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そっか。そうだったんだ。
緊張がほどけて、指先がじんわりと温かくなっていく。
「それからも水口が入賞したコンクールの絵は毎年見に行ってた。でも、去年、水口の作品が一つもなくて……美術部もやめたってどっかで聞いて、すごくショックだった」
俯いた陸名くんを見て、あの日、怒鳴られたことを思い出す。
あれは全部、私をずっと見てきてくれたから、出た言葉だったんだ。
「陸名くん、ありがとう……」
陸名くんは、自分の苦痛のように、私の苦痛を感じてくれていたのかもしれない。
椅子から立ち上がって、ぺこりとおじきをしようとすると、その反動で座っていた椅子がガタッと傾いた。
「水口、危ない」
陸名くんの手が瞬時に伸びてきて、椅子を避けるようにして私の腰を引き寄せる。
背後で、ガターンと椅子が倒れる音が教室に響く。
気がつくと陸名くんの顔が真正面にあった。
その長いまつ毛や真っ白い肌に見とれている時間はなく、私はすぐさまからだをはなした。
「ご、ごめん、急に……!」
顔がどんどん赤くなっていくのを隠すために、倒れた椅子を元に戻す。
顔を伏せたまま椅子に座り直すと、目の前にはあのスケッチブックが差し出された。
「そろそろレッスンだから、行く」
淡々とした声が上から振ってくる。
行ってしまうんだ。もっと、話してみたかったな。心の奥に浮かぶ気持ちを押し込めて、私は彼を見上げた。
「うん! さっきはありがとう、助けてくれて」
少しだけ角がよれてしまったスケッチブックを手渡すと、陸名くんはスタスタと教室の出口へと歩いていった。
このまま、行ってしまうのかな。
後ろ姿をじっと見つめていたら、一瞬、陸名くんがすっと振り返った。
また、目が合う。
「……話せてよかった。またな」
ぶっきらぼうに聞こえた言葉。
——『またな』。
その言葉がとても嬉しくて、私は笑顔で頷いて、手を振った。
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