第2話 さえずりと沈黙

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第2話 さえずりと沈黙

 二十日ほどが過ぎ、ようやく身体が動くようになったころ、充てがわれていた宿舎に、〈血まみれの聖母〉が訪ねてきた。  そろそろ働いてもらうぞ。私の部下は、常に最前線で死に続けているのでな。これ以上、休ませてやる余裕がない。  ゲヘヘ、戦死率は不動の一位だぜ。うちと当たった敵軍も道連れだがね。  下卑た笑い声をあげる魔剣〈忿怒の遺産〉を黙らせると、〈血まみれの聖母〉は仕事の内容を語った。    知っての通り、この大陸では〈狂喜の大帝〉と〈敗北の王〉が、ながく、くだらない戦争を続けている。  おまえは、数ヶ月前までは〈敗北の王〉の尖兵だったわけだが、今度は〈狂喜の大帝〉の尖兵として戦ってもらう。どちらも同じ人殺しだ。得意だろう? おまえたち〈狼の皮〉は。散々、我が軍を苦しめてくれたからな。  今回おまえに行ってもらうのは、こちらの勢力圏に飛び地のように残った城塞都市だ。大軍で攻めかかっても落とせないでいる。そこで、我々の出番となった。向こうには、〈残された半身〉とその軍勢がいるらしい。あちら側にいたのだから知っているだろう?  知っているどころじゃない。そいつのせいで全滅したのだ。そもそも、誇り高い勇士の集団を〈狼の皮〉に作り変えたのが、王国の魔術士〈残された半身〉なのだから。  知っていると頷いてみせると、捕虜になった時に取り上げられた武具を渡された。細長く鋭い刺突用の短剣だ。本来、とどめを刺すために使われ、慈悲の剣の別名を持つ、ミセリコルデ。  その剣で、殺したのか?  一瞬、何を問われたのか分からなかった。〈血まみれの聖母〉が問うたのは、これで、彼女の妹を殺したのか、ということだと理解するのに数秒かかった。そうだと応じると、〈血まみれの聖母〉は納得したように頷き、愛しげにミセリコルデの刃を撫でた。  今度は〈残された半身〉を殺せ。あと二人同行させる。都市に潜入して殺してこい。おまえたちの生死は問わない。  死んでこいと言うも同然の言葉だったが、不快さはなかった。むしろ、すっぱりと斬りつけるような言葉が心地よかった。  立ち去り際、そうそう、出立前に洗礼を受けておけと思い出したように言う。その熱意のない物言いに、〈狂喜の大帝〉が掲げる教化という正義に、まるで興味がないことがわかった。  その後、異教の洗礼を受け、よくわからない名前をつけられたが、すぐに忘れてしまった。呼び名は〈狼の皮〉だけで十分だ。  一緒に行く仲間として紹介されたのは、まだ若い姉弟で、子供のような背丈の女と、痩せ細った背の高い男だった。  男の方は寡黙で、女の方は饒舌だ。どちらも牢獄に踏み込んできた足の持ち主なのだろう。他にも居たように思うが、すぐに死ぬようだし、気にするまでもない。  にゃはは、ほんとに可愛いじゃん。  にこにこと純朴な少女のような声音で女が言う。思ったことを、そのまま口から垂れ流すようにして、前線への道中、ずっと喋りっぱなしだった。  自分たちのことも隠さず、さえずりのような話から拾ってみると、〈狂喜の大帝〉からすれば、南の異教徒にあたるらしい。一面、砂に覆われた世界から来たと言うが、どんなところなのか、よくわからない。  姉弟の呼び名は、それぞれ〈さえずり〉と〈沈黙〉で、姉は喋り続け、弟は黙り続けていた。  帝国が削り取った領土の外れに、ぽつんと小さな城塞都市があった。何万もの軍勢が周囲を取り囲むようにしている。北方の王国へ進軍するにあたって、どうしても潰しておきたい位置にあるらしい。  軍営に到着すると、すでに先触れがあったらしく、帷幕へと案内を受けた。その間、仲間であるはずの兵士たちの視線は冷たく、まるで歓迎されていないようだった。  にゃはは、びっくりしたっしょ、びっくりしたっしょ? ちみが仇敵の〈狼の皮〉だからじゃあないの。うちらが異端の軍団だからだよ〜。  楽しそうに〈さえずり〉がさえずり続ける。  みてなよ、そのうち〈無能の騎士〉が出てくるから。帷幕になんて入れてくれないよ。追い返されなきゃいいけどね。  にゃはは、にゃはは、と笑いながらさえずり続ける。その言葉通り、いかにも青年貴族然とした、戦場には場違いな男が出てきた。  ほらほら、来たよ。〈無能の騎士〉だ。  おそらくは遠征軍の将軍であるはずの男を前にしても、〈さえずり〉は、なんの遠慮もなくさえずり続ける。  〈無能の騎士〉は、じろりと〈さえずり〉を睨みつけるが、その喋りを無視して、〈沈黙〉を、続けて、こちらを見てきた。  顔面蒼白で、万単位の軍勢を無駄に遊ばせていることを憂いているのかと思えば、さにあらず。怒りを込めて、言葉を叩きつけてきた。  調子にのるなよ、異端ども。〈血まみれの聖母〉が、どれだけ戦果をあげようが関係ない。私の手助けだと? 無用のことだ。  妖しげな魔術に翻弄されて時間はかかったが、今夜には総攻撃で叩き潰す。おまえたちが戦場に出ることは罷りならん。黙って、我が軍の蹂躙を見ておれ!  言い捨てて、返事も待たずに帷幕へと戻っていく。戦場の指揮者が功を焦り、失態を隠そうとするときほど見苦しいものはない。無駄な突撃で死ぬのは、いつだって末端の兵士だ。むろん、これまで散々殺してきた者が言うことでもないが。  にゃはは。みてろと言うなら、みてればいいんじゃない? その方が楽だし。  と笑う〈さえずり〉に〈沈黙〉が同意する。まあそうだな。城塞都市は海のような大軍の中ですぐに沈むだろう。ダユーの都のように。  その夜、総攻撃が始まった。  大海の木の葉のごとき城塞都市に、夥しい数の鎧兜が、剣が、斧が、投石機が、波となって押し寄せた。  しかし、城塞は堅固で、城壁は高く、城門は硬く、そよとも動かない。全軍の苛立ちが伝わってくる。すると、不意に城門が開いた。  苛立ちのままに部隊が雪崩れ込むが、何千もの兵士を飲み込むと、再び城門が閉じる。閉じさせまいとした幾人かの兵士は城門に挟まれて圧死した。  この間、敵軍の姿は見えなかった。  王国の魔術士〈残された半身〉が、なんらかの魔術を使っているに違いない。やがて、再び開いた城門から押し出されるように出てきた兵士たちは一様に顔面蒼白で、生気のない行軍の後、一斉に倒れ、そのまま死んでいた。城門が音を立てて閉まる。  明らかに全軍の士気が下がったのがわかった。相変わらず、城壁をよじ登ろうとする者、城門を破壊しようとする者の姿はあったが、成果はなく、目に見えぬ影に怯えるようにしている。  〈さえずり〉〈沈黙〉と高見の見物を決め込んでいると、鮮烈で不機嫌な声が聞こえてきた。
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