第5話 狼の皮

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第5話 狼の皮

 仕方なくミセリコルデを構えて〈森の四兄弟〉を見据えたが、その動きと剣さばきは、人であった時と変わらず、華麗で隙のないものだった。  対する三人はと言えば。  〈血まみれの聖母〉の剣さばきも美しく、力強く、ほれぼれするようなもの。一人で二人分、四本の腕を同時に相手にしている。  〈さえずり〉は、相変わらず、なんだかんだと喋りながら身軽な動きを見せているが、その戦い振りは危なかしくて仕方がない。にゃはは、と笑いながら紙一重でかわしている。  〈沈黙〉は、どうやら肉薄して戦うのは苦手らしく、飛び道具を使って牽制しながら、他の二人の支援に回っている。  にゃはは、にゃはは、と笑いながらも、普段のような呑気さはなく、〈さえずり〉が、こちらへ向かっていう。  こーら、サボるんじゃなーい! 相手が四人なら、こっちも四人でしょ。はーやーくー。  そう言われては仕方ない。故国の英雄に剣を向けるようで気は進まないが、ただの飼い犬として〈血まみれの聖母〉とともに戦うとしよう。大義だとか、正義だとか、戦う理由なんて、くそくらえだ。働きを示して、ロザリオを返してもらいたい。それだけだ。  一気に間合いを詰めて、すり抜け様に、ミセリコルデを突き刺した。……はずだった。鎧をも貫くはずの刺突を、硬い手応えで弾かれた。  ゲヘヘ、こりゃダメだ。館と同じ魔術の加護を受けてやがる。斬れ味や魔力の有無に関わらず、刃物で傷つけること能わずだ。  面白がっているような〈忿怒の遺産〉の声に、〈血まみれの聖母〉が応じる。  傷つけられなくとも、打撃は通っている。叩いて叩いて、叩き潰してくれよう。  その言葉どおり、〈血まみれの聖母〉は、闇雲に剣を振るい、鈍器のごとく、叩きつけ始めた。細腕のどこに、そんな力があるのか。背丈ほどの大剣を軽々と振り回す。さしもの〈森の四兄弟〉も、じりじりと押しやられている。  しかし、それは巧みな演技に過ぎなかった。調子に乗って肉薄してきた〈さえずり〉に向かって、必殺の一撃が落とされる。  考えるより先に、体が動いていた。  〈さえずり〉をかばって、重い一撃をなんとかミセリコルデで耐えた。強烈な打撃に両腕が痺れ、使い物にならない。  休むことなく、〈森の四兄弟〉の別の腕が剣を打ち下ろしてきた。剣筋が見えているのに、腕が上がらず、体も動かない。  変に目が良いのも考えものだ。  危機を感じた体が脈打ち、汗を吹き出して生き延びる道を探しているのがわかる。だが、ここまでだ。戦争において、英雄なんてものはほんの一握り。あとは掌から零れ落ちる砂粒に過ぎない。落ち行く覚悟を決めたとき、目の前を華奢な女性の影が覆った。  剣撃を、手にした大剣で打ちはらう。〈血まみれの聖母〉は、飛び込んできた無理な姿勢からの動きで、ガクンと片膝を着いた。  そこを、〈森の四兄弟〉の剣が襲う。  背後から〈沈黙〉が暗器を投げつけ、意思持つ魔剣〈忿怒の遺産〉が、勝手に動いて剣を防ぐ。  だが、ここぞとばかりに八本の剣撃が集中する。みるみるうちに押し込まれ、〈血まみれの聖母〉は、窒息するように動けない。  脳裏に浮かぶのは血まみれのロザリオだ。  ふつふつと怒りがこみ上げてくる。もう二度と使うまいと決めた力。ミセリコルデを投げ捨て、薄れていく意識の底で〈森の四兄弟〉を見据え、あいつを殺す、と繰り返す。  ドクン! ドクン! ドクン!  激しく、殴りつけるような鼓動の高まりを感じ、不意に、意識が途切れた。  ……目を覚ました時、最初に飛び込んで来たのは、ぴくぴくと痙攣する肉の塊だった。血まみれで生温かく。自分の右手には潰れた臓腑、左手には引き千切った髪の束を掴んでいた。  いったい誰の臓腑、誰の髪なのか。  嬉々として殺し合う〈狼の皮〉たちの最期を思い出し、周囲を確認する勇気が出ない。だが、甘い吐息のような声が聞こえた。  やっと気が付いたか。  あきれたような、疲れたような。その時になってようやく、地べたに座り込んで、背後から〈血まみれの聖母〉に抱きしめられていることに気付いた。布越しに、やわらかく、あたたかい感触。  にゃはは、これが〈狼の皮〉かぁ。いやぁ、すごいねぇ、こわいねぇ。  足を震わせ、頭から鮮血を被ったまま、壁にもたれて立つ〈さえずり〉が言う。その隣では、〈沈黙〉が座り込んで荒い息を吐いていた。  意識を失っている間に何があったのか、何をしたのか、それを聞く間もなく、〈血まみれの聖母〉に抱き上げられ、肩に担がれた。  行くぞ。この都市は、魔術で保たれていた。〈残された半身〉もおらず、〈森の四兄弟〉が肉塊と化した以上、いつ崩れてくるか分からん。  歩き出した〈血まみれの聖母〉の肩の上で、やっと体の感覚が還ってくる。指一本、動かせないような疲労感と、激しい痛み。両腕が折れ、握り締めた拳は歪で、何本もの指が折れ曲がっていた。  どうやら、肩と腹に穴も開いているらしい。口中に溜まった血が喉を落ちて、咳き込むたびに胸にも激痛が走る。肋も何本かいっているようだ。噛み締めた歯の間から、柔らかい、魚の目玉のような物を吐く。それは、妙に満足げな表情を湛えていた。  ただただ、悪化していく感情と感覚。  呼応するように、建物のあちこちから、呻きと叫びが聞こえてきた。石畳の通りが、ぐねぐねと揺れて脈打つ。都市内の建物が悲鳴をあげて倒れ、どす黒い腐った血のような液体が噴き出す。  都市自体が死にはじめていた。  ひしゃげて形が変わった城門の隙間から外へ出る。さほど間をおくことなく、城門がうねり、血を吐いた。  ぐぇ!  ひときわ大きな呻き声とともに、凄まじい堅牢さを誇っていた城壁が、城門が、ゆっくりと崩れ落ち、溶けていった。後に残ったのは、何千年も前からそうだったと思えるような都市の廃墟だった。  廃墟を遠巻きにしていた帝国軍が輪を狭めてくる。何層か外側に〈無能の騎士〉の姿があった。剣は届かないが、声は届く距離だ。  貴様ら、勝手な真似をしおって。ここの指揮権は私にある。勅命がなんだ! 戦場は前ばかりではないぞ。  その言葉、聞かなかったことにしておきましょう。  怒りに震える声を受けて、〈血まみれの聖母〉が応じる。まさに血まみれで、ところどころ破れた修道服が背徳的な官能を呼び覚ます。その姿はまるで……  魔女め! 大帝を惑わしおって。  魔女だと? この私が? いいだろう、このくだらない戦争を終わらせられるなら、奇跡でも異端でも魔術でも、なんでも使ってやる。魔女にも聖女にもなろう。  さあ、早く。蹂躙してみせてくれ。異教徒を駆逐するのでしょう? 改宗せねば死を。神の名の下に流す血は神聖なのでしょう?  誇り高き帝国兵たちよ。蹂躙せよ、蹂躙せよ。大地を染める血が平和を贖うならば! さあ、血を流せ!流してみせろ!  兵たちの間から、怒りとも唸りとも歓喜とも狂気ともわからぬ声があがる。その声にある種の恐れを抱きながら、〈無能の騎士〉が鎮めようと試みる。  一向に鎮まらない声のなかを抜けて、〈血まみれの聖母〉の肩にぶらさげられたまま前へ進む。相変わらず、さえずり続ける〈さえずり〉と、まったく声を出すこともない〈沈黙〉と。獣と血の臭いを纏った異端の一団は、どこへ行くのだろう。
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