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 それから私と翔は路上ライブのために彼の家で一週間練習した。彼の完璧とも言えるギターの音に邪魔になるのでは、と内心不安な気持ちで彼に聞いたことが一度だけあった。 「翔、自分でいっておいて悪いけれど、私、本当にうまくできるかな?」 ギターをチューニングしていた彼は、私の質問に自信に満ちた顔で返してくれた。 「心配すんな。菫なら、きっとうまくできるさ。」 「翔はいつもそういってくれるけど、あなたはなんで私じゃないとダメ、とか言ったの?」 ギターのチューニングを終えたか、彼は軽く弦を弾いて言った。 「うん、歌うとき、お前のその幸せそうな表情がとても気に入ったのさ。こんな人と音楽ができたらきっと楽しいだろう、そう思ったんだ。」 翔は恥ずかしいのか頭を掻いた。その姿が、少し胸が踊った。そして、自分も言わないといけない、と思い切って言った。 「私も翔じゃないとダメ。」 「なんで?お前こそ、ギターが上手い人ならいくらでもいるぞ?」 その顔に少しだけ浮かんだ不安を、私は逃がさなかった。彼は不安なのだ。自分じゃないといけない理由を、彼自身は見出せないのだ。 ばかな人だ。大馬鹿者だ。理由なんて、とても簡単で誰も分かれるはずなのに、たとえそんな理由なんてなくても私が彼から離れるなんて、ありえないのに。 「そりゃ、当たり前でしょ?私が必要だって言ってくれたのは、翔がはじめてなんだか 「でも、それはただ俺が運かよかっただけで、もし他の人がお前のことが必要だって言ってたら…」 「うるさいの。自分のこと、もう少し信頼してよ。あなたはただ運がよかったってことだけじゃない。これは、きっと運命みたいなものなんだから。」 「あ、うん…ありがと、菫。」 彼は照れてるのか、顔が真っ赤になった。 「何で今まで誰も菫の素敵な声に気づいてくれなかったんだろう。」 「そんな、それほどではないよ。きっと。」 「いやいや、本当だって。」 「褒めても何も出ないよ?ほら、恥ずかしいからやめてよ。練習、するんでしょう?」 彼は悪戯っぽい笑顔でギターを持った。 「そうそう。翔。考えてみたんだけど、あれ、修正したほうがいいかも。」 「うん?どこ?」 翔はノートを広げて私に見せてくれた。指でどのあたりかを指したところで、どんな感じで修正したらいいか上手く説明できなくて、私は鼻歌を歌った。 「ふん~ふんふんって感じでしょう?これを、ふんふん~ふん、って感じで。どう?」 あんまりな説明なんだけれど、彼はギターを弾いて私が思ったメロディーをそっくり弾いてみせた。 「こう?」 「うん!うん!それだよ!すごい!私たち、気が合うね!」 心が通じ合った、という喜びに、身が震えるほどだった。 「やっぱり、あなたと私は、本当に気が合う。もしかしたらソウルメイトなのかも。」 「ソウルメイト?」 「そう。魂が通じ合う仲間。」 「いいな。俺もそう思う。一緒に演奏していると、お前の考えることが伝わるような、そんな気がする。」 「そうそう。演奏するときに、目を合わせるだけで何が言いたいのかわかる。」 翔もそう思ってくれているなんて、本当に嬉しかった。 「そう言えば、お前は彼氏とか、いない?」 「ふえっ?」 少し間抜けな声がでてしまった。彼氏なんて、考えてもしなかった。彼氏どころか、友達もいなかったんだから。 「いないよ。っていうか、一度もなかった。」 「そっか。」 彼は淡々と言ったが、その目から安心と混ぜられた嬉しさを感じとったのは、自分の錯覚なんだろうか。 「そ、そういう翔は?」 「俺?」 その目から戸惑いが見えた。硬直した彼の表情に、困惑が浮かんだ。 あ、聞かないほうがいいかも。そう思ったときには、もう遅い。 「中学時代にはいた。今はいない。」 「ふうん…そうなんだ。いたんだ。」 この反応、絶対可愛くない。もしかして私、妬いてるのかな。私にそんな資格なんてないのに。 それなのに、自分と違って他人から愛されてきた彼のことが、率直に言って羨ましかった。なぜ自分は彼のはじめにはなれないのか、私より先に彼を愛した人に妬いてしまう。 彼と私は、絶対分かち合えない。 こんなんじゃきっと嫌われるだろう。彼女でもないくせに。負担をかけるかも知れない。 「あ、ごめん、私、今日はもう帰らないと。」 何言ってんの、私は?!これ、絶対可愛くない。可愛くない可愛くない可愛くない。 自分がいいたいのはそんなんじゃないのに。心とは裏腹に体は動いてしまう。 縫い目がほころびた心は、血を流しながら彼から逃げるように離れた。
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