だから俺は、生きることにした。

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だから俺は、生きることにした。

 あの子がいなくなったのは、俺達が小学校の五年生に上がる直前のこと。四年三組、三学期も残り僅かになった時のことだった。  小倉港(おぐらみなと)君。  身体は大きくないけれど、いつもにこにこしていて、頭が良くて、みんなに頼りにされていた“相談役”であったのはよく覚えている。彼は一年生の時から、たくさん難しい本を読んでいた。大人でさえ読めないかもしれない、いわゆる“非常用漢字”というのも、大抵港君に聞けば答えが返ってきたはずである。  熟に行っていたのか、それとも独学か。英語も多少は話せたらしいと聞いたことがある。学校のテストでは百点満点が当たり前、そういう生徒だった。でも、時々しょうもないミスをしてしまってはネタにして、ちょこちょこみんなを笑わせていた記憶もある。特に、みんなの顔が暗くなってくると、いつの間にか近くまでやってきていて、一言二言でみんなを明るくして帰っていく――そういう恐ろしく空気が読める人間だったのだ。  一人で本を読んでいることが多かったけれど、三年生まではけして孤立していたわけではないと知っている。まあ俺は彼と同じクラスだったわけではなくて、一緒のクラスだった斎藤君に聞いた印象では、という話なのだけれど。  ただ本が好きで、運動が苦手であったというだけ(彼はテストの点は良かったけれど、体育の成績だけはからっきしだったのだ。保健体育のテストがあると、どうにか五段階中三がキープできたようだけれど)。みんなもそれがわかっていたから、あの子を無理に誘おうとはしなかったし、俺達も誘いに乗らない港を“感じが悪い”とは思わなかったのである。  そんな彼に、俺が初めて頼ることになったのは――小学校の四年生になってからのこと。  正直に言って、四年生のクラスは酷いものだったのだ。市川美亜(いちかわみあ)、という女王様のような女の子が全てを支配して、気に入らない子を取り巻き達と一緒にいじめて回っていたのである。  ターゲットは“狼”と呼ばれて、定期的に変遷していった。彼女たちは、“狼のように嫌われ者で和を乱す人間は、徹底的に教育して優しい羊に変えてあげる必要がある”という歪んだ信念の下、言いがかりをつけて悪口やパワハラのような行為を繰り返し、一人を追い詰める遊びをしていたのである。  誰もが自分が“狼”にならないことだけで必死で、友達がいじめられていても助けることのできない状況に陥っていた。なぜなら助けたら最後、次の“狼”が自分になるのは明白だったのだから。そして俺も――友達を助けることができず、そして市川美亜の恐ろしい人心掌握術と精神攻撃に怯えて毎日震える日々を過ごしていたのである。 『隆君、やっぱり君も気になってるんだよね。今のクラスの状況』  トイレでこっそり相談したい、と言った時点で彼は察していたのだろう。僕が口を開くより先に切り出したのは、港君の方だった。ちなみに町田隆(まちだたかし)、というのが僕の名前である。 『嫌な空気だな、とは俺も思ってたんだけど。でも、まさかここまで酷くなるなんて思わなかった。市川さん、綺麗だし一見すると優しそうだったし……最初にいじめられてた北見さんは可哀想だったけど、北見さんの態度が変わればもうそれで終わるとばかり思ってたのに……』  酷いことを言っているのはわかっている。僕の声は段々と尻すぼまりになっていった。  一番最初にいじめられていた、北見舞花(きたみまいか)。正直僕は、彼女以外に標的が移ることも、ここまでいじめが長引くことも全く予想していなかったのである。
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