセージを送る。
今日は確か、飲み会だって言ってたな。
明日が夜勤で、その次の日には漸く会える。
会ったら、色々話をしよう。
彼女の本当の気持ちを吐き出させて、俺の気持ちもちゃんと伝えて…
そう思っていたら、彼女から電話がかかってきた。
飲み会は終わったんだろうか。
「もしもし?」
「あ、もしもし。ごめんね、こんな時間に…」
「大丈夫だけど、どうかした?何か、声が変だけど。」
「…」
「お姉さん?」
「…会いたい。」
「え?」
「寂しいよ…」
初めて聞く彼女からの言葉は涙声で。
限界まで、我慢していたのかもしれない。
「…今、どこ?」
「家、だけど…?」
「分かった。今から行くから。」
「えっ、でも明日も仕事なんじゃ…!」
彼女は正気に戻ったように焦っていたが、それを無視して一旦電話を切った。
これで会いに行かないなんて、そんなの無理だ。
なにより、俺が会いたい。
一人で泣かせたくない。
急いで家を出た俺は、すぐに彼女の家に向かった。
彼女に会ったら、まずは抱きしめてあげて…
ああもう、どうして電車って時間通りにしか動かないんだ。
そんな当たり前のことにさえ不満を持ってしまうほど、俺は一秒でも早く彼女の所へ行きたかった。
もう何度も通ってる道。
勝手知ったるその道を、最短距離で走り抜ける。
合い鍵で部屋に入ると、彼女はベッドの上で蹲っていた。
俺を見て、驚いたような表情をしている。
本当に来るとは思っていなかったんだろう。
「どうして…」
「あんなこと言われて、来ない方がおかしいでしょ。」
「でも、もうこんな時間なのに…明日も仕事でしょ?」
「関係ないよ、そんなの。」
「ごめんね、私があんな我が儘言ったから…」
「我が儘じゃないでしょ。俺は、嬉しかったよ。」
「え?」
彼女は、どうして?という顔をしていた。
ベッドに座った俺は、彼女の頬を撫でた。
久しぶりに触れる彼女に、愛しさしか感じない。
「俺ね、実はちょっと不安だったんだ。お姉さんが、あまりにも寂しいとか会いたいとか言ってくれないから。」
「え…」
「会いたいと思ってるのは、寂しいと感じてるのは、俺だけなのかなって。お姉さんにとって、俺って案外どうでもいい存在なのかなって。」
「そんなわけない!」
「うん。今は分かってる。我慢、してたんでしょ?」
頭を撫でてあげると、彼女の目に涙が溜まってくるのが分かった。
「負担になりたくなくて…出張に行ったり、忙しいの分かってたから、会いたいなんて言ったら、困らせると思って…」
「うん。ごめんね、気付いてあげられなくて。でもね、別に俺、それぐらいで困らないし、負担になんてならないよ。」
「でも…」
負担にならないと伝えたところで、彼女が戸惑うのは予想がついていた俺は、ここへ来る途中に考えていたことを伝えることにした。
「そんなに俺の負担になるのが心配?だったらさ、もういっそのこと、一緒に住んじゃおうか。」
「…え?!」
「そしたら、会えなくて寂しいなんて感じることもないし、お姉さんも我慢しなくていいでしょ。いい考えだと思うんだけど、ダメ?」
「ダメじゃないけど…」
「じゃあ、嫌?」
「嫌ではないよ。」
「じゃあ決まり。どっちの家に引っ越す?あ、いっそのこと、新しく家探そうか?2人で住むならもうちょっと広いほうがいいよね。どの辺りがいいかな。」
俺がワクワクしながら色々考えていると、急に背中に温もりを感じて振り返ったら、彼女が抱き着いていた。
「ごめんね…それから、ありがとう。いつも、大事にしてくれて。」
また泣きそうな声。
ごめんねには、色々な感情が詰まってるんだろう。
恐らく、面倒くさくてごめんとか、我が儘でごめんとか、その辺りだろう。
「大好きな恋人なんだから、大事にするのが当たり前でしょ。それに、俺がお姉さんと一緒にいたいんだよ。だから、お姉さんは何にも心配しなくていいし、不安にならなくていい。俺が我が儘なだけだよ。」
俺の言葉に、お腹に回る腕に力が籠ったのが分かった。
お姉さんが落ち着いた後、二人でベッドに横になる。
俺の腕の中には、彼女の温もり。久しぶりに感じるそれに、嬉しくなる。
住む家の事や、どの辺に住むかなんて話をしていたら、彼女の方が先に眠りに落ちた。
穏やかに眠るその頬に口づけを落とす。
その瞬間、眠っているはずなのにふわっと笑ってくれたから、俺も幸せな気持ちのまま、眠りについた。
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