地球がさ周ってるだけさいつだって宇宙の月は丸くて綺麗

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 空を見ると、黒く紺色の空の中に、人が生きている証と言っても過言ではない、数々の電気の灯りの粒が溶けていた。  都会は明るくて、星がまったく見えないとは、よく言う話だ。この国では至るところに、「酒店」というネオンの看板があって、酒屋が多いなあなんて感じていたけれど、どうやら「酒店」は、「ホテル」のことらしい、ということに、宿泊先のホテルに着いてから私は気がついた。英語で出来る商談とはいえ、多少は勉強してくるべきだったな、なんてそのときに少しばかり後悔する。  それでも、天気が良ければ、都会であっても、月は見えるものだ。  今日の月は丸くて、大きくて、ああ綺麗だなあと感じた。  そして、私は、ふと自分の恋人に、月が綺麗、ということを伝えたくなった。日本語で「月が綺麗ですね」は「I love you」という意味がある、とは確か夏目漱石の言った言葉だっただろうか。いや前に彼が、二葉亭四迷が、日本の告白を特集したときに、そう言ってた、と言っていたっけ? と、そんなことに思いを巡らせながら私は、渡された鍵の番号の部屋の扉の鍵を開けて、中に入った。  中に入るなり、私は黒パンプスを脱ぎ捨てるように脱いで、置いてあった紙製のスリッパを履いた。酷使した足にスリッパはぺたぺた貼り付くような感じであまり気持ち良いものではなかったけれど、パンプスよりは軽いし楽だった。一つに縛っていた髪の毛のゴムも髪の毛をなぞるようにしてほどいていく。私の髪の毛先たちがスゥーっと胸の当たりに着地する。  私は、ピシーッとメイキングされたベッドの端の方に腰掛けて、携帯を開いた。鍵と共にもらったカードをスマホケースから取り出す。そこにはWi-Fiのコードが記されている。そのカードと画面を交互に見ながら、私は、Wi-Fi接続に集中した。  そして、しばらく携帯ではあまり使わなくなっていた、封筒の書かれたアイコンをタップして、文章を打ち込んだ。 「こんばんは。 いまホテルに着いて、やっとメールが出来ます笑 色々と緊張したけど、みんないい人で、ほっとした。 料理どれも美味しかったけど、一回パプリカと間違えて唐辛子食べちゃって笑 やばかったなー笑 メールとか久々にするね。 なんだか懐かしい笑 今、空見たら、月が綺麗だった。 月が綺麗ですね!(言ってみたかっただけ)」  私はそのように文章を打って送信ボタンを押した。ここのWi-Fiがどのくらいの性能なのか、不安だったけれど、無事「送信されました」とのこと。SNSはほとんど使えないけど、メールなら、というのは本当だったようだ。  私は、送信確認をしてほっとすると、携帯をテーブルに置いた。そしてスーツケースから下着とパジャマとを引っ張り出して、洗面所の扉の中に消えた。  お風呂から上がる。備え付けのシャンプーの香りを頭につけた瞬間、ふと過去の修学旅行のことを思い出したりした。自宅ではないところでお風呂に入る感覚というのは、なかなかに新鮮だった。タオルをターバンのように頭に巻いて、部屋に戻る。すると、携帯の通知の赤い小さいランプが灯っていた。  私はサイドのボタンを押し、画面を見る。 「優子さんこんばんは。 無事に着いたようで良かったです。 俺も唐辛子食べちゃったことある。辛いよね笑 でもともあれ、元気そうで安心しました。 そっちは晴れてるんだね、こっちは曇っていてなかなか月が見えません。 だけど、月の満ち欠けや晴れてる・曇っているなんて、地球にいる僕らだからそう見えているってだけで、宇宙の月はずっと丸くて綺麗なんだな、って思うな。 出張頑張って。でもあんまり頑張りすぎんなよー。 君が帰ってくるのを楽しみにしています。早く会いたい」  その文章を彼の声で脳内再生すると、私は「死んでもいいわ」とベッドにダイブした。  私はしばらくそのまま、ベッドに横になっていたが、その幸せを噛みしめるように、ゆっくり起き上がると、窓に近づき、そっと外の空気を開封した。  昼間は半袖でもいいくらいに暑かったけれど、夜は長袖パジャマでも少しひやっとする。海辺は熱しにくく冷めにくいと言うけれど、やはり、海のない大陸は熱しやすく冷めやすいものなんだなあと身を持って再確認した。  ほんの少しだけ開いた窓から、私は雲に隠れていない満月を一人見つめた。黄金色の、さつまいもを輪切りにしたみたいな、丸い月。  地球がさ周ってるだけさいつだって宇宙の月は丸くて綺麗  環境がどうあれ、いつだって、私はあなたを愛しています。  そんな思いを込めた短歌を、月に向かって私は指で空書きした。  紙にも、画面上にも、残さない。  けれど、月に込めたその短歌は、きっと、永遠に変わらず存在し続ける。  ――なんて、少し妄想が過ぎたかしらね。  私は窓を閉めて、歯を磨くと電気を消した。真っ暗な闇。寝返りを打ってふと顔を上げると、カーテンをしていない窓の奥に月が浮かんでいた。  太陽と違って、すべてを明るく照らすわけではないけれど、心に寄り添う光を届けてくれる月。  その月に恋人を重ねて、私はふー、と息を吐きながら眠りについた。  自分の両手を、恋人繋ぎのように絡めて、彼と始めて手を繋いだときの感覚を思い出すようにしながら。
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