4年目を通して:この喜びを噛み締めて。

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4年目を通して:この喜びを噛み締めて。

「トランペットのコンクールメンバーは、」  合奏場に集められたのは私たちトランペットパート21人。さっきまで行われていたコンクールオーディションの結果が監督の口から伝えられる。大袈裟に言えば大学生活の在り方を左右するこのイベントにおいてさえ、監督の口調は普段と変わらなかった。 「まず、大波」  その言葉に「はい」と大波が上ずった声で答えた。 「それから相浦、井口、村田、磯部、牧村」  それから監督は淡々と明日からコンクールの練習をする面々の名前を読み上げていく。2番目か、と自分でも驚くほど冷静にその結果を受け止められていた。年齢で順序が決められている訳ではないだろうし、五十音順でもない。となれば実力順という事になるのだろう。悔しさが大いにある一方で、「あの大波が」という驚きと喜びの気持ちも隠し切れない。 「――以上6名で、今年は頑張っていきたいと思います」  はい、と全員が答える。中には涙をにじませる後輩もいて、トランペットパートの未来は明るいなと思った。 「まあ、今年のトランペットは優秀だね。相浦がよく頑張ってくれたんだと思う。ただ相浦と大波以外はもうちょっとスタミナをつけた方が良いね。緊張もあるだろうけど最初と最後で音圧が変わりすぎる」  監督の講評には一際大きな返事が返された。 「大波はもうちょっと表現の幅があると良いね。音は柔らかくていいんだけど、フォルテがどうしても弱く聞こえちゃう」 「は、はい」  上ずった声だ。普段から楽器を吹いている時みたいに堂々としていればいいのに、なぜだか大波はいつも緊張している。普通は逆だと思うのだけど。 「相浦は……よく頑張って盛り返したね。そういう姿勢が後輩を引っ張ってこれたんだろうね」 「ありがとうございます」  自分が求める実力は付いていないけれど、褒められるのはやっぱりうれしい。また今日から頑張れそうな気持ちがひときわ強くなる。 「あとはまあ、個別に言ったところを意識してもらって、それを直すようにね。以上」  ありがとうございました、と一斉に言ったのを待ってか待たずか監督はその場から離れていく。そのまま部屋から出た時に、みんなの感情が思い思いに吹き上がる。涙を拭ったり、飛び跳ねて喜んだり、それを祝福したり、私のように何の行動もしない人まで、多種多様だった。 「……あの、相浦先輩、なにかありますか」  恐る恐る聞いたのは大波だった。その言葉を聞いて再び部屋の中に緊張が走る。 「……ないよ」と言っても緊張は変わらない。彼らは私の口から何かの言葉を待っているようだった。だからパートリーダーなんてものにはなりたくなかったのに。  出てきそうになった溜め息を押し殺し、その間に紡ぐべき言葉を探っていく。溜め息として出るはずだった息は、言葉となって部屋の中に響く。 「とにかく皆、おつかれさま。この時からコンクールに出る人と出ない人とで別れてしまうけど、私達はあくまで一つの団体だから、その垣根を越えて音楽を磨いていくべきだと私は思ってる。だから色々思う事はあるだろうけど、分断だけはしないように、みんな仲間だってことを忘れないようにね」  はい、と今日一番大きな声が出た。 「それじゃあ解散。各自練習に戻って」  三年前の私なら嘘でもこんな事を言えただろうかという思いがある。「ないよ」の後に「解散」と言って終わりにしていたんじゃないだろうか。つまりこの三年間で私は大きく変わったんじゃないかなと心のどこかで感じている。それは多分ガードの練習を通したり、山下先輩みたいな先輩や小林さんみたいな人との関わりを通して得られたものであるのだ。  ――断じて、いつの間にか部屋に入って来て壁にもたれながらスマホをいじくりまわしている女とのかかわりを通して得たものではない。  その女は私が見ていると気付くとスマホをポケットにいれ、わざとらしく腕を組み「ふっふっふ」と意味ありげに笑って、私に言うのだ。 「やっと私のところまできたのだな、あんずゥよ」 「……安堂。お前練習しろ」 「ああん、いけずなんだから」  へらへらしながら寄ってくるこの女は、すなわち安堂ちひろは、いかにもな大口を叩いておきながらまだオーディションを終えていないのだ。にも関わらずへらへらした態度をとっているサマが、余裕と捉えられたらしく、後輩たちから一目置かれている。私に歩み寄る安堂に、後輩たちはスッと道を開けて緊張の面持ちで私と安堂を見ている。 「あんずゥが通ってくれて良かったよ。落ちてたら私、どうしようかと思ってた」  どこからその自信が来るのかと言われれば、この部活における確かな実績と、揺るぎない実力だろう。けれど、まだ決まっていないことまで決まったかのように言うのはいただけない。 「そう言う事は受かってから言え」 「まさかとは思うけど、私が落ちるとでも思ってるの?」  まさか、と思わず口に出しそうになる。安堂は受かるだろう。受からなければならない理由があるのだ。けれどそれを言えばまた鬱陶しいので、言わない。 「もちろん。何があるか分からないからな」 「ふふ、あんずゥって慎重だよね」  彼女はそう笑ってから「それじゃ」と手を振って部屋を出て行った。後輩たちはぽかんとしてそれを見送っていく。それからオーディションの日まで安堂が練習しているのを私は見なかったけど、彼女は当然のように受かった。そのオーディションが終わった時、パートリーダーでもない彼女がこう言ったのだという。 「みんな、おつかれ。今日からコンクールに出る人と出ない人とで別れるから皆で休憩できなくなるわけだけど、私達はあくまで一つの団体だから、それを忘れないようにね。だから色々思う事はあるだろうけど、分断だけはしないように、みんな仲間だってことを忘れないようにね――ってあんずゥが言ってたから、そういう事でよろしく」  どこまでもふざけたやつだと思うのは何度目だろう。このことを教えてくれたチューバの後輩は「安堂先輩、めちゃくちゃ相浦先輩の事好きですもんね」とコメントしていたけど、何度でも言うけど、私は安堂が嫌いだ。
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