【月の下で】

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座るとまず、女性は紙袋から和服を一枚、お出しになりました。 白地に金銀の雪輪柄が織られた、とても美しいものでした。 女性は百瀬さまとおっしゃいました。 「これを一部に入るようにして、ダンス用の衣装の作っていただきたいんです」 「よろしいのですか? とても高価な品だと思うのですが、それを切り刻むなど」 着物のリフォームの依頼は初めではありません。思い入れのあるものだからこそ、もっと気軽に着たいとお願いされるのです。 しかし、これを、20等分してしまうなど。 私の質問に、百瀬さまは哀しげな瞳でこくりと頷きました。 「これは私達の師匠のものです、形見分けでいただきました。私達、その師匠に10年以上よさこいを習っていたのです、よさこい、ご存知ですか?」 「ええ、大勢で踊る、とても力強いダンスですよね」 発祥は高知県だった思います。しかしここ横浜にもダンスチームは多く存在していて、とても盛んに踊られています。 「とてもお世話になったんですけど……先日、ガンで亡くなりまして。まだ35歳だったのに」 「──それは」 年齢から言って、他人事とは思えません。 「今度、神社の奉納神楽で踊らせていただけることになったんです。とても名誉な事だと思って、そこに師匠も連れて行きたくて……この着物を縫い込んだ衣装だったら素敵だと思ったんです」 私は頷きました。 「名案です、是非お手伝いをさせてください」 是非にと思ってそうお答えしたのですが。 その神楽は中秋の名月の宴で行うそうです、二か月後です。しかもそのひと月前には、練習の為に受け取りたいとおっしゃいます。期日がとても短いと思いました。しかし是非とも受けたい仕事です、気合を入れて頑張りましょう。 よさこいの衣装に、特に大きな決まりはないそうですが、ご希望は真っ白な衣装でした。派手な衣装も多い中、今回はこの着物を引き立てるため、そして月下で行うと言う事で、照明も消して踊りたいと言う意向を出したそうです。形としては、袴や長半纏のように、裾がひらひらすると見栄えがいいようです。 「では、長半纏や狩衣の袖口や縁取りに、この着物を入れましょうか?」 「あ、それいいですね。下に着る袴や小袖は、こちらで用意しますね」 助かりました、それならば殆ど直線縫いだけです、納期に間に合うでしょう。 「イメージをおっしゃってくだされば、絵に起こします」 私はスケッチブックと鉛筆を用意します、百瀬さまはその間にネットで検索を始めました。 「あ……うん。狩衣がいいかな。で、前のスカート部分に先生の着物を入れて、袖口は銀色のリボンを入れてもらっていいですか?」 「はい、かしこまりました」 真正面から見た人物を描き、そこに狩衣を着せます。手は左右に開き、その袖口のところに『袖括りの緒』を描きこみます、銀色のリボンです。腰を当帯と呼ばれるベルトを締めて前身のたくし上げます。その前身を絞った下の部分に雪輪の柄を描きこみました。 「どうでしょう?」 百瀬さまはにこりの微笑みました。 「ありがとうございます、素敵です」 どうやらイメージ通りになったようです。 とりあえず、百瀬さまで採寸をさせていただき、一着お作りすることにしました。 「サイズは、融通が利くと思うんですけど」 それが日本の着物のよいところです。つまり試着などいらないとおっしゃるのですが。 「ええ、でもイメージなどもありますから。是非一度、ご覧ください」 仮縫いが終わったらご連絡する旨を伝え、百瀬さまはお帰りになりました。 さあ、頑張ってお仕事を致しましょう。 まずは丁寧に着物をほどきます。なかなか根気のいる作業ですが、衣服が生まれ変わる大事な作業です、それに胸を躍らせて私は作業を続けます。 着物は一反が12メートル余りが標準です。20等分しますと62センチほどになりますが、既に着物として仕上がっているものです、実際には50センチ程になるでしょうか。その長さに合わせて前身を作る事にしました。 白色のリネンにハサミを入れます。百瀬さまの身長は160センチでしたので、一般的な女性のサイズで作ろうと思います。 切り終わったら、いよいよ縫製です。 直線縫いです、ただ距離は長いです、それでも二日もあれば出来上がりました。このペースならば、なんとかこなせるでしょう。 早速お電話して、見ていただきました。 トルソーが来た衣装を見た時の百瀬さまの笑顔が、忘れられません。 そっと雪輪をなぞった指の美しさも。
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