ホームルーム

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ホームルーム

 その日の四年二組は異常だった。   「あの子がいなくなっちゃった!」  私が教壇からその話をするまでもなく、クラスはその話題で持ちきりだった。 「どうして急に……」  学級委員の女子生徒が青ざめた顔をしている。 「あの子がいなきゃ、誰がこのクラスを引っ張っていくんだよ」  クラスいちのやんちゃ野郎が怒号を飛ばしている。 「寂しいよお……」  あの子と仲の良かった、髪型が派手な女子のグループが泣いている。 「はいはい、ホームルームを始めますよ」  私は手を叩いてその場をなだめようとしたが、私語を慎まず前を向かないのはいつもと同じだった。 「先生! どうしてあの子は転校しちゃったんですか?」  派手な女子グループの一人が私に向かって怒鳴る。  ホームルームは、教師からクラス全員に対する平等な情報伝達の場であるべきである。私はこれまでも、一対一の会話にならないように気をつけてきた。  女子生徒の質問を無視して、ホームルーム開始の儀式を執り行おうとする。これも教育だ。  学級委員に号令を掛けさせる。  起立。全員が立つのに、いつもより時間がかかった。  礼。まったく揃わない。  着席。泣き声が大きくなる。 「えー、皆さんももうご存知のことですが」  ある生徒の転校。その事実を伝えようとした。  でも、何かおかしい。言葉が出てこない。  私は口を開けたまま固まっていた。  ただ、「〇〇さんが転校しました。急でしたが、ご家庭の事情とのことです」と言うだけだ。実際、〇〇さんが急に転校になった理由は私も聞かされていない。それでも家庭の事情と言っておけば、生徒たちは納得せざるを得ない。だから、早く言わないといけないのに。 「ねえ。ところであの子って、誰だっけ」    泣き声の中から、男子生徒の声がした。教室の時間が、一瞬止まったようだった。 「そういえば、なんて名前だったっけ」 「お前ら仲よかっただろ。なんで思い出せねえんだよ」 「はあ? あんたこそなんで覚えてないのよ」 「そうよ。あたしたち知ってるのよ。あんたがあの子のこと、好きだったってこと」 「そんなわけねえだろ! 適当なこと言ってんじゃねえ!」 「ほら、やめなさい」  私は教壇から手を叩く。  加熱していく生徒たちの混沌を見ながら、私も戸惑いを隠せなかった。  あの子は確かに昨日まで、このクラスにいた。でも、あの子の名前も、見た目も思い出せない。確か女子生徒だった。それさえも自信がなくなりつつある。  確信を持てるのは、彼女はクラスで一番の人気者だったこと。クラスで委員会を決めたり、合唱コンクールの曲を決めたりするとき、彼女の意見にみんなが賛同した。合唱コンクールの練習のときには、彼女がみんなを鼓舞してまとめてくれた。クラスでいじめが発覚したとき、主犯格は彼女だった。それなのに、どうして……。  クラスが荒れて行く中、私はふと、ある生徒が目についた。  その男子生徒はいつも一人でいて、よく窓際の一番後ろの席から、クラスメイトの騒ぎを冷たい横目で見ている。  名前は尾野周平。長い前髪に背の低い、痩せた少年。  彼なら何か知っているかも知れない。何となくそう思った私は初めて、放課後、彼に話しかけてみようと思った。
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