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リハビリ
「ゆうすけくんこれが何か見えるかい?」
「とらとうさぎ」
「じゃあこの数字は?」
「132」
「では1の色は?」
「赤」
先生は俺の答えを聞くと、カルテになにか記入していく。
「うん、脳の動きもしっかりしてきたね。色や物の名前をきちんと言えるし、身体的異常もなさそうだね」
先生は記入を終えたカルテを机にそっと置く。
だんだん良くなってきているよ、と安心させるように笑顔を見せた。
俺がその笑顔にホッとしていると、先生は看護師を呼んで何やら指示を出した。
看護師は少しの間あれこれと確認すると部屋から出て行く。
向き直った医者が話しかけてきた。
「脳の方は異常なさそうだから、こちらの検査は終わろうか。記憶障害の方に関してはあまり急ぎすぎても混乱をきたしてしまうから、骨折してる脚の方を先に直そうね」
「はい」
ゆっくりと分かりやすく先生は今後の流れを説明してくれる。
この先生はいつもゆっくりと話す。まだ頭が本調子ではない俺にでも理解できるようペースを合わせてくれているため、俺は大好きだった。
「先生とはしばらく会えなくなるの?」
「とりあえず脳の検査の方はいったんお休みかな。ゆうすけくんがリハビリを頑張って歩けるようになれば、また会えると思うよ。君は記憶を取り戻したいみたいだし」
眼鏡の奥の目尻がシワを作って穏やかな笑顔を向けられる。
俺を理解してくれている先生の言葉に、そうですね!と俺は明るく返事をした。
周りからは4年間の記憶を取り戻すことをあまり望まれていない。記憶を取り戻してまた自殺行為をされては困ると思っているからだ。
たしかに俺もどんな記憶が眠っているかわからなくて不安ではあるが、年相応ではない頭でいつまでも甘えていくのは無理があるし、何よりどこか周りから線引きされた感じで来られるのが嫌だった。彼らは覚えているのに、俺は全く覚えていなくて、話をするたび遠慮するかのような見えない溝をいつだって抱えていなければならない。
俺はもうその雰囲気に疲れてしまって、自分が嫌になっていた。
「じゃあゆうすけくんは明日から足のリハビリを頑張ろう。手配はしてあるから、またナースさんに聞いてね。
ゆうすけくんがまた、すぐここに会いにきてくれるの待ってるね」
先生は本当に俺の扱いが上手だ。
先生の優しい言葉かけに、俺は早くリハビリをしたくてたまらなくなった。
本当に、本当に、緒方(おがた)先生は俺の扱いが上手かった。
俺はヒィヒィいいながら、リハビリ用の手すりにつかまって足を動かす。
けんけんパッのように片足でちょんちょんと飛ぶが、すぐ崩れそうになって助手係の人にもたれかかってしまう。
俺のクタクタな情けない姿に真っ白い白衣が近づいてきた。
「ゆうすけくん、しっかりと立ちなさい。これじゃ2ヶ月もかかるぞ」
そんなの無理だってば…と俺はリハビリ担当医を睨む。
その目に気づいたのか、グッと俺よりも瞳孔を開いて圧をかけられて、俺はすぐさま目をそらした。
俺のリハビリを担当する柴田(しばた)先生はこの広い病院内で1番のスパルタドクターだった。
脳神経担当だった緒方先生は俺がやる気を出すよう計らうのが上手だったが、柴田(しばた)先生はどちらかというと横暴に自分の考えを押し付けてくるタイプで従わなければ即怒るという鬼のようなひとだ。
穏やかで自分に合わせてくれる人が好きな俺にとってこの先生は大ハズレどころか大の苦手な種類の人間だ。
俺は運悪くこの先生と当たってしまったらしい。
実のところは、幼児帰りのような反応を起こしている俺に何か危険を察したのか緒方先生自ら柴田先生を指名をしたらしいのだが、絶大な信頼を寄せている先生からの裏切りに俺は気づいていない。
「こら!手を使って楽しない!!!」
「ひぃ〜…」
俺は半ば泣きべそをかきながら残りの30分この訓練を耐え続けた。
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