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「こちらが正面バルコニーです」 そう言いながらバルコニーへの戸を開けたセスに促されて光の降り注ぐ外へと踏み出す。白い石で造られた手すりや床は、外にあることを忘れそうなくらい綺麗に保たれている。 手すりに手を置いて真下に広がる城の庭園を眺めると、専属の庭師が手入れをしている種類の豊富なバラや色とりどりの草花が見事に咲き誇っていた。しかし花の色には統一感があり、派手というより落ち着いた雰囲気がオーウェンの印象に合っている。 「すごい……」 昨日から俺は、この城での生活に早く慣れるようセスに城の中を案内してもらっていた。 オーウェンの城は日本で暮らしてきた俺には想像もできないほど広くて、一日では回りきれなかったため今日もセスに案内を頼んでいる。案内される途中や移動した先で見かける使用人の多さにも驚いた。 メイドや使用人、衛兵などの従者は俺の姿を見ると皆丁寧なお辞儀をするため、なんだか申し訳ない気持ちになる。 俺は別に王族でもないし、突然この城に現れただけだというのに。この城で過ごすうちにこの対応にも慣れていくのだろうか。 初めて見る城の外にきょろきょろと辺りを見渡していると、城から出てすぐのところにオーウェンの姿を見つけた。衛兵らしき男性と何か話している。 オーウェンとのディナーから二日が経つが、あれから彼との食事はなく、姿を見るのも初めてだった。王子というのは本当に忙しいらしい。それとも俺との時間は必要ないのだろうかと思ったところで慌てて思考を止めた。 そんなふうに考えてもただ悪い結果になるだけだ。 「オーウェン王子にお会いできなくて辛いですよね」 何かを衛兵に指示しているオーウェンを眺めていると、深刻な声でセスが言う。 オーウェンに会わないと自分が存在する必要がないんじゃないかと思うだけで、別に会えないことが辛いというわけでもなかったけどそうは言えなくて苦笑いで誤魔化した。 「次の場所に向かおうか」 手すりから体を離しバルコニーからまた城の中へ戻る。戸を閉めたセスが次に向かう場所へと歩き出し、俺もその後に続いた。 「あのさ、セス」 「はい、なんでしょう」 「王子のこと、なんて呼んだらいいかな? オーウェン王子? オーウェン様?」 オーウェン自体が厳かな雰囲気を持っているのもあるが、城の従者がオーウェンのことを王子やオーウェン様と呼んでいるため同じように呼んだらいいのか、オーウェンは俺のことを名前で呼ぶから俺もオーウェンと呼べばいのかわからなくて、出会って数日経つというのにいまだに俺はオーウェンの名前を呼べずにいた。 「ユキ様が呼びたいようにお呼びして大丈夫だと思いますよ。ユキ様でしたらオーウェン王子も気にしないはずです」 そんなことないでしょ、とは思っても口には出さないで柔らかなほほ笑みを浮かべるセスの後ろを歩く。なんと呼ぶか答えの出ないまま、次の目的地へとたどり着いた。 「ここは王族に関する書物や、この国の土地、歴史に関する書物を保管している図書館です」 セスが開けてくれた扉から中に入れば、高い天井と、壁一面に並べられた数多くの本に圧倒される。部屋自体も広いため、かなりの数の書物が保管されていることがわかった。 「すごい数だね」 「重要な書物から国民の間で人気の小説なんかもあるんですよ。オーウェン王子のご配慮で仕えている者も利用させていただけるんです」 「へぇ、セスも使ったことあるの?」 「はい、読書も好きですし、使用人に必要な知識の本も揃っているのでここでよく勉強していました」 本棚の間に置かれている大きなテーブルには人の姿はないため、どうやら今は俺達以外にここを使っている人はいないようだった。 たっぷりと日の光を差し込む窓は大きく本棚に囲まれているのに開放感もあり、勉強や読書をするにはうってつけだと感じる部屋だ。 「何か読んでみていいかな?」 「もちろんです」 セスの返事に取り敢えず通りがかった本棚を眺めて、近くにあった大きくて重みのある本を手に取る。 いつのまにかセスが俺が座るためのイスを引いていてくれたため、そこに座りテーブルに本を置き開いた。 どうやら本はこの国の土地をまとめたものだったらしく、黒いインクで描かれた地図とその地方の説明が並んでいる。話す言葉もそうだけど文字も普通に読むことができて安心した。 「紅茶を用意しましょうか」 「ありがとう。でもここで飲んでいいの?」 「貴重な書物の辺りでは禁止されていますがここでは大丈夫ですよ」 じゃあお願い、との俺の言葉を聞くとセスは紅茶の用意のために部屋から出て行った。 最近はまったく読めていなかったけど読書は好きな方だし、この世界のことを知れる機会を喜びながらページをめくる。 こんなに広い図書館を独り占めしてセスの紅茶を飲みながら本を読めるなんて最高の気分だった。 かすかな布擦れの音が耳に触れて沈んでいた意識が浮上する。 まだ眠気の残るまま瞼を持ち上げると、信じられない人物がいて夢の中なのかと錯覚した。 「起きたのか、ユキ」 しかし聞こえた声と呼ばれた名前にいっきに意識が覚醒し、テーブルに伏せていた上半身を起こす。 俺の隣には何故かオーウェンが座っていた。 「オーウェン様? どうしてここに?」 従者に倣ってオーウェン様と呼んでみた俺に呼ばれた当人は少しだけ眉をひそめたように見えたものの、特に何も言われなかった。この呼び方でいいということなんだろうか。 「ちょうどここの前を通りがかったらユキの姿が見えた」 俺の姿が見えたからこの部屋に入って、寝ている俺を起こさずに隣に座っていたということだろうか。 オーウェンの言葉がしめすことを読み取ると、自分が思っている以上に大切にしてもらっているのかもしれないという考えが頭に浮かぶ。それと同時に、胸の辺りに甘くて切ない痛みが走った。 俺との距離を詰めようとしてくれているのを感じて俺も今日オーウェンを見かけたことを話してみようかと思ったが、何かに気づいたオーウェンはイスから腰を上げた。 彼の視線の先を追うと、王子付きの執事が扉の脇に立っているのが目に入る。どうやらもう時間のようだ。 「気に入った本があれば自由に持ちだして構わない」 「ありがとうございます」 待っている執事の方へと歩いて行くオーウェンは振り返らずに部屋をでて、すぐに背中は見えなくなる。 オーウェンと会えないことを特に辛いとは感じていなかったが、オーウェンと会えて、話しをすることができたことを嬉しく思っている自分に気づく。 忙しいなか作れた短い時間を俺に会うことに使ってくれたことへの喜び、さっきまでそばにいたオーウェンの存在が薄れていく寂しさを感じながら開いたままだった本を閉じた。 本のそばに紅茶の入ったティーカップがあり、触るとぬるくなっていた。俺が寝ていてもセスが離れることは考えにくいため、オーウェンが入ってきてから部屋を出て行ったのだろうか。 俺のために用意してくれたぬるくなっても美味しい紅茶を飲みながら、セスが迎えに来てくれるのを待った。
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