【月夜のダンス】

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【月夜のダンス】

私、深山塔子(みやま・とうこ)は天文部だ。 月に一度程度、許可をもらって学校の屋上を利用して天体観測をさせてもらっている。本来の部活動の時間から外れているので、顧問がいなくてできない月もあるし、天体ショーもない時は他の部員は来ない──今月は二カ月ぶりで、大きな天体ショーはない月だった。 でも、私は月の観測も好きだった。 今日は十三夜月(じゅうさんやつき)だ、明後日には満月を迎えるその月は、昔は十五夜に次いで綺麗とか言われていたらしい。それは私にも少し判る、観測には打って付けなのだ。クレーターの観測や「星食」と呼ばれる月の影に星が隠される現象が面白い。 他の部員はいないし、顧問も職員室に居ると言うから、めいっぱいそれを楽しもうと、ワクワクしながら天体望遠鏡を抱え、屋上へ上がった。 顧問から預かった鍵で錠を外し、金属製のドアを開ける。 未熟な丸の月が、東の空にあった。 雲ひとつない空に嬉しくなったのも束の間、月を遮るように滑らかな動きで手が動いた、ダンスの振り付けだ、夜の屋上で踊る人がいたのだ。 誰、と思う間もない、それはクラスメートの中田優兎だった。 「え……っ、なんでいるの!?」 私の声に、中田は振りの途中で踊りをやめて私を見た、途端に、にこりと微笑む。 「塔子」 彼は誰でも彼でも名前呼びだ、それがいじめの一端でもある。 「君こそ、なにやってんの?」 「私は天文部で月の観測に──え、中田、何処から来たの?」 聞くと、中田は細くて長い指を、まっすぐ月に向けた。 「月から」 いつものお調子者ジョークだ。 「まぁたそんな事言って! 鍵はかかってたよ? 壁でもよじ登って来たの?」 屋上の出入口はひとつだ、外から鍵は掛けられない。でも壁をよじ登るのは現実的ではない、ここは5階建ての屋上で、金網のフェンスも高い。 なのに、中田は答えない。 「塔子は? 何しに来たの?」 「月の観測に来たの。天文部の活動で」 「へえ」 中田の綺麗な瞳が、大きく見開かれた。 「月の光、間近で見た事ある?」 「ええ? 月の光?」 間近ってなんだ? とびきり明るい月明かりは経験があるけど。 中田は無造作に月に手を伸ばしてひと握りすると、握りこぶしを作ったまま、私の前まで来た。 「え、何……?」 中田は笑顔で自分の握りこぶしを、反対の手で示す。その動きに合わせて、私はこぶしをじっと見た。 その手がゆっくり開かれる、淡い光が現れた。 「……わあ……」 銀色の淡いのに眩しい光がとても綺麗で、思わず声を上げていた。 でもそれはすぐに、蒸発でもするように、ふわりと消えてしまう。 「えーっ、何、凄い! 手品!?」 「どうかな?」 中田はいつも通りの、どこかつかみどころがない返事をする。 「もっと近くまで連れて行ってやろうか?」 「近く? 何の?」 「月」 「は?」 何を言っているのか、全く理解不能だった。 どういう意味?と聞く前に、手を握られた。自分の手が大きな手に包まれて、突然心臓がその居場所を主張し始める。 「え、ちょ……!」 「Go!」 ひと声かけて、彼は予備動作もなく地面を蹴る、空いた手はまるで水を掻くように上から下へ振られた。 途端にふたりの体は宙に浮く。 「え、や、何!?」 乗り物も道具もないのに、飛びあがった──ううん、空を飛んでる!? 髪や制服は、風に僅かに揺れていた、左程スピードは感じないけれど、屋上からどんどん離れていく。 「きゃあああ、無理無理無理! 下ろしてぇぇぇぇ!」 「大丈夫、俺に掴まって」 耳元でする力強い声に、私は涙目のまま、その顔を見つめた。 間近で微笑む中田の顔が、とても綺麗だった。 見惚れる間に中田の腕が腰に回る、水平移動に移った。私は必死に中田の制服のジャケットにしがみついた。 眼下に広がる横浜の街が、少しずつ小さくなっていく。上昇はさらに続いているんだ。 「な、何、これ……! 私、夢見てるの!?」 「うん、そう」 相変わらずすっとぼけた返答だけど、空を飛んでいると言う現実に、どうでもよくなっていた。 真正面を見た、中田の言う通り、月に向かっているのだと判る。 上昇するにしたがって、人を判別できなくなり、車も判らなくなって、街は光の海と化す。 って、一体どこまで上がって来たの? 一応(そら)ガールを名乗っている手前、空の高度による温度や酸素濃度は知っている。でも苦しくないし寒さも感じない。 ああ、これはやはり、夢なんだな。 しばらくして上昇は止まった。 月がひと回り大きく見えた、月が眩しいのに、沢山の星も見える。星は瞬かない、空気が薄いんだ。 あっと言う間にたどり着いたここは、空と宇宙の狭間だ。 「──すごい」 思わず呟いた、だってこんなリアルな夢、怖いくらい。 「本当に月まで行くとなると、すぐに帰ってくるのは無理だから」 空の真ん中で、中田と向い合わせになる。 中田に腰のあたりを両側から掴まれ支えられている、それでも中田の視線は上だ、やっぱ背が高いんだなあ、まあ私がチビなのもあるけど。 「月に手を伸ばしてごらん、君も月の光を掴めるよ」 「月の光かあ」 興味をそそられて、月に両手を伸ばしてみた。手の平で包み込むようにして、目の前で開く、さっき中田が掴んだものより強く感じる光が私の手の中にあった。 「わあ……」 先程同様、手の中から蒸発するように消えてしまう。 「星は? 星もできる?」 「ああ」 西の空に天の川が見える、そちらに右手を伸ばして掴んだ。 恐る恐る指の間から覗きこんでみた、小さな暗闇にキラキラした光がいっぱい見える。 「やべえ」 思わず逃がすまいと左手も重ねて握り締める。 「むっちゃ綺麗」 「本当だよね」 同意してくれたのが嬉しくて中田を見上げて、息を呑んだ。 「──は?」 変な声が出た。 「あ」 中田も声を上げて、ふる、っと耳を震わせた。 それは長い長い、頭頂部近くから生えた、白くてモフモフの耳で──それはどう見ても、 「えええええっ、ウサギー!?!?!?」 「ああ、見られちゃったかあ、力を使い過ぎたからなあ」 耳が反省でもするように、力なく垂れた。 「な、な、な……!?」 「誰にも言わないで」 珍しく寂しげな声だった。 「皆といると楽しい。まだまだヒトと暮らしたい」 「え、えと……中田って……なに、オオカミ人間的な?」 「うん……何故か子供の頃から人間に変化(へんげ)できた。イノシシを獲る罠にかかったのを外そうと変化(へんげ)したところを、今の両親に見つかって、ずっと育ててもらってて……」 ご両親はたまたまトレッキングに来ていた人間の夫婦だと教えてくれた。中田がウサギなのも知っていて育ててくれているらしい。 「でも元はウサギだから、力を使い過ぎるとウサギに戻ってしまうんだ。よくひとりでは飛び回るけど、ふたりだとやっぱり、ね」 そっかウサギ……! だから、周りと少し違っていたのかも! 人としての常識なんか、どうでもいいよね! 「ち、力って……」 「超能力みたいなもの。手に触れずにものを動かしたり、こんな風に空を飛んだり」 「あ、屋上にも飛んできたんだ?」 「うん。月は、気を高めてくれる」 中田は月を見上げて言った、なんとも恍惚とした表情だった。 「満月が近づくと居ても立っても居られない、月明かりは力をみなぎらせてくれる。だから邪魔なものがない屋上で月光浴を──浮かれすぎて踊ってたけど」 「そっかあ」 月とウサギだ、何か関係があるのかな? 「浮かれすぎて君を連れ出してしまって……君が喜んでくれてよかったけど、でも、この事は誰にも──」 「言わない、言わない、けど」 「……けど?」 中田はごくりと息を呑んだ。 「耳、触らせて!!!」 「──へ?」 私はそんな恐ろしい条件を出すつもりはなかったのに、中田は怖かったらしい、やたら拍子抜けした声を出した。 「い、いいけど、耳くらい」 言って、僅かに頭を下げて、両耳が私の方に向いた。 私の二の腕くらいの長さがある耳だ、それを左手で支え、右手で毛並みに沿って撫でた。 きゃあ、大きくてモフモフな耳! 可愛い! 触ると割と毛足が長くて、滑らかだと判った。温かさもあって、ちゃんと生物のものだ。 「すごーい、すごいねえ、中田ぁ」 余りの触り心地のよさに、私は耳中を撫で回し、顔を埋め、頬ずりまでしていた。 「あのう」 遠くで中田の声がする。 「うーん」 私は耳に顔を押し付けながら答える。 「そろそろ終わりにしてもらっていいかな……なんか、変な気持ちになってくる」 「え、あ、ごめん」 堪能し過ぎた、手を離すと、耳はぴんっと立ってふるふると震える。その下の中田の顔は、僅かに赤かった。 「そろそろ戻ろう」 「ウサギの中田も見てみたいけど」 「それはまたいずれ」 言うなり、体が下降を始める。 「ええええーっ! もっと穏やかな帰還を想像してたぁ!」 私ははためく制服のスカートの前を押さえるのが精一杯だった、後ろは勿論丸見えだけど、まあ致し方ない……髪も千切れそうに乱暴に震える。 「激突したりはしないから、安心して」 のほほんとした中田の声は、言うそばから空へ流れていく。私の絶叫と共に。 *** 「──深山さん、深山さん!」 顧問の声に、はっと目が覚めた。 「こんなところで寝て! 一体どうしたの!?」 「え……あれ?」 寝てしまった記憶もない私は、慌てて体を起こした。コンクリートに直接だったので、少し体が痛い。 「時間になっても戻らないから見に来てみたら! 寝るならおうちに帰りなさい」 「はーい……」 空を見上げた、来た時よりも冷たさを増して輝く月は、南の空にかかろうとしていた。 望遠鏡は三脚こそ立ててあるけれど、キャップも外さずに置かれている。 夜空を飛んだ感覚は、体に残っていた。幽体離脱でもしていた気分だ。 なんで、寝ちゃったんだろう……夢を見るほどの眠りにつくなんて……髪を掻き上げようと上げた手に気付いた。 指に何本も毛がついていた。 長さは2〜3センチ程の、真っ白な毛──それは間違いなく見覚えのあるものだった。 中田の頭から生えた、長い耳。 あれは夢だったはず、なのになんでこんなものが……夢ではなかった? だって、リアルだった。空を飛ぶのもの、見下ろした地球も、温かい長い耳も──。
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