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 店を出た俺と菫は彼女の提案に従いカラオケに向かった。自分は知ってる歌がほとんどないから、といいながら彼女は俺にマイクとリモコンを渡した。 「俺の歌、あんまり上手じゃないのは知ってるんだろう?」 「でも、私はあなたの歌、好きなんですもの。」 特に意味を持って言ったわけではないだろうけれども、彼女の好き、という言葉一つに仕方なく胸がドキドキした。別に深い意味はないだろうと自分を責めながら落ち着こうとしても、彼女と目が合うと胸は高鳴るだけであった。 最善を尽くして好きなバンドの歌を終わらせたら、菫はにっこりと笑い拍手をした。笑う彼女の顔は一層可愛く見えて、なるべく彼女の顔を見ないように視線を回した。 結局、カラオケでは俺の独り舞台が続いてしまった。彼女の声をもう一度聞きたかった俺の目的は失敗で終わったけれど、それでも十分楽しかった。 カラオケを出たからは、すすきののあちこちを歩き回りながらおやつを食べたり、ウィンドウショッピングをしながら過ごした。彼女の門限のせいで駅へと向かう途中、歌声が聞こえてきた。 足を止めて声がする法へと顔を向けると、ギターを弾きながら路上ライブをする人たちが目に入った。 「面白そう。見ていこう!」 菫は俺の手を引っ張って人並みの中に潜り込み、ライブを見つめた。 「わぁ、上手い!翔もあんな風に人の前で演奏したりしたこととか、ある?」 別に悪意があってのことではないだろうけど、その質問によくない記憶が浮かんでしまった。 「うん。あるには、ある。」 最大限に堪えようとしても、感情は言葉にいっぱい染み出していた。こんなことも我慢できない俺は、やはりまだただのガキだ。 「…翔?」 彼女の手を離してじっと立っていた俺のことをみて、彼女が俺の名前を呼んだ。俺はただごめん、と呟いて彼女の手を引いた。 「ごめん。もう帰ろう。」 「なんで?まだ時間はある…」 ライブがよほど見たかったのか、菫は俺の手を引きもう一度人々が集まっているところへ向かおうとしたが、完全に固まってしまった俺の顔を見て足を止め、手を離した。 「ご、ごめん…」 俯いた彼女に、俺ははじめて自分の記憶のことを語ることにした。そうでもしないと、水を差したようなこの気まずい雰囲気をどうにもできなさそうだっだ。 帰りの電車の中、俺は顔を下げた彼女に向けて口をゆっくりとあけた。 それは中学3年生の時のことである。他の人と何の変哲もない普通極まりの生活を送っていた俺はそれなりに自分に満足しながら過ごしていた。 その頃までは、友達もいっぱいいて、勉強も自分なりに頑張りながらギターの練習に夢中になっていた、おそらく自分の人生の中で一番充実とした時間ではないかと思う。 当時の俺には、今みたいなネガティブなポリシーも持たず、自分について自信感で満ちていた。頑張ればいつかは報われると信じていた。 そんな思いは、俺を嘲笑うかのように一瞬で崩れてしまった。 3年間やってきたギターの腕に自信感がつく頃、ちょうどいいタイミング、というべきだろうか、文化祭が開かれた。 他の生徒と音楽を分け合ってみたい、という気持ちだけで俺ははじめて他人に自分が音楽をやっている事実を明かし、文化祭に出ることを決めた。 歌が上手くないのは承知の上だ。それでも、俺は喉が裂けるくらい練習した。こんなに頑張ると、誰かは気づいてくれるだろうと、そう信じながら文化祭の日まで、俺は指が擦りむけ喉がぼろぼろになっても練習をやめなかった。 そして文化祭の当日、俺は一人ギターを担いで舞台に上がった。何度も手を加えて加えた自作曲を、呆れるほど練習して来た。 そう自分におまじないをかけ、俺は歌いだした。いい感じがした。今までの練習の時よりも上手くいった。目を閉じ、俺は最後まで必死に歌った。 最後まで歌い終え、目を開けると、宇宙みたいに暗い瞼に隠されていた現実が現れた。 俺に向けられたのは、熱き歓声でも、だからといって気の抜ける野次でもなかった。 完全な無関心。それが俺の音楽に対する評価だった。居眠りする人、自分たちだけで騒ぐ人、携帯をいじる、数多くの、人々。 全ては完璧だった。ギターも、歌も自分が出せる、最高の音だった。こんなはずがない、と俺は逃げるように舞台を後にした。 俺の次の番のバンド部のボーカルが学生の間で大人気の曲を歌って歓声につつまれるのを、舞台の裏側で見つめていた。それになってはじめて、なにが間違ったのかを知った。 俺には、才能がない。俺の声は、人の注目を全く引けない。俺は、一度聞いたら、もう二度と忘れられないそんな声の持ち主ではなかった。何度聞いても、振り向いたらすぐ忘れてしまいそうな、そんな色のない声。 ライブを終えたバンド部のボーカルは俺に視線を一回投げては仲間と騒ぎながら俺の横を通り過ぎた。それまでの俺が死を告げる瞬間だった。 俺のつまらない話を聞いた菫は、涙を浮かべた。こんなこというべきじゃなかったのかな、と後悔したが、彼女は俺の両手を握って俺の目を見上げながら言った。 「いいこと思いついた。私たちも、一緒に路上ライブしよう!」 「菫、お前俺の話聞いてた?」 聞き間違えたのかな、驚きながら彼女に聞いたが、彼女の目はどんなときよりも真面目だった。 「聞いたよ。ちゃんと聞いたからそういったんだよ。」 「なんで?」 「そんなことがあったけど、あなたは音楽を諦めなかった。それだけ、あなたは音楽が好きなんです。」 胸が針で刺されるかのようにちくちくとした。 「でも、路上ライブをするには、俺は歌が下手すぎる。」 「翔こそ、私が言ったこと、ちゃんと聞いてた?一緒に、するんだよ。」 「どういうこと?」 「私が、あなたの声になって歌います。」 菫は言そういった。その言葉がなぜそんなに頼もしかったのか、分からない。分からないが、もう一度勇気を出せる気がした。繋いだ彼女の手は、もう冷たくなかった。 「明日から、二人で頑張ろう。」 センターに菫を送ってやる途中に、彼女は両手を握り締めながらそういった。 「じゃ、お前のために曲を作ってこなくちゃ。」 「本当?」 彼女の大きな目が好奇心いっぱいの目で俺を見つめた。 「ロマンチック過ぎるか?」 「うん。ロマンチック過ぎるよ。」 俺と彼女は互いを見つめ合い、くすくすと笑った。日が暮れて暗い街灯の下で彼女を見送って家へ帰る道は、もう寒くなどなかった。  降り積もる雪の結晶が、月の明かりを受け星とともにきらきらと光った。
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