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1.Harmonix
正面から迫る敵を紙一重で躱し、全速力で駆け抜ける。サイドから一気に上がり、二人、三人と巧みな足さばきで抜けていく。
シューズに当たるサッカーボールが、秋斗の身体の一部のように、着かず離れず宙を舞う。右へ左へフェイクを噛ませ、新たに一人抜き去った。
目指すはゴール、ただ一つ。残るは一人のキーパーだけだ。秋斗は大きな動作で地面を蹴って、相手キーパーを飛び込ませた。
透き通った笛の音が秋の空気を震わせる。ボールは鋭くゴールに飛び込み、ネットを突き抜け転がっていく。
「秋斗、ナイスシュート! イェーイ!」
コートの脇のベンチから、激しく手を振る少女がいる。コートの外まで聞こえるような黄色い声で、大きな声援を送っていた。
自分以上に激しく喜ぶ彼女に目を向け、目を逸らし、シャツの襟で汗を拭く。自らのポジションに戻りつつ、ずれた眼帯を片手で直した。
コートのほとんど中央に立ち、開始の合図が響くのを待つ。残り時間はあと三分、一点の差だがリードしている。このまま守れば勝てるだろう。
開始の合図が轟いて、相手選手が動き出す。ボールを取ろうと近づいた時、相手は遠くへ高く蹴り上げた。
オフサイドとなるギリギリで、敵の一人がボールを受け取る。しまったと思った頃にはもう遅く、油断していたキーパーを容易く抜いき去りシュートを決めた。一瞬の内の出来事にだから仕方がないと、皆口々に言い合っている。中でも怠惰な動作でゴールに戻るキーパーは、全く悪びれた様子も見せず、むしろ腹立たしい程の笑みを浮かべているのだった。
「頑張れー! まだ時間はあるよー!」
少女の声を耳から追い出し、足でボールを中央に留める。両手を強く握ったまま、秋斗は左右に目を向けた。チームメイトが上がっており、彼のパスを待っている。彼は小さく舌打ちをすると、高らかに響く笛に合わせて一気に走り出した。
ボールを下から蹴り上げて、額で前へと押しやった。敵のを一人抜き去って、胸元で受け止め、蹴り転がしていく。慌てて着いてくる味方を尻目に、秋斗はぐんぐん速度を上げる。正面に加え両サイドから、敵が迫り行く手を阻む。完全な壁を成すより先に、ゴールを目がけてシュートを放った。
激しい横の回転に、ボールが左右に引き伸ばされる。地面にカーブの軌跡を残し、ボールはゴールへ向かって行った。
あまりの速度に取るのを諦め、相手キーパーはダイレクトに蹴り返す。インパクトの瞬間に打撃音が轟き渡り、遥か頭上で綺麗な放物線を描いていく。取って返してボールを見ながら、自分が取るぞと秋斗が走る。ボールは直上、振り返っている暇はない。ボールが接地するより早く、秋斗は飛んで頭の上より後ろへ蹴った。
衝撃がシューズを通じて身体に伝わる。空中で、バランスを欠いた秋斗の身体は、味方の一人にぶつかって、激しく地面にもつれ込んだ。
背中の痛みを堪えつつ、秋斗は何とか立ち上がる。そんな彼のすぐ傍らを、相手は秋斗に目もくれず、まるであざ笑うかのようにボールを運んで行った。
秋の空に、無情な笛が鳴り渡る。
結局相手はゴールを決めて、同時に試合が終了をした。諸手を上げて喜ぶ相手を尻目に、秋斗は鋭く鼻を鳴らす。最後にコートでお辞儀をすると、一人先に少女の元へと戻ってきた。
「おつかれ、惜しかったね」
少女は秋斗に水筒を差し出す。彼は蓋を雑に開けると、一思いに飲み干した。
「別に。勝てた試合だった」
タオルの中に顔を埋める。日差しによって暖まったそれは柔らかく、洗い立ての香りが心地よい。
「おい、秋斗。謝れよ。お前のせいでこいつ、怪我したぞ」
タオルで目元を強く抑えて、ようやく彼は顔を上げる。ぶつかった時にスパイクが当たってしまったのだろう。眉の一部が深く傷つき、大量の血を流している。タオルを真っ赤に染めあげながら、消毒液に呻きを上げた。
「はぁ? 知らねぇよ雑魚が」
「知らねぇじゃねぇって。お前がぶつかってきたからだろ? もう少しでコイツ、失明するところだったんだぞ」
消毒を終え血の流れが穏やかになる。こうして綺麗にしてみれば、傷そのものは極めて小さく、騒ぎ立てる程でも無いが確かにチームメイトの言う通り、一歩違えば眼球を傷つけていたかもしれなかった。
「片目ぐらい別にいいだろ」
「秋斗、怪我させちゃったんなら謝らなきゃダメだぞぉ?」
少女はあくまで明るく言った。そんな彼女を小バカにするように、秋斗は鼻を鳴らして眼帯を直す。彼の名を改めて少女が口にしたとき、秋斗は言葉を遮り言い放った。
「夏希うざい。ライダーだからって正義の味方気取りかよ」
「ちょっと、秋斗! ライダーじゃなくてもみんな同じことを言うと思うぞぉ?ちょっとぉ? 聞いてる?」
彼はタオルを首から下げたまま、一人でコートを後にする。そんな彼の後姿を、目で追いつつも少女は両手を合わせ、彼らに深く頭を下げた。
「本っ当に、ごめんね。秋斗には私から言っておくから、今度またお詫びさせて!」
「ちょっと、悪いのは夏希さんじゃないですよ! って。あぁ、行っちゃった」
夏希はコートの脇をひた走り、フェンスの扉に手を掛ける。ハーフラインからコーナーまでの、わずか数十メートルを走っただけで、早くも息は上がりきり、両手を膝に着くほどだった。よろめきながらも土手を登る。秋斗は早くも自転車をこぎ出しており、既にその姿は指先程まで小さくなっていた。
体力のなさを恨みながら、彼のスマホに電話を掛ける。十回もコールを聞いてから、ようやく彼の荷物はコートである事を思い出したのだった。
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