狼さんは月の夜に

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「はい、アップルティ」  和久が、缶を差し出す。  美緒のお気に入りで、和久との逢瀬でいつも買う缶だ。  覚えていてくれたことが嬉しい。  いや、それ以前に、これまでは“偶然の逢瀬”というシチュエーションだった。こんな風に美緒を待つような態度を明確に見せてくれるなんて驚きだ。  これ以上なく期待が膨らむ。 「……ありがとうございます」  興奮を抑えるため、少し間が空いてしまった。和久が変に思わなければ良いなと願いながらゆっくり手を伸ばす。  以前一度やった“払う、奢る”の言い合いなしに、すんなり受け取ると、和久は笑顔を散らした。  笑うと目尻に優しい皺が寄り、可愛らしくなる。和久のその表情を、美緒はとても好いていた。 「今日も、月が綺麗だねぇ」  視線を上げて和久が溢す。  思わず美緒が和久を凝視すると、その熱い視線に気付いたらしい和久は直ぐ様アッと呟いた。息を詰まらせながらわたわたと言葉を重ねていく。 「いや、違っ、そういう意味じゃ……っ」  焦る姿が狂おしいほどに愛らしい。  “月が綺麗ですね”を、“I love you”の和訳に当てたとする夏目漱石の逸話(伝説?)は有名だ。  和久がその手の意味を込めた訳でないことは美緒にも解っていた。彼は、本質的に、そういった気障な言動から遥か彼方に存在する朴念仁だ。  それでもつい頻脈になってしまうのは、乙女心、とでも言おうか。  これまでとは違う、明らかな和久の好意に晒されているせいかもしれない。
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