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おもかげ 5
気が付くと、わたしは白い部屋にいた。
わたしの部屋より広く、ドレッサーや化粧箪笥などの調度もわたしの物より高級そうだった。
「お目ざめかい、織江」
わたしが身じろぎする気配に気づいたのか、ドアの近くで携帯をいじっていた人影がこちらを向いた。
「お父さん」
わたしは自分の喉から出た声に、はっとした。そしてその瞬間、わたしは自分の身に何が起こったかを理解していた。
「どうした、織江。無理して起きようとせず、もう少し横になっていたらどうだ」
わたしは頭を振ると「大丈夫。……ちょっとブラシを取りに行っていい?」と言った。
「もちろん。ここはお前の部屋だからね」
わたしはベッドから降りるとまっすぐドレッサーに向かった。父の訝しむようなまなざしを背中に感じながら、わたしは引き出しを開けて中をあらためた。
「本当に大丈夫か?まだ身体がうまく動かないはずだが」
「そんなにわたしの身体が心配?」
わたしは父の方を向くと後ろ手で裁ち鋏を取り出し、隠すように握り締めた。
「当たり前だろう。子どもを心配しない親がいるものか。ましてやお前は――」
「ほんの少し前に心臓を取り換えたばかり……そうでしょ?」
わたしの表情を見た父は目を見開き、口元をわななかせた。
「なぜそれを……」
「織江の身体が教えてくれたの。ここは私の中よ、安奈って。……ねえお父さん、さっきわたしのことが心配だって言ってたけど、心配なのは織江?それとも――」
「安奈?安奈なのか?」
信じられないという表情を浮かべている父に、わたしは微笑みかけた。
「その表情……やはりお前は安奈なのか。……しかしなぜ」
愕然としている父を前に、私は空いている方の手を自分の胸に当てがった。
「わたしたち、約束したの。ずっと一緒にいるって。……知ってる?人間の心臓には、その人の人格を記憶する働きがあるってこと。織江はわたしの心を殺さないように、自分の身体を分け与えてくれたの。これからは二人で一つの身体に住みましょう。ピアノを弾く時はあなた、絵を描く時は私って」
わたしは裁ち鋏を顔の前にかざすと、父の顔を見た。
「安奈、やめるんだ。確かに本当のことを告げずにいたのは私の罪だ。だが……」
「仕方なかった、でしょ?わたしの心臓がなければ織江は死ぬ運命だったんだから」
押し黙った父の顔に浮かぶ苦悶の色を見つめながら、わたしはさらに言葉を続けた。
「織江はお父さんの本当の娘。そしてわたしは織江のクローン。だからお父さんはわたしに大きな家と立派なピアノをくれた。……せめてもの罪滅ぼしにね。でも所詮わたしはスペア、実の娘に心臓を提供するためだけに産みだされた劣化コピーというわけ」
「そんな風に考えてはいけない、お前にはお前の存在価値が……うっ」
わたしは素早く動くと、手にした裁ち鋏をためらう事なく父の首筋につき立てた。
「安奈……」
鮮血を噴き出しながら崩れる父を眺めながら、わたしはもう一人の自分に語りかけた。
ごめんなさい、織江。あなたの美しい指先を血で汚してしまって。
――いいのよ、安奈。それより、またあなたのピアノを聞かせてね。
うまく弾けないかもしれないわ。心臓は覚えていても、指はあなたのものだから。
――大丈夫、必ず弾けるわ。この身体はもう、死ぬまでわたしたち二人のものよ。
織江の言葉に頷きながら、わたしは血塗れの鋏をメトロノームのようにカチ、カチと鳴らした。
(了)
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