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おもかげ 3
細めに開けたドアから中を覗きこんだ時、あの子はわたしの唇にハイライトを入れようとしているところだった。
「やだ、見てたの?」
この数週間ですっかり砕けた口調になった織江は、わたしの姿を認めると絵筆を置いて破顔した。
「素敵……もうすぐ完成ね」
わたしは大きなキャンバスに描かれた自分の肖像を見て、ため息をついた。タッチや色彩も素晴らしいが、何よりわたしが惹きつけられたのは画面から伝わってくる愛情だった。
「きっと安奈のコンサートももうすぐよ」
そう言って眩しい笑顔を見せる織江に、わたしは黙って頭を振らざるを得なかった。
「でもね、まだ先生にも、お父さんにも打ち明けてないの。外でコンサートなんて、許してくれないような気がして……」
「弱気になっちゃだめよ安奈。見て、この絵の中のあなたを。この絵の中の女の子はきっと将来、このお屋敷から羽ばたいてたくさんの人を演奏で感動させるピアニストになるわ」
織江の励ましに感謝の言葉を返そうと口を開いたわたしは、途端に激しく咳き込んだ。
「大丈夫?……お薬、持ってくるわね」
顔色を変えて腰を浮かせた織江に、わたしは「いいの、このくらいならすぐ収まるわ」と言った。この頃回数が増えてはいるが、織江を必要以上に心配させるのは嫌だった。
「ねえ、もし私たちに何かがあって離れ離れになっても、私の心はずっと安奈と一緒よ」
織江の透き通った瞳でふいに見つめられ、わたしは即座に「もちろんよ」と答えた。
「どちらかがこの家から離れても、私たちはいつもお互いの中にいるわ。……ずっとよ」
わたしが顔を見つめ返して言うと、織江は目尻に涙をためて頷き「約束よ」と言った。
あの子がわたしの前から突然、いなくなったのはそれからほどなくしての事だった。
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