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今日はついにライブの日。朝、陽菜にコーディネートしてもらってからセンターを出た。 歌詞を忘れないようにボロボロになるまでみた手帳を出して空き地に向かう終始鼻歌を歌った。 今日は稀なことに私が翔より早く空き地についた。 ちょうど空き地は当たり前ながら誰もいないから、歌うのに最適な場所だった。 声を整えて歌おうとする瞬間、誰かが私の肩に手を乗せた。振り向くと、翔が私に向けてにっこり笑っていた。 「声の調子、どう?」 「あ、翔。来たのね。うん。大丈夫。」 「今から大勢の人の前で歌うんだぞ?本当に大丈夫?」 少し気の迷いがしたが、彼の目を見ると何故か自信がついた。 「うん。大丈夫。あなたが一緒にいてくれたらね。」 「んじゃ、行くか。お嬢さん。」 差し出された右手を掴んで、駅へと向かった。心配事は、少しのしばらくしまっておくことにした。 彼の手を握って駅へと向かう終始、なんらかの違和感がした。おかしい。何がおかしいのかすらわからないのがおかしい。 なんていうか、いつもとは何かが違う。モヤモヤした気持ちに耐えきれず、彼を横目で見上げた。 「翔、今日、なんかおかしくない?」 彼は全くわからないという表情で首を横に振った。 「さあ、なんのことかな?」 「ううむ、何んかムズムズする」 私が足をバタバタさせながら彼を上目遣いで見ると、彼は私の頭を撫ででくれた。 「なんか、落ち着けないからじゃない?」 「へっ?あ、うん。そうかも。」 彼が私の頭を撫でると全身の緊張が解けた。 気持ちよく撫でられるまでは良かったが、何がおかしいのか気づいてしまった。 彼が私の頭を不器用に撫ででくれるところで気づいてしまった。でも、私はそれを敢えて言わなかった。 昼頃すすきのに到着した私たちは適当にライブに適した場所がないか探った。 土曜日だからかな、人々でいっぱいでライブに適した場所をいくつか見出せた。 ちょうどいい場所を見つけた彼が私を呼んだ。 「あそこ、いいかも。」 「うん。で、いつライブするつもりなの?」 彼は顎に指を乗せて唸った。 「多分、夕方ぐらいでいいんじゃないかな?」 「じゃあ、それまで何しよう。」 そんなの決まってるんだろう、と言わんばかりに彼は私の手を引いた。 「そりゃ、練習だよ。」 「そりゃ、そうだけど。どこで?」 「カラオケでも行くか。」 「えっ、カラオケで?」 「防音もしっかりできてるし、ギター持ち込めるところもあるんだからさ。」 そっか、その手もあるのか、と思った。 カラオケなんて、友達のいなかった私にとっては夢の中の夢のようなところであって、ほとんど行ったことはなかった。 カラオケに入り、ギターを取り出した彼は私に目をやった。私が歌いはじめると、彼はギターを私に合わせて弾いてくれた。 先日そんなことがあったというのに、彼のギターに迷いはなかった。 それに比べて、自分の声はとても不安定で、歌詞を間違えたり、ミスしたりした。おかしい。昨日まではちゃんとうまくいったのに。 翔はギターを弾くのをやめ、私を心配そうな顔で見つめた。 「菫、大丈夫か?」 「ご、ごめん。もう一回お願いしてもいいかな?」 「じゃ、いくよ?」 何回繰り返してみても、私のミスが続くと、翔は焦った顔を晒した。 こんなんじゃ彼の足纏にしかならない。こんな情けない私に、彼は相変わらずの優しい顔で慰めてくれた。 「うん…お腹でも空いた?何か頼もうかな。」 彼はメニューを開いて何がいいか悩んでいた。そんな彼に、私は思い切って言った。 「ねぇ、翔。昨日は…ごめん。どうしても昨日のことが気になって…」 翔の顔が一瞬固まった。あっ、これ言っちゃいけなかったのかな。 気まずい雰囲気の中で、彼が口を開けた。 「うん?なんのこと?」 「だから、昨日の…」 「あ、パスタもある。食べる?」 慌てて彼は私の話の先を折った。言いたくないのかな。やっぱり、私のこと、身勝手な子だと思ってるのかな。 怖かった。 私は彼の言葉だと、てっきりそう思っていたのに。彼に妬いて彼を傷つけてしまった。 それなのに、彼は私なんかに気を配っている。その優しさに、仕方がなく甘えてしまう。わがままを言ってしまう。 「私、怖かったの。私があなたの一番にはなれないのかなって。だから…」 彼は私の顔の色を窺っては立ち上がった。 「ねえ、菫。」 「う、うん?」 「悪い、その話は、後にしてくれないかな?」 彼の本当に申し訳なさそうなその顔は、寂しさが宿っていた。 「ごめん…」 私が俯くと、彼は私の頭をそっと撫ででくれた。予想外の反応に彼を見上げると、彼ははにかんで笑った。 「俺にも色々あってさ。でも、これだけは知ってほしい。確かに君は俺の最初ではないかも知れない。けれど、君はきっと俺の最後だ。そう信じてくれたら嬉しいな。」 その一言に、私の心は救われた。そう。彼の最初にはなれない。けれど、最後にはなれる。 きっと、まだチャンスはある。そう思うと、心は少し軽くなった。
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