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ホッと胸を撫で下ろして、改めて施設内を見渡そうとした。が、僕の目に捻り込んできたのは壁一面に貼られた鏡だった。
どう持ち運んだのかわからない程大きいそれは務めを果たそうと店内のあらゆる衣服や靴、タンスを映し出していた。
無論そこに僕の姿は写っていないが、予測していないインテリアに驚きうっかり出ていきそうになると、女性はギュッと僕の腕を両腕で掴んだ。
目線や力加減からしてもう既にチャームは解けているようだった。今の体力じゃ、得意分野もこんなものか。
「出ていかないで下さい!」
「君……僕が怖くないのかい? 見ての通り僕はそこの巨大な鏡に映っていないだろう」
「そ、そうですけど! お願いします! やっと来てくれたお客さんなんです!」
「客……?」
ここが仕立て屋なことはわかる。だが僕を吸血鬼だと理解してわざわざ引き止める理由がわからない。
外は騒ぎを駆けつけた連中でさらに賑わい始めていた。今外出するのは得策ではないな……
出ていかないからと言い聞かせると彼女は手を離し、先程のようなお辞儀をした。
「すみません。突然何の説明も無しに。私、この『シュピーゲル』を経営しているソフィア・シュナイダーと申します」
そう言いながら僕のための椅子を持ってきた。クッションは固く、座り心地が良いと言える代物ではなかった。タイミングを見計らって彼女は話を続ける。
「ご覧の通りここは仕立て屋……こんな路地裏なのでほぼ閑古鳥状態……遺産で何とか切り盛り出来ているものの……来てくれたお客さんは鏡に驚いて逃げてしまう……やっと店を経営する許可が女の私でも下りた上にここの服達はどれも私の自信作……なのに、全然売れなくて……」
「鏡、外せば?」
うっかり思ってしまったことを口に出す。ソフィアはチラリと鏡を見て、はぁとため息をついた。
「そういうわけにもいかないんです。さっきも言った通り私は遺産で食いっぱぐれてます。その遺産を残してくれた祖父が開店祝いにとくれたものなので……」
「なるほど。確かにそれは外しずらいねえ」
首を大きく何度か降って、そのままの熱気で僕に近づいた。
「私、もうこの際誰でも良いから私の服を着てくれる人を探そうと、あんな所をフラフラしてたんです。でも今日はあまり人がいなくて……」
今日はあの人の新作発表の日だからなあ……今時そんなことも知らないとは……おそらく、服製作ばかりで過ごしているのだろう。
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