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しばらく来花とLINE越しに雑談していると、店長さんがやってきた。
丁寧にクロッシュをかぶせたお皿から、まろやかな味噌の香りと爽やかな柑橘系の香りがほのかに漂ってくる。
匂いだけでお腹が鳴りそう。早くもお皿に目が釘付けだ。
店長さんはサイドディッシュの白米を置いてから、いっきにクロッシュを持ち上げた。うっすらと白い湯気と一緒に、柚子味噌の香りが一気にはじける。
「こんにゃくの柚子味噌田楽、おまちどおさま」
湯気の奥から、透き通った御影石みたいなこんにゃくが顔を出した。
「いただきます」
黄金色の柚子味噌がかかったそれは、箸でつまむと逃げ出しそうなぐらいの弾力がある。
思いっきり一口かじりとると、ぷるんとした食感と同時に柚子味噌が舌にからみついた。上品な砂糖の甘さ、大豆のまろやかさ、柚子の爽やかさ。そのそれぞれがお互いを邪魔せずに同居している。よく噛んで飲み込むと、後からこんにゃく芋の風味が優しく口に広がった。
「おいしい――! これ、すごくおいしいです!」
私はそんな言葉を口に出していた。これだけのものを食べて「おいしい」って言わないなんて、逆に失礼。そう思えるくらいにおいしいよ!
「そう言ってもらえると作った甲斐があるな! ありがとな!」
店長さんは子供みたいにキラキラと目を輝かせて笑う。
味噌田楽の美味しさとその様子の微笑ましさが相まって、私はついつい吹き出してしまう。
「店長さん、相当料理がお好きなんですね」
「まあ、こう見えても――」
なんて、私が店長さんに話しかけていると、ちょうど反対側の角あたりに座っていたお兄さんが立ち上がった。
「おい、料理が遅いぞ! こっちは高いカネ払ってんだ、早くしろよ!」
革ジャンに鼻ピアスという、見るからにチンピラっぽいお兄さん。ドラマなら明らかに三下なんだけど、現実にいると十分怖い。店長さんはあんまり強そうに見えないけど、一人で対応大丈夫かなぁ……?
「ご注文の『きのこのハッセルバックポテト』は、ただいま調理中なんで、もうしばらくお待ちください」
てっきり平謝りするものかと思ったら、意外にも店長さんは毅然とチンピラに向かい合った。でも、引っ込みがつかなくなったチンピラはまだ怒っているみたい。
「っざけんな! 客をコケにしやがって――!」
チンピラが大きく拳を振りかぶる。
「ああっ! ちょっ、ストップ!」
店長さんは両手を挙げて降参のポーズを取ったかけれど、もう遅い。チンピラの拳が店長さんに迫る。うわ、痛そう――と、私が目を背ける一瞬前に、店長さんのおでこに突然光り輝く模様が浮かび上がった。
小さい頃に見たバトル漫画の演出みたいな現実味のない光景に、かえって目が離せなくなる。
次の瞬間、急にチンピラが大きく後ろに吹き飛んだ。
後ろの机が倒れ、食器が割れる音で、私ははたと我に返る。
「だから言ったのに……」
店長さんが大きくため息をついて頭をかかえる。完全に伸びきっているチンピラを見て、隣の席のおばさんトリオが声をあげた。
「すごいわ。あのクレーマーを一発でやっつけちゃうなんて」
「しかも今、店長さんが何をしたのか全然見えなかったわよね」
「何か武道でもやっているのかしら。かっこいいわぁ」
きゃあきゃあと黄色い声でそんな噂話をするおばさんたち。
でも、私の頭に浮かんだ考えは、そんなのとは全く違っていた。
『だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう』
――さっきのチンピラは、店長さんが触れてもいないのに吹き飛んだ。
まるで七人くらいの人に一斉に殴られたかのような勢いで。
『主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた』
――その直前、店長さんのおでこには見たことのない模様が浮かんでいた。
『日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした』
――このお店の名前は、『菜食料理 寡隠堂』。
自分が思いついた、有り得ない結論。でも、考えれば考えるほどそれが正しいように思えて、震えが止まらない。
「旧約聖書の――カイン――?」
私のつぶやきが聞こえたみたいで、店長さんがこっちを見る。私はびくっと肩を震わせた。だってカインって、同情するところはあるけど、一応世界最初の殺人犯で『悪い人』だし、失礼だったよね、今の。
でも、店長さんは驚いた顔でこっちを見て、それから眉間に手を当ててこう言った。
「その制服、聖智学院の――あー、そっか。あそこってミッション系だったか。やば、ちょっとめんどくさいことになったな」
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