月に吠える

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
俺は、穴を掘っていた。 夜だった。 そこが、何処かもわからない、深い山奥で、俺は、汗だくで穴を掘っていた。 何処からか、訳のわからない獣の鳴き声が聞こえていた。 俺は、スコップを持つ手を休めて、額から流れる汗を拭った。 「休んでんじゃねえぞ」 黒づくめの男が、俺を恫喝した。 男の手には、鈍く光る拳銃があった。 「わかってるよ」 俺は、呟いて、再び、穴を堀始める。 目に汗が入った。 もう一人の男が俺の掘っている足下をライトで照らしながら言った。 「しっかり深く掘れよ」 これは、墓穴だ。 俺は、自分の墓穴を掘らされていた。 なんで? なんで、こんなことになったのか。 俺の両頬を汗に混じって涙が流れ落ちた。 その女、岡崎 都に声をかけたのは、俺の親友の坂野 忠だった。 坂野は、決して、悪い男では、なかったが、お調子者の遊び人だった。 奴がその女に声をかけたのは、奴にとって、いつものナンパにすぎなかった。 いつもと違っていたのは、女が、この街をしきっているヤクザの女だったということだった。 この女は、とんでもない女だった。 ヤク中で、見さかいのない男好き。 だけど、何がどうしたわけか、坂野と都は、お互いにはまってしまった。 全てを捨てて逃げたいと思うほどに。 坂野から連絡がきたのは、昨夜のことだった。 「俺たちは、飛ぶことにする。すまない。俺たちにとって、これが、最初で最後の純情なんだ」 勿論、何処に逃げたかなんて、俺は、知らない。 だが、女に逃げられたヤクザは、狂ったように二人の行方を探して、俺の所にきた。 俺は、連中にタコ殴りに殴られ、車に拉致されて、この、何処かの山奥に連れてこられた。 そして、今に至る訳だ。 「恨むなら、お前のお友だちを恨めよ」 黒づくめの男が俺に言った。 「内のオヤジは、あの女にベタぼれでな。嫌がる女をものにするために、女をヤク浸けにしちまうくらい、あの女にぞっこんなんだ」 静まり返った闇の中で、ライトに照らされながら、俺は、黙って汗にまみれて、穴を掘っていた。 土を掘る音と、破裂しそうな勢いで脈打つ俺の心臓の音が、俺の頭の中で響いていた。 穴がほとんど、俺の体が隠れるほどの大きさになったとき、男が言った。 「そろそろ、か」 俺は、ごくり、と唾を飲み込んだ。 俺は、死ぬのか。 こんな、山奥で、泥にまみれて。 だが。 あの、遊び人のどうしようもない男が、言ったのだ。 「これが、最初で最後の純情だ」 と。 俺は、目を閉じた。 その時だった。 間の抜けたチャルメラの音が辺りに鳴り響いた。 黒づくめの男が舌打ちして、ポケットから携帯を取り出した。 「はい、俺です。ああ、まだ、生きてます」 唐突に、俺は、解放された。 といっても、その場に放置されただけだったが。 男たちは、俺を置き去りにして去っていった。 「運のいい奴だ」 黒づくめの男が言った。 「お前のダチと、女の死体が見つかった」 そう言って、彼等は、俺をおいて立ち去ってしまった。 奴等が去った後、俺は、脱力し、穴の中で膝まずいて、うずくまった。 俺は、助かったのか? だが。 あいつは、死んでしまった。 たった一人の友人だった。 俺は、その穴の中に身を投げ出して横になった。 夜の森の中は、様々な音に溢れていた。 獣の声、虫の声、木々の枝の揺れる音。 そうか、あいつは、死んだのか。 あの女と一緒に、心中したのか。 最初で最後の純情、か。 俺は、空に向かって手を伸ばした。 真ん丸い黄金色の月が、ぽかりと、浮いていた。 こんな、月明かりのもとで。 こんな月明かりのもとで、あの二人は、死んだのだろうか。 俺は、はじめて、嗚咽をもらした。 大声で、月に吠えた。 俺の声は、森の中へと、吸い込まれていった。 全ては、月明かりの下に。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!