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泡として、浮かぶどんな記憶にも全て夏希が写っている。コートの脇で応援する夏希、授業参観に無理矢理出席する夏希、ソファーで寄り添い気づけば寝る夏希、どれも皆、明るく楽しい、かけがえのない幸福の記憶だ。秋斗は記憶の間を縫って、グングン前に進んでいく。
変身のステージが進み、夏希の記憶が流れ込む。どの記憶にも、全て秋斗が浮かんでいる。サッカーのチームメイトに囲まれて嬉しそうに笑う秋斗、キッチンに一緒に立って料理を手伝う秋斗、公園を並んで一緒に歩く秋斗、どれも皆、明るく笑い、幸福が泡の中から滲み出る。秋斗はさらに加速して奥へ奥へと進み続ける。
やがて記憶の泡は黒くなり、負の感情が辺りを包む。秋斗は決して臆することなく、記憶の中を飛んで行く。シャボンの数がグッと減り、行く手には巨大なシャボンが姿を現す。暗黒の、黒い光で周囲を照らし、怒りや悲しみあらゆる悪い感情が、さながら黒い刃のように秋斗に向かって襲い掛かる。少年は大きなシャボンを作り出し、巨大な黒い記憶の欠片を優しく包み込んだ。
二人の記憶は融合し、溶け合い混ざり秋斗の胸を満たしていく。夏希が隣にいるよりずっと近くに感じられる。そこに君がいると言う感覚を、夏希も感じているのだろうか。白く、眩い光が差し込んで、秋斗の意識は現実世界へ引き戻された。
透明のバイザーが彼の視界を埋め尽くす。輝く青の光が灯り、Harmonixと表示された。
「ハーモニクス。これが私達のライダー名。人の心に調和をもたらし、闇を払う光の象徴」
秋斗は銀の籠手を見下ろして、両手を強く握りしめた。正面の四体ものネガティブが、秋斗に向かって振り返る。怒り、呆れ、哀しみと、その背後には絶望が目だけの頭をゆっくりもたげる。
10に少数点が付き、三つのゼロが後ろに続く。落ちきった、砂時計のアイコンが数字の背後に浮かび上がり、二人の用意を待っていた。
「秋斗、記憶の共有がされているからわかっていると思うけど変身していられるのは」
「わかってるよ。俺はたったの10秒か」
「たったの10秒じゃぁなくて、10秒も変身していられる。それってとっても凄いことだよ」
「知ってるよ! 冗談だって。アイツらなんか10秒あれば充分だ!」
砂時計が反転し、カウントダウンが開始する。生身より、身体は驚くほど軽く、内より湧き出す力が秋斗の身体を包み込む。秋斗は何度か軽くジャンプして地面を蹴りつけ走り出した。
ハーモニクスは砂を高く舞い上げ助走をつける。ベルトが青く光り輝き、サッカーボールを作り出す。秋斗は敵をしっかり見据え、ありったけの力を込めてシュートした。ボールは地面に直線を残し、ネガティブと低空を飛び突き抜ける。ネガティブの黒い靄のような身体は、ボールの光に包まれて、みるみる霧散し消えて行く。
シュートした勢いのまま二体目のネガティブに向かって飛び蹴りを入れる。蹴りは頭部に命中し、そのまま踏みつけ地面を滑る。膝をしっかり曲げながら、両手でしっかりバランスをとる。停止したネガティブを踏みつけ一歩で最高速度に達すると、高く飛び、空中で回し蹴りを三発入れた。赤い目のネガティブが遠くに蹴り飛ばされて塵となる。反動で地面に大きな弧を描き、三点着地を綺麗に決めた。
「すごい、身体が思ったように動く」
「秋斗、まだあと一体残ってる!」
最後のネガティブの位置をバイザーが告げる。ハーモニクスは顔を上げると、ネガティブが空中を滑り迫り来る。秋斗はゆっくり立ち上がると、周囲を見渡した。
「夏希、ライダーキックとか無いの?」
「無いよ、そんなの」
夏希は面白そうに言った。もし本人の姿を見ることができたなら、絶対笑っていただろう。それ以前に、彼女はいつも笑っているが。
「大丈夫、その代わりに使える物がちゃんとある。私の記憶も残っているなら、それが何か分かるはず!」
「わかったよ。夏希、やってみる!」
残り時間が三秒を切る。ハーモニクスは迫るネガティブをしっかり見据え、一文字たりともずれる事無く二人は同時に叫んだ。
「暗い気持ちは明るく笑って噴き飛ばせ! バーストモード!」
3。
ハーモニクスは迫るネガティブに向かって風をも引き裂き走り出す。長きに渡る残像を溢れる光が作り出し、青き粒子の奔流が火の粉のように舞い上がる。
2。
ネガティブと、ハーモニクスが衝突し光と風と砂塵が周囲を包み込む。
1。
湧き上がる砂塵の中からネガティブが回転しながら打ち上げられる。追ってハーモニクスが飛び出すと、縦に一回転をして頭の上で蹴り飛ばした。
0。
ネガティブがゴールネットを引き延ばす。ハーモニクスの着地と同時に砂塵は四方へ吹き飛んで、深紅の夕暮れの中を青い光が舞い落ちていた。
「お疲れ。かっこよかったよ」
変身が解け、力が急に抜け落ちた。立っている事さえもままならず、大の字で転がったまま、秋斗は横にしゃがんだ夏希の顔を見上げる。
「夏希。なんか俺、動けない」
彼女は立って手を差し伸べる。秋斗はその手を掴もうとしたが、身体は全く言うことを聞かず、ほんの数センチだけ持ち上げるのが限界だった。
「バーストモードは負担が大きいからねぇ。変身時間30秒分だよ、30秒! 心的疲労が秋斗の身体にも影響を与えてる。ほら、おんぶしてあげる」
「いいって! 俺もう六年生だぞ!」
「だからって、こんなところに転がしておくわけにもいかないでしょ? ほーら」
彼女は有無を言わさずに、秋斗を自分の背に乗せる。何度もフラフラよろめきながら、夏希はゆっくり歩き出す。
「夏希、ごめん。あと、ありがとう」
秋斗は顔を背に埋める。茜色の太陽が彼の頬を照らしあげ、異様に熱く火照らせた。
「いーのいーの。それも信頼の証なんだから。帰ったらご飯にしようか。お腹空いたでしょ」
少年が小さく頷くのを感じ、夏希は思わず口元を緩める。太陽と入れ替わり昇る東の月が、赤い光で二人を包み込んでいた。
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