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8月41日
「まだ実用段階ではないのか……何にせよたくさんお金がかかるな。やっぱり中東にいこうかな。石油出るし……」
彼女が増殖し始めてから26日がたった。あれから何度も対策を講じたが、一度も成功することはなく、彼女はいまだにスクスクと増殖を続けている。
それどころか、「彼女の増殖」以外の異常もおこりはじめた。「物体がテレポートする」「物の大きさが伸び縮みする」といった具合に。日を重ねるごとに異常の数は新たに増えていった。最近では、乗用車ほどの大きさのある熱帯魚が空を泳ぐようになった。
「あなたは離脱しないの?」
「うわっ」
後ろから突然彼女に話しかけられた。僕は慌ててスマホで開いていたNASAのページを閉じる。
断じて彼女を宇宙に放流しようとしていたとか、そんなワケではない。
「いきなり話しかけるなよ。まったく。ん……。というか離脱ってなんだよ?」
「あら? もうとっくに気づいていたと思っていたのだけれど。主流の意識が残っているのはあなただけよ。ここはもう放棄されたの」
何を言っているのか意味不明な答えが返ってきた。なので適当に思いつきをぶつけてみる。
「離脱っていうのは、あれか。パラレルワールドにジャンプするみたいな。でも周りの人たちはどこにも行ってないぞ。ここに存在してる」
「そう。概ねその考え方で間違っていないわ。離脱するのは意識だけ。意識が離脱した後は自動で行動するようになるの。NPCみたいに」
思いつきはどうやら当たっていたらしい。部分的に。なるほど。どおりで誰も彼女の増殖を気にしない訳だ。
「実際、このくらいの事態は日常茶飯事なの。いつもは少しでも異変が起こったら離脱しているはずよ」
彼女は刻一刻と、数センチから数メートルまで、大きさを変えているビルを見ながら言った。
「なんだよそれ。人間が増殖したり、魚が空を泳いだり、あれもこれも日常茶飯事だっていうのか?」
僕はいつの間にか現れた、虹色のリンゴをムシャムシャ頬張りながら言った。
あらゆるものが常識を守っているのが馬鹿らしくなって、自分のセンスの赴くままに、好き勝手に振る舞っていた。
「ええ。人間はそうやって頻繁に離脱を繰り返し、世界を点々として人生を送っているの。離脱する前の記憶は夢として処理されることが多いわね。だから異常を目にすることはないけれど。これが世界の本来の姿よ」
なんじゃそりゃ。メチャクチャやん。あまりに突拍子のない答えに脳味噌がフリーズする。こうなりゃやけくそだ。
「じゃあどうやって離脱すればいいんだよ。俺以外が離脱しているんなら、お前は誰なんだよ」
「わた……」
彼女は何かを言おうとしたが、僕がそれを聞くことは叶わなかった。彼女が口を開くと同時に僕の意識は暗転した。
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