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美術室の奥にあるスケッチブックを何冊か拾い上げる春人先輩。
蘭が心配そうに私をちらりと見る。
まだ入り口にいた私は、思い切って美術室の中に足を踏み入れた。
「はい……!」
染み付いた絵の具の匂いと、水道から漂う独特の匂いが、鼻の奥を刺激した。
あ、懐かしい。
中学三年生の夏ぶりに入った美術室。
「鉛筆、その辺りに転がってるから好きなのを使ってね」
スケッチブックを私に手渡して、春人先輩が顎で机を示した。
「ちなみに、今のところ美術部には蘭と僕しかいないんだ。だから自由に、好きなことを何でもやってね」
春人先輩の黒髪がゆれて、その奥で整った顔がにこりと笑う。
自由に、好きなことを。
ここでは、それをやってもいいんだ。
「ありがとうございます……!」
蘭と春人先輩に笑顔がみえて、私も笑顔になる。
頭の中では、さっき見たバレエの動きが何度も繰り返される。
描きたい。彼の姿を。
スケッチブックを開いて、机の上の鉛筆を手に取った。
真っ白な紙に、ゼロから絵をつくりあげるんだ。
彼が踊っていた姿を思い出す。ドキドキして、指先がうずいた。
鉛筆を動かそうとしたその瞬間、部活の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「あら……チャイム、鳴っちゃったわね」
蘭が残念そうに窓を見上げて言った。
「僕たちは明日の放課後も美術室にいる予定だから、真彩ちゃんも、いつでもおいで」
励ますように春人先輩が肩を叩いてくれる。
真っ白なままのスケッチブックを閉じて、私はそれを春人先輩に返した。
「はい。また明日も、来ます」
蘭と春人先輩は、私の言葉に安心したように微笑みを返した。
あの姿を描く。きっと描ける。
彼の姿は希望の光のように思えた。
そして明日、また会えたらいいな。
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