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03.閉架書庫での再会
俺は翌朝、彼女が言っていた閉架書庫の、一番奥の左から四番目の書架にある本を手に取った。元々閉架書庫にあったものということで、移動はされなかったようだ。確かにそこには知識を食べるものの記述があった。
……記憶力がいいのは本当らしい。
「本当に見てるのね、律儀な人」
俺は思わず、振り返ろうとする。すると背中に柔らかいものが当たり、首元に腕が回ってきたのがわかる。耳元に息がかかる。彼女の吐息だ。
「……君は本の虫≪リベウォエッセ≫なのか? それよりどうやって入ってくるんだ」
「……そう呼ぶ者もいるわ、いいことを教えてあげる。私はどこでも入れるのよ、ここにだって入れるの」
彼女の手が俺の頭を撫でる。その手は俺を誘惑するかのように丹念だ。俺はその手を振り払う。
「君の姿に疑問を抱いていたが、館長の話を聞いて納得した」
「そう」
そっけなく彼女は俺に相槌を打つ。けれども俺の声はそんな彼女よりも凍てついていた。その冷たさを解かすかのように、彼女の手は俺に向かってきた。先ほどよりも力強く抱き着いてくる。
俺はその女性らしい肢体が、人間のものではないという事実に身震いしそうだった。
「その姿で、人を襲ってきたのか」
「そんなことするわけないでしょう、面倒だもの。それよりわたしのこの姿が気にいったの? 今のわたしはどんな姿なのか教えてくれない?」
俺はその物言いに引っかかるものを感じ、質問する。
「君は自分がどんな姿か分からないのか?」
「わたしは貴方が思う好ましい姿になっただけ、だから自分がどんな姿なのか知らないわ」
彼女の温かさがとても憎い。けれどもこの感情すら、彼女の外見に反応して発せられている感情だと思うと、なんだかやるせなかった。
「自分の姿を知らないのか? あと俺に触れるのをやめてくれないか」
「わたしに触れられるのは嫌なの? 好きな姿なのでしょう?」
彼女は心底不思議そうに問いかけてきた。抱き着くことで俺が喜ぶとでも思っていたかのようだ。彼女はまだ俺の背にくっついたままだ。そのため彼女の顔が細部まで見て取れる。
銀色の目には純粋な疑問しか浮かんでいない。彼女の銀色の瞳の中が忙しなく不思議そうに渦を巻いているのがよく分かった。
「感情には疎いんだな、それは君がか? それとも本の虫≪リベウォエッセ≫がか?」
彼女は虚を突かれたかのように瞬きすると、俺からすっと離れる。俺が言ったことを守ってくれるようだ。その離れた隙間に、冷たい空気が入り込むのを肌で感じた。彼女は考えをめぐらせているように、中空を眺める。
「どちらとも、だと思うわ。人間と交流するのは久しぶりだもの、もうどう関わっていたのかすらあまり思い出せないのもあると思うけれど。人間は好ましい相手に触れられるのが好きかと思ったけれど違うみたいね。覚えたわ」
彼女は銀色の目を輝かせた。実際にキラキラと輝いている。光が水に反射して輝いているような輝きだ。
「人間も千差万別だ、俺を基準にしないでくれ」
普通なら説明しなくてもいいことを教え、気疲れから俺はため息を吐く。人間と関わっていなかったというのは本当のようだ。
「そうなの? そうなのね、じゃあお願いがあるの」
「なんだ?」
彼女の高揚したその態度に、嫌な予感をひしひしと感じながらも俺は尋ねる。
「貴方からいい匂いがするの、お腹がすいてるの、食べさせてほしいわ」「何をするつもりだ?」
俺は彼女をなだめるように言葉を掛けるが、そんな効果は得られなかった。彼女は頬を上気させ、何か――彼女の頬の上気の原因だなんて考えたくもない――に酔っているかのように、俺に迫ってくる。これでは離れた意味がない。
「何って昨日もやったでしょう? わたしが何故ここに来たと思っているの? 貴方に会うためよ」
「まてっ」
昨日の彼女と触れ合った場所の感覚が呼び覚まされたかのようだ。俺は頭を振ってそれを振り払い、再び彼女を制止させるため言葉をかける。
「貴方も楽しんでいた気がするけれど、何がダメなの?」
彼女はその大人っぽい容貌とは似つかわしくない表情を浮かべている。心から腑に落ちないと思っていることが、手に取るように分かった。
俺は子供に言い聞かせるように、しっかりと言葉を放つ。
「自分が価値のないと思っているものを相手が欲しがると思うか? 安売りされても何も感じない、不愉快なだけだ」
「ご、ごめんなさい」
彼女はようやく俺の言葉の真意が分かったようで、慌ててはなれる。意思疎通は出来る相手のようだ。ふいに恥じらいがある人の方が俺の好みだと言いそうになって、あわてて口をつくんだ。
「探しましたよ、生きる本≪ライブラリアン≫」
「……貴方がここの館長ね」
勝手に俺が気まずくなったところに、彼女の生態をよく知る館長が現れたことに安堵し、俺は息を吐き出した。
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