⁂  夏の日  ⁂

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

⁂  夏の日  ⁂

 暑い夏の日。 うるさいぐらいに(せみ)の声が続いている。 男は高い塀の内側から出て、外の空気を吸った。 門で男を見送る人達に、男は深々と頭を下げた。 「お世話になりました。」 「暑いから、気を付けなよ」 蝉の声は続いている。 久しぶりだ、こんな蝉の声を1人で聞くのは。 「本当に、お世話になりました。」 「もう、2度と来るんじゃないよ」 ポンと見送る1人が、男の肩を叩いた。 うつむく男の顔に、涙が浮かぶ。 辺りを見渡す。 来るはずの人は居ない。 俺は1人になったんだ。 「失礼します。」 ほんの少しの荷物を(かばん)に入れ、男は歩き出す。            ## どこへ? 戻るべきところ? そんなものが、俺にあるのか。 ピタリ。足が止まる。 繁華街の夕暮れ。当たり前のような日常に生きる彼等。 ドンとすれ違う人ゴミが、肩にぶつかって男を揺らした。 止まった足は動かない。 ぶつかった相手が(ののし)ったが、普通でない男の様子に逆に (おび)えるように去ってゆく。 すれ違いざま、酔った相手のアルコールの臭いがした。  そうだ。たったの3年半じゃないか。 その3年半の間に、どれだけの時間が流れたのだろう。 始めこそ妻や子供たちは毎日の様に、連絡をくれた。 信じてるから。 信じてる? 何をだ? 俺のやったことか。 偶然よ、運が悪かったのよ。               ##  満員電車内の痴漢行為は、現行犯逮捕だ。 そしてその罪は被害者の証言が、最も重視される。 どんなに「違う!勘違いだ」そう言っても、無駄だ。 満員電車の中、その日もうっとおしいぐらいのすし詰めだった。 会社帰りの帰宅ラッシュ。 そこへ次の駅からなお、ドっと人が押し寄せた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!