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水無月が足を踏み入れた娼館は、
本来赤く塗られた両開きの扉、その煌びやかな灯りの向こうに入り口があった。
ただし、水無月が潜るのは果物屋脇にある赤い木戸で、そこを跨げば狭い隙間を数歩行くだけで入口まで直に辿り着いた。
すると今まで鼻をついていた甘い発酵臭は一転、安物の香水とサビ臭い湯、それに洗剤が混ざったような娼館独特の饐えたものに変わる。
戸口の椅子に座る娼婦頭の桃碼が水無月に気づき、スマホから顔を上げて軽く会釈した。
「あいつに客、取らせてないだろうな」
「心配ナイ、ウチは男買う客ナカナカコナイ。
来てもコウさん言う通り、追い返すヨ。ダイジョブ」
入場料を渡す水無月とは毎回同じやり取りが交わされる。
水無月は頷き、桃碼の肩を叩いてから軋む廊下を進んだ。
薄暗い建物の中は幾つもの個室に仕切られているもドアはなく、分厚い布が部屋の内側から中を隠しているだけであった。
最奥の部屋に着いた水無月は、入口に垂れる布を退けて中に入って行った。
「コウさんっ」
狭い部屋のベッド脇に膝をつき、以前買ってやったタブレットを弄っていた李子が笑顔を見せて立ち上がった。
「飯、食ったか?」
李子と呼ばれた少年は水無月の両手を取って嬉しそうに見上げた。
「はい、老婦と一緒に」
「そうか。勉強は進んでるか?」
水無月が訊くと『いつも同じ事を訊くんだから』とくすりと笑い、ベッドに座って再びタブレットを手にした。
水無月を『コウさん』と慕う物静かな彼の歳は、恐らく18より前であろうと思われたが、陽の当たらぬ屋内に長くいるせいか或いは病の為か、ぬけるほど白い肌は青みがかり、落ち着いた物腰に似合う穏やかな声を有していた。
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