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菫
センターに着くと、私の手は赤くなるまで冷えていた。そういえば、翔、かなり薄着だったんだけど、帰り、大丈夫かな?巻いてるマフラーでも渡しておけばよかった。
料金を払えなくて停止になってしまった携帯で彼が教えてくれたIDを丁寧に入力した。
検索のボタンを押すと、氷室 翔、と彼の名前が現れた。
別に大した事をしたわけでもないのに、ため息が出た。
空っぽの友達リストに彼の名前を上げ、なんとメッセージを送ればいいか迷っていると急に携帯が鳴った。
馬鹿みたいに携帯を床に落とした私はどきどきする胸を抱え携帯をゆっくりと持ち上げた。
「なになに、菫、彼氏でもできた?」
同じ部屋を使う女の子が二階ベットから顔を出してからかうように聞いた。
彼女の名前は田辺 陽菜。この数日間センターの人々とちゃんと会話もできなかった私に唯一先に話をかけてくれた、はじめてできたたった一つの友達だ。
あ、翔がいるから一人じゃないかな。
私は陽菜に見えないように携帯を掌で隠した。
「そんなんじゃないよ。男の子は合ってるけど。」
なぜか顔が熱くなった。そんな私の様子が面白かったのか陽菜が梯子を降りて私のすぐ隣に座って携帯を覗き込んだ。
私は、まるでびっくりばこを開くかのように携帯の画面を見た。
「菫、翔だ。ちゃんと帰れたか?」
「うん。あなたは?」
「まだ帰る途中。」
「気をつけて帰ってね。」
彼にメッセージを送ると、なんだか緊張がとけてしまった。そんな私の手から、陽菜が携帯を私の手からさっとひったくった。
「陽菜!」
「いいじゃん。菫、あんた子のことうまくいきたいんでしょ?」
携帯を取り戻そうと伸ばした手を押しながら陽菜が言った。
「そ、それはそうだけど…」
「じゃあたしに任せなさいよ。菫って他はいいけどかわいげがあんまりないんだから。」
陽菜はため息をつきながら携帯を勝手にいじった。固唾を呑みながら見つめていた私に陽菜は携帯を返しながら言った。
「デートの約束取っておいたよ。えらいでしょ?」
「えええっ???」
悲鳴に近い声が飛び出した。おかげで、静かにしなさい、と先生から小言をいわれた。
先生が出るか出ないか、私は陽菜に飛びついた。
「なんでぇ?いつにしたの?」
「あんたの性格でデートの約束なんて取れるわけがないでしょ?だから少し手伝ってあげたの。あ、デート、今週の土曜日だからね。」
確かに自分の性格じゃデートの申請なんてできないけど、いきなりデートを申請したら負担をかけるのではないかな、と心配もした。
陽菜はそんな私の肩を軽く叩いて大丈夫、と言ってくれたが私の心配はそう簡単には消せなかった。
次の日も空き地に行くと、思い通りに翔がギターを弾きながら歌を歌っていた。
一点の非の打ち所がないギターの音と少し下手だなーと思えるぐらいの彼の歌声が私の耳に楽しく入った。
ゆっくりと彼に近づきおはよう、と挨拶をすると彼は私に気づいて手を振った。
「今日も来たんだ。菫。」
「うん。来ちゃいました。」
私がベンチに座ると、翔はギターのケースからノートを一本取り出して私に渡した。
「これ、自分で作った自作曲なんだけど、みてみる?」
自分で言っておいてすこし恥ずかしがる彼の様子が可愛くて、自然に笑顔になった。
「本当?みてもいいの?」
「うん、いいよ。」
私はノートを広げた。ノートには五線譜に音符と意味のわからないアルファベットが並んでいた。
「ご、ごめん私、楽譜読めないんだ…」
あっ、すまん、と彼はノートを見ながら、ギターに手をついた。
「じゃ、俺がギターを弾きながら直接歌ってみる。」
私が頷くと、甘美なギターの旋律が冷たい空気の中で流れた。
「俺ってさ、ギターの腕に比べれば歌は下手くそでな…」
確かに冷静に言って彼の歌の腕はまぁまぁだったけれども。それでも頑張る彼の声が好きだった。
彼は、私のことを横目でジロジロ見ながらゆっくりと口を開けた。
「だから、俺の代わりに菫が歌ってほしい。」
「え?!私が?」
「あ、やっぱりだめかな。いきなり変なこと頼んでしまって悪いな。」
彼はものすごく分かりやすく凹んでしまった。落ち込んだ彼の前で、私は両手を振った。
「あ、違う。嫌とかじゃなくて、驚いたから。でも本当に私でいいの?」
私の言葉に元気になった彼は目を光らせながら顔を上げた。
「勿論さ。いや、むしろ君じゃなきゃだめ。」
その言葉が私にどれだけ大きな救いになったのか。今まで誰も私のことなんて必要としなかった。私を産んだ親でさえも。
そんな私に、翔は私じゃなきゃだめ、といってくれた。その一言は、私にこの険しい世界を生きていく勇気を与えてくれた。もしかしたら、私は彼にこの言葉を言われるために生まれて来たのかも知れない。
自分も知らぬ間に、生ぬるい涙が視界を邪魔した。
「す、菫?」
慌てた彼が席から立ち上がり途方に暮れていた。
「ち、違うの。これは…」
手の甲で涙を拭いてどうにか涙を止めようとしたが、それまで積もった感情が、傷が、悲しさが一気に溢れ出して、そしてはじめて誰かに必要な存在になった喜びが混じり私は子供のように泣き崩れた。
結局、歌なんてまともに歌えずに泣き出した私を翔がずっと泣き止むまで慰めてくれた。
やっと落ち着いて何度もしゃっくりをする私を彼がセンターまで送ってくれた。
「そう言えば、菫。週末にどっか行きたいと言ってたよな?」
陽菜が勝手に取ってくれたデートの話を出した翔は、少し期待感が混じった目で私を見つめた。陽菜がせっかく掴んでくれたチャンスを逃がしたくはなかった。
「うん。でもどこ行けばいいかはよく分からなぁ。」
「じゃ、ちょっと遠いけどすすきのにする?」
翔の提案に私は頷き肯定の意思を伝えた。
「じゃ、土曜日の12時にセンターの前で会おう。」
彼は笑いながらそう言った。その笑顔が、とても温かくて顔がほてった。
センターに戻ると、陽菜が私を迎えてくれた。
「陽菜!ありがと!」
陽菜に抱きつかれながらいうと、彼女はくすくすと笑った。
「デート、することにした?」
「うん。明日すすきのに行くことにしたよ。」
「おっ、いいね。デートのコース調べておかなきゃ。」
まるで自分がデートするかのように、携帯でいろいろ調べはじめた。そんな陽菜に、私はお願いを一つすることにした。
「ねえ…陽菜。そこでね、頼みたいことがあるんだけど。その…化粧教えてもらえるかな?」
普段は化粧とか全然しない私だったので、明日くらいは少しお洒落したかった。
「おっ、待ってましたその言葉。菫ちゃんって可愛いから化粧しがいがありそうだよねー」
「な、なんだか目が怖いんですけど…ひ、陽菜ちゃん?!」
陽菜はポーチを取り出して私にかかりついた。
人生でこんなに明日のことを期待した日があったんだろうか。陽菜に半分強引に化粧をされながら、そう思った。
眠りにつくまで翔のことばかり思い浮かべながら足をばたばたさせながら枕に顔を埋めた。
彼が私を必要としてくれるという事実が、目をくらくらにさせるほど幸せだった。
今日は夜空がとても綺麗。無数の星たちが顔を出した夜空を窓を通して見上げながら、人生はじめて生きててよかった、と思えた。
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