マニュアルを読み終えて

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マニュアルを読み終えて

 マニュアルを読み終えたが、業務内容が細かくて全部は覚えきれなかった。  衝撃的なことの連続で、心身ともに疲れていたせいもあるだろう。  これは少しずつ実践で覚えていくしかない。  とりあえず理解できたのは、ここは「アシュブルート」という国で、転生者はここで利用されるために召喚されたということだ。  ただ、賃金が出ているので使い捨ての奴隷のようなものとは違うのかもしれない。 「2人とも読み終わりましたか? では、そろそろ地上に出ましょう。転生者用の宿舎に案内します。そこの更衣室で着替えてローブとマスクを受付に返却してください」  カールが俺達に声を掛けた。  まさか宿舎まで用意されているとは思わなかった。  お金といい宿舎といい、待遇が完全に労働者そのものだ。  俺は自分の服を持ってないことを思い出してそのことを受付で話すと、面倒臭そうな顔をされて代わりに何カ所か擦り切れた古いローブを手渡された。  事務室内には更衣室につながる扉のない道があり、男女別に分かれている。  中は温泉の脱衣所のような木製棚があるだけで、他は何もない。  ようやく外の空気を吸えると思うと、緊張していた筋肉と神経が少しだけ緩んだ気がした。  だが、ここに来てからまともに眠っていないせいで、(まぶた)は重いままだ。  1日で色々な出来事が起こりすぎた。  数時間前までは収容所で横になっていたはずなのに、突然呼び出されて死体を運ぶ羽目になるとは思っていなかった。  手に付いた血は洗い流したつもりだったが、まだ生臭さが残っている。  これからずっとこの臭いと一緒に生きていかなければいけないと思うと憂鬱(ゆううつ)な気分になる。  どんな基準で俺を選別員として選んだのか。  何かの間違いであってほしい。  転生者管理局が「人選は書類上のミスだ。君は明日からパン屋で働いてもらう」なんて言ってくれたら、どんなに気持ちが楽になるだろう。 「ほ、報告致します!」  俺とアンナが着替え終わってローブとマスクの返却を終えた途端、見たことのない男が勢いよく扉を開けて入ってきた。  その場の全員が一斉に男に注目した。  どうやら走ってきたようで、なかり息を荒げている。 「昼から行方不明になっていた農作担当の転生者が先程……死体で発見されました!」  ついさっき読んだマニュアルに書いてあった『差別』や『傷害事件』と書かれていたことが、一気に現実味を帯びて襲い掛かってきた。  男が必死にフランクに向かって報告をしている間「四肢が千切れたような」「恨み」といった言葉が飛び交い、俺達は全員目の前の男に耳を傾けた。  どうやら殺人事件のようだった。  緩み始めていた筋肉と神経がまた張り詰める。 「現在訓練犬を使い犯人を追跡中! 局長からの命で宿舎内の転生者は外出を禁止、現場周辺の見回りを強化しています!」 「こっちから追跡用の転生者を貸すよ」 「いえ、迷宮内にいる転生者も(しばら)くの間外出禁止だそうです! 我々は帰宅しても大丈夫ですが、怪しい人物を見かけたら即報告しろとのことです!」 「分かった、ありがとう。……ってことだから、悪いけどユートとアンナは次の指示が出るまでここに残っててね」  一連のやり取りが終わると、皆の視線が俺とアンナに注がれ、緊張した空気が事務室内に漂った。
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