第6話 計算盤と銭飾り

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

第6話 計算盤と銭飾り

 戦場から引き上げ、生死の境を彷徨った。  半年ほどは、まともに動くこともできなかった。時々、〈さえずり〉と〈沈黙〉が寄ってくれる。相変わらずの姉弟で、〈さえずり〉が一人でさえずり続けていた。  〈沈黙〉と言葉をかわすことはなかったが、何かの拍子に、口を開いて中を見せてくれた。そこには、あるべき場所に舌がなく、妙にぽっかりとした穴が広がっていた。  にゃはは、弟は拷問にあって舌を切られちゃったんだ。だから、喋れない。だから、あたしが二人分喋るんだよ〜。  そんなことを言っていたが、単に生来の喋り好きのように思える。  〈血まみれの聖母〉が立ち寄ったのは一度だけで、二度と力は使うな、使わずに済むように鍛錬を積め、と釘を刺された。  呪いに他ならない〈狼の皮〉の力を使った時、〈森の四兄弟〉の頭のひとつをねじ切り、馬の体を突き破るように腕をねじ込んだらしい。尋常でない力で、自分の腕や指がへし折れるのも構わずに。あげく、倒れた〈森の四兄弟〉の体を引きちぎり、抉り、噛み取っては吐き捨て、悪鬼羅刹の所業だったという。  〈血まみれの聖母〉が持つ魔剣〈忿怒の遺産〉の力を使って押さえ込んだとか。  寝て過ごした半年の間に、戦況は大きく動いていた。帝国が領土を拡大し、王国の領土を削り取っていた。そのまま行けば、問題なく〈狂喜の大帝〉の勝利なのだが、戦況が有利になればなるほど結束が崩れるものらしい。  陣営内に不穏な空気がある。忌々しげに、〈血まみれの聖母〉が言う。軍団同士の足の引っ張り合いだ。勝てると踏んで、勝った後のことを心配しているのだ。だが、私には、王国が引き込みを図っているように思えてならない。  首を振って溜息をつく。  傷が癒えた頃に迎えをやると言われ、後方で、ただ迎えを待つ。そんな日々。体も動くようになり、鍛錬を重ねていると、ある日、年嵩の男と若い男と、二人連れが訪ねてきた。  ふぅん、元気そうじゃないか。死にかけていたとは思えないねぇ。  口火を切ったのは年嵩の男だった。優しげな、しかし、どこか値踏みするような目で見てくる。  駄目だよ、きみ。怪我ばかりしていては損だぞ。計算しなければならん。どちらが得であるか。  ヘッ、出たよ、計算! と、若い男が薄ら笑いを浮かべる。なんでもかんでも、計算、計算だ。そんなんだから、〈計算盤〉なんて呼ばれるんだよ、おっさん。  いいさ、なんと呼ばれようと。名前なんぞ、どうでもいい。きみこそ、じゃらじゃらと金を体に巻きつけて、〈銭飾り〉なんてよばれているじゃないか。  へっ、こいつは俺の全財産さ。俺の故郷じゃ、財産は、金か宝石に変えて常に持ち歩くんだ。いつでも、どこへでも行けるようにな。それに、戦場以外に金をおいておくなんて馬鹿げてるぜ。俺が死んだら、俺の金を誰が使うって言うんだ? ええ、おい?  ふぅん、なかなか理に適った話じゃないか。〈狼の皮〉だったか、きみも見習いたまえよ。ん? なんだ〈血まみれの聖母〉の犬扱いかね。無給だって? ロザリオを返してもらうため? はぁ、馬鹿な契約だねぇ。  心底あきれたように〈計算盤〉が言う。その後、ようやく用向きの話になった。この二人とともに、進撃を続ける最前線の斬り込み部隊に合流する。それが〈血まみれの聖母〉からの指示だという。  ふぅん、無感動だねぇ。〈狼の皮〉というのは、みんなそんな感じなのかね? ほう、きみが最後の一人か。それはそれは、希少価値があるね。最前線だよ、きみ。いつ死ぬかわからないよ? 勝ち戦でも負け戦でも、前線は死体を積み上げて維持するものだからね。  やだやだ、計算が合わないじゃないか。今回は特にね。なんせ〈血まみれの聖母〉の私情が挟まっているからねぇ。どういうことかって? ま、行ってみればわかるさ。世の中、計算だよ、計算。  ヘッ、計算で考えれば、〈狼の皮〉なんて、さっさと殺すべきだと思うがな。敵も味方も、自分すら、無差別に殺して回るやつなんて。危なくて仕方ないぜ。  まあ、そう言ってやるな。これから戦場で肩を並べる仲間なのだから。きみ、すまないね。〈銭飾り〉は照れ屋なのさ。  ヘッ、誰が照れ屋だ、と吐き捨てる〈銭飾り〉と、それをみて笑う〈計算盤〉と。三人で、後方から前線へと向かった。  道中、〈銭飾り〉は終始不機嫌で。対して、〈計算盤〉の方は終始上機嫌だった。その理由はよくわからなかったが。  合流したのは、〈狂喜の大帝〉の甥にあたる〈泥甕の貴公子〉が指揮する部隊で、すでに〈血まみれの聖母〉と〈さえずり〉に〈沈黙〉の姉弟もいた。  驚いたのは、〈血まみれの聖母〉が、冷淡な表情を和らげ、年相応の愛らしい顔をしていたことだった。こちらに気付くと、憮然とした表情をしてみせるが、心の底の方から機嫌の良さが滲み出ていた。  ヘッ、馬鹿馬鹿しい。ぺっ、と唾を吐きながら〈銭飾り〉が呟く。いいか、くそったれの〈狼の皮〉野郎。〈血まみれの聖母〉と俺たちは違うんだよ。あいつは、〈泥甕の貴公子〉に光を見たのさ。この戦争を終わらせ、次代を切り開く貴公子様にな。  でも、俺としちゃあ、戦争が終わってもらっちゃ困るんだよなぁ。仕事がなくなっちまうぜ。ヘヘッ。  きみたち、お喋りは、それぐらいにしておきたまえ。〈泥甕の貴公子〉様の登場だ。  〈計算盤〉が静かにするよう身振りで示す。  帷幕から姿を現したのは、まだ若い男だ。前線の野営地にいるとは思えないほど清潔な服と、艶やかな髪と肌と。高潔で温和で、それでいて意志の強さを宿した目。〈血まみれの聖母〉でなくとも、そこに希望を見てしまう。それぐらい、輝きを感じさせる。  異端の一団に対して嫌悪の表情を浮かべるだろうとの予想に反して、あたたかな労いを受けた。確かに、この人物が次代の王なら、希望があるのかもしれない。しかし、希望というものは儚い。  〈泥甕の貴公子〉が死ぬのは、その翌日のことだった。進撃を続ける帝国軍の前線は、伸び広がって緩み始めていたのだ。  各地で、それぞれの前線を受け持つ部隊の進軍速度には違いがあり、騎兵中心の部隊の多くが、突出しすぎていた。  それを、王国側は、国土を差し出すことで演出してみせた。さらに、待ち伏せにより、〈泥甕の貴公子〉の部隊は全滅した。  不意に現れた王国軍の主力部隊に、あれよあれよという間に包囲され、絞られて絞られて絞られて。  後続部隊の援護が間に合うとも思えず、どこに温存されていたのか、雲霞のごとく押し寄せる敵軍の前で、味方は水のように溶けていった。  だが、あるいは、それだけならば。  それだけならば、少なくとも〈泥甕の貴公子〉は助かっていたかもしれない。それほどに、〈血まみれの聖母〉の戦い振りは凄まじかった。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!