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「お願い、出ていって」
投げかけられた言葉に、私は小さくため息をついた。
私の目の前にいるのは、この廃墟には不釣り合いな1人の少女。彼女は可愛らしい瞳を精一杯鋭くし、この先には通すまいとこちらを睨みつけている。
だが、問題はその状況ではなく────
そこに立ち塞がる"少女"の方にあった。
長い亜麻色の髪に混じって、背から伸びている黒や赤のコード。アクセサリーの代わりにぶら下げられた、物々しい計器の数々。
そして何より─────白くか細い腕には不釣り合いな鋼鉄製の銃口。
その全てが、少女の白い肌を突き破って"生えて"いた。普通の人間ではない事は、誰の目にも明らかだった。
「出ていって」
無機質な、それでいて確かに敵意を孕んだ再度の警告。あと1歩でも近づけば、私の体は容赦なく蜂の巣にされてしまうだろう。
(さて、どうしたものか……)
別に、こういった状況は初めてではない。
戦争終結から5年───────国土そのものが順調に復興を進めていく中で、化学汚染や崩落の恐れから未だ解体されていない基地や要塞はまだ大陸の至るところにあった。そういった危険な場所を"掃除"するのが、我々の仕事だ。当然その中には、戦時中から稼動したまま放置された迎撃用のシステムや、自律型機械工兵が残されている事も珍しくない。このミューズ沿岸基地の中で待ち構えていた彼女もまた、そんな戦争の爪痕の中のひとつであった。
「あ、あの、一旦銃口を下ろしませんか? 私達はただ、あなたとお話がしたいだけで…」
私の隣で、相棒のサキが恐る恐る手をあげた。だが、こういう時のサキが役に立たない事を、私はよく知っている。
「話すことなんてない」
やはり無駄だった。
なまじ人の姿をしているせいか、ひょっとしたら話が通じるのではないかとつい錯覚してしまう。が、彼女はドロイド……命令を忠実に実行するだけの機械なのだ。心を持たぬ兵器に、説得など通用するはずもないのだ。
「彼女は無視して、仕事を再開しましょうか」
「だ、ダメ! そんな事したら、この子が生き埋めになっちゃうでしょ!」
「あー…生きものではないので、生き埋めにはならないのでは?」
「そういう問題じゃない! とにかくダメなものはダメ!」
私の腕を掴み、強く否定するサキ。その様子に私は、また彼女のわがままが始まったとため息を吐いた。
そう、私達の依頼された仕事は掃除───────即ち、この基地の解体。つまり、残された幾つかの重要データや機密書類さえ回収してしまえば、あとはさっさと更地にしてしまえばいい。使い古しのドロイドが瓦礫に埋もれた所で、気にする者などいなかった。
「外に乾電池の屋台が来ていると言ったら、どいてくれませんかね」
「……ドロイドって電池が動力?」
「いいえ」
「真面目にやろうよ、ね?」
「……回収したデータの中に、彼女の管理コードはなかったのですか」
ドロイドには、必ず制御用の管理コードが設定されている。今回のようなケースの場合、そのコードでプログラムを書き換え、武装解除させるのが最も安全な解決策だろう。
だが、私の相棒は何故かそれをよしとしなかった。
「え、っと、あったにはあったんだけど…」
先程までの勢いはどこへやら、急に歯切れが悪くなるサキ。彼女は、隠し事が壊滅的に苦手だった。
「な、なに……あ、あんまりジロジロみられたら恥ずかしいじゃーん! ……なんちゃって…」
あからさまに話題を逸らそうとするサキを無視して、私は彼女をまじまじと観察する。すると……やはり。その手に眠る1枚の紙切れを、私は見逃さなかった。
「隙あり」
「あっ」
ひったくるように奪い取る。
果たしてそれは、彼女の管理コード……ではなく、1枚の写真だった。そこには、無感情に立ち尽くすドロイドの少女と、それとは対照的に快活そうな笑顔を向ける人間の少女が映っていた。服装から察するに、彼女もまたこの基地に所属する兵の1人だったのだろう。
よく見れば、裏面に名前らしき文字もある。
少女の名はミソラ。そして、ドロイド──────つまり、目の前にいる彼女の名は、K-MA005 イプシロン。05というと、大戦初期に製造されたかなり古い型番だ。
「…なるほど、これが理由ですか」
「だ、だって、管理コードを入れて私達に従わせるには、メモリを初期化しなきゃでしょう?」
サキが、バツが悪そうに目を逸らす。
言いたい事はすぐにわかった。このドロイドの少女───────イプシロンは、ずっと待っているのだ。写真に映る彼女、ミソラの帰りを。
そしてサキは、そんな彼女の願いを叶えてやりたいと考えている。
「……少なくとも5年経っているのですよ。その間、迎えは来なかった。その意味がわかるでしょう」
「だけど…!」
言葉を詰まらせてしまうサキ。
写真を見る限り、2人の絆が深いものだったのは間違いない。もし生きているなら、真っ先にこの基地を訪れたはずだ。だが、ミソラは来なかった。そしてもし、何らかの理由で足を運べないのだとしても……2人を繋ぐこの場所は、間もなく地上から姿を消す。他ならぬ、私達の手によって。
───────理想が叶わぬ事は、サキ自身が1番理解しているはずだった。
「ごめんなさい……」
それは、思い出と居場所を奪ってしまう事への罪悪感か。それとも、自分の無力さ故か。
小さく呟いたその言葉は、廃墟の冷たいコンクリートに虚しく響いて、消えた。
私もまた、がっくりと項垂れるサキを見つめることしかできなかった。こんな時、どんな言葉をかけるべきなのか。彼女とは随分長く一緒にいるが、その答えは未だにわからないでいる。彼女に何もしてやれない私は、ただ静かに目を伏せるしかなかった。
そんな時だった。
ふと、私の耳に音が流れ込んできた。
それはまるで、泣いている子供をあやすような。
それはまるで、罪人を赦し、諭すような。
それはまるで……やり方を知らない私の代わりに、サキを慰めてくれているような。
「~♪」
───────歌だ。
その優しげな音は、イプシロンの口から発せられていた。それは、人を殺める機械が奏でるにはあまりに優しく、あまりに暖かな音だった。
気がつけばサキも顔を上げていて、私達はしばらくその歌に聞き入っていた。
「私には、人の哀しみはわからない。だけど、ミソラは言ってた。目の前で涙を流す人間がいたら、この歌でその心を癒してほしいって。これは、そういう魂を鎮める歌なんだって」
銃口を下ろしたイプシロンが最初に話したのは、あの歌の事だった。それから、この基地で起きた出来事を滔々と語っていく。
ミソラと初めて出会った日の事。
ミソラが教えてくれた、人の心の事。
それからしばらくして、敵軍の襲撃によって基地が放棄された事───────。
「ミソラは、戦い方よりも他人の為になる事ばかりを私に教えた。……でも何故? 他人の為になる事は、人間にとってそんなに大事な事?」
首を傾げるイプシロンの瞳は、純真そのものだった。まるで、本物の心があるみたいに。物心ついたばかりの子供は、きっとこんな感じなのだろうと思った。
「あなたの相方だってそう。自分の任務より、私の都合を優先しようなんて……どうかしてる」
それに対し、私はわざとらしく目線を逸らす。その視線の先では、サキが電話越しに何度も頭を下げている。
ミューズ沿岸基地の処遇は、解体から放棄へと変更がなされた。それは他でもない、サキがイプシロンの為に上層部と掛け合い、尽力した結果であった。
帰ったら、今度は直接上司に怒鳴られるのに。報酬もなくなるのに。
「……私にも、わかりません」
私にとっても、それはあまりに難題すぎた。ただ、ひとつ言えるとしたらそれは……。
「でも、そんな所が……人の愛おしい所、らしいですよ」
人の心は、あまり合理的には作られていないという事。
「あーあ、帰ったら始末書だなぁ……」
ミューズからの帰路、サキががっくりと項垂れる。自分で招き入れた結果とはいえ、やはり責任を負うという行為は負担はかかるし、辛い。
「始末書で済めばいいですけど」
「こわっ!? 怖いこというな!」
「まあ、書類の片付けは手伝いますよ。一応」
「一応じゃなくてちゃんと手伝って欲しいんだよなー」
いつも通りのやり取り。そのあまりの変わり映えのなさに、私はくすくすと笑ってしまう。平和なひととき。こんな時間が、永遠に続けばいいのにと思う。
ふと私は、歩いてきた道を振り返った。夕日に照らされ、遥か遠方に鈍く光るミューズ基地。時が止まったかのように錯覚させるその光景を眺めながら、私はイプシロンが別れ際に託したある願いを思い出していた。
「この歌の事……外に出ても覚えていてほしい。もうこの歌を知っているのは、ミソラに近しい人間と、あなた達だけだから」
イプシロンは、これで幸せだったのだろうか?
これからも彼女は、あの寂れた廃墟の一室で還るかもわからない主人をずっと待ち続ける。何年も。何十年も。永遠に叶わない夢を求めながら、無限に繰り返される虚無の1日。彼女がもし、普通の人間だったとしたら……それは死ぬより辛い事だったかもしれない。
だが、彼女はドロイドだ。だから、何の疑問もなく待ち続けるのだろう。いつか、約束を果たすまで。いつか、その体が朽ち果てるまで。
「もし、私が急にいなくなったりしたら……」
不意に、サキが思考に割って入ってきた。その声色はいつになく神妙な面持ちで、私も思わず面食らう。
「もし、私がミソラさんのようにいなくなったとしたら……アナタは、どうする?」
夕日に彩られたサキの瞳に、僅かな不安が影を差す。そんな彼女の表情を目の当たりにした瞬間、私はようやく、イプシロンの幸せを理解できたような気がした。
私は、あの歌がそうしたように、サキの体を優しく包み、抱き寄せた。
「私は、K-MA024 オメガ───────あの歌の事も何十年だって覚えていられますし、あなたの事も何百年だって待ちますよ」
夕日が沈み、止まっていた時間は再び動き出した。仄かに月が光を帯びてきたその下で、私の腕の中にいたサキはくすぐったそうに僅かに身動ぎしていた。
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