新しい風

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新しい風

 翌日の朝。ホームルーム。  四年二組の空気はどんよりしていた。生徒たちはまだ、あの子の転校のことで落ち込んでいる様子だった。  だらだらした起立礼着席のあと、私は声を張り上げる。 「さあみんな! 突然ですが、今からみんなで、四年二組の目標を決めたいと思います!」  ええ? 生徒たちは呆れたように私を睨みつけた。ここで負けてはいけない。 「なんで今更」 「いいじゃない。目標があったほうが、クラスがもっと団結するでしょ」 「なんか先生、話し方変わってね?」 「ほらほら、何か意見ある人!」 「先生、ホームルームの時間で決まらないと思います」 「大丈夫。次の時間のテストはまた今度にしまーす」 「やったあ! 俺テストの勉強全然できてなかったんだよなー!」  私は尾野周平を見た。尾野周平は恥ずかしそうに私から目をそらすと、窓の外を眺めた。 『四年二組の空気』。それが、尾野周平が掲示板に書いた名前だった。  名前のないそれは、確かにこのクラスに在籍していた。誰とは限らないが、複数の生徒が醸し出す感情が一致したときに、それはこのクラスを牛耳る。忖度というやつだ。  例えば、尾野周平は陰が薄いくせに偉そうだと感じた数人が、はっきりと口には出さずとも、あからさまな嫌悪感を態度に現す。すると、その空気を察した生徒には、無意識のうちに尾野周平に対する嫌悪感が刷り込まれる。みんなが同じことを思っていると怖くなくなり、誰かがいじめという行動を取ってしまう。あるいは、空気が特定の人物にそうするように指図する。  クラスで委員会を決めたときも、合唱コンクールの曲を決めたときも同じ。言葉にはしないが、クラスの大半が同じ意見を持っていた。膨らんだ空気は少数意見を拒絶し、なにもかもを思い通りに支配してしまった。  合唱コンクールの練習をみんなが励むようになったのも、たまたま過半数のやる気が一致しただけだ。本当は面倒だった生徒も、空気には逆らえなかった。  空気が女子生徒という輪郭を持っていたのは、その振る舞いが悪い女王様のようだったからだろう。  やんちゃ野郎はあの子のことが好きだった。そうみんなが思い込んでいる理由は、彼がよく空気に持て囃されることで、クラスの注目を浴びて酔いしれていたからだ。また、あの子と仲が良かった派手な女子グループというのが、よく率先して空気を作り出していた元凶だった。  空気にクラスを乗っ取られてしまったのは、私が生徒たちを放置していたからに他ならない。空気の中にいる人が空気に逆らうのは並大抵のことじゃない。ましてや、彼らは集団でしか行動することのできない小学生だ。大人が空気を変えてやらなければならなかった。  あの子が転校した今、生徒たちは行動指針を失って困惑している。また新たな悪い空気が生まれる前に、今度は私が生徒たちを引っ張っていかなければならない。その第一歩が、みんなで四年二組の目標を決めること。  窓から風が吹いた。心地よい、新しい風だった。  四年二組と私は、あの子の転校をきっかけに、変わろうとしている。
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