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駅までの通り道に喫茶店があったため、僕らはそこで早めの昼食をとることにした。
美和ちゃんたちとの待ち合わせには十分間に合うし、二人で地元駅で時間をつぶすのは知り合いに会うリスクがあったからだ。
店内に他のお客さんはいなかった。僕らはパスタとサラダのランチセットを注文したあと、水を飲んで一息ついた。
さっきまで目を赤くしていた春奏さんだけど、今は顔を赤くしている。泣いてしまったことが気恥ずかしいのだろうか。きっと、僕の顔も赤くなっていることだろう。
ここまでの道も、ほとんど会話はなかった。でも僕は心地よかったし、春奏さんも穏やかな表情をしていた。なんとなく、心がつながっている気がした。
店に入ってから、僕は話の切り出し方に悩んでいた。一つ、話しておくべきだと思ったことがあるのだ。
「くーくん」
すると、春奏さんから先に声をかけられた。
「どうしたの?」
「今日はありがとう」
「いいよ、お礼なんて」
照れくさい。それに、少し罪悪感もある。こっちもすがったのだから。
「あ、えっと……ごめんね、手を握っちゃって」
ふと思ったことを言った。思えば、手をつなぐって結構重要なことではないだろうか。
「謝り癖」
春奏さんはすねるような顔で言った。とてもかわいらしかった。
「……うれしかったのに」
今度は目を伏せてそう言った。沸騰してしまいそうな感覚。
「そ、それなら良かったよ……」
動揺しながら僕が言うと、春奏さんは楽しそうにほほ笑んだ。それは、お墓で見たものとは全然違うものだった。
「あの、私、くーくんに訊きたいことあるんだ」
春奏さんは少し気を遣うような表情になる。
「訊きたいこと?」
「くーくんって、泣いてる人苦手?」
ドキッとした。それはちょうど僕が話そうとしていたことだったのだ。
春奏さんと距離を縮めるためには、弱みを隠してはいけない。それなのに、僕は一番の弱みだけを隠したままだった。
「……うん」
「やっぱりそうなんだ」
「ひょっとして、前から気づいてた?」
春奏さんは涙を僕に隠そうとした。それは、見られたくないとかじゃなくて、僕を気遣ってのことだったのではないか。そう思って訊いてみた。
「……あのとき、青ざめてたし、怯えるみたいに走って行っちゃったでしょ。なんでだろうってずっと考えてて……もしそうだったら悪いことしたかなって」
出会ったときの僕の反応で勘付いていたらしい。たしかに僕の反応は異常だったし、気づかれてもおかしくなかった。
思えば、電車で話をしてくれたときも、春奏さんは涙を堪えていたのではないだろうか。
だから言葉に詰まったときに無理に笑顔を作っていたし、霊園では堪え切れなくなったから僕に用事をつけたのだ。
「ずっと気を遣わせちゃってごめんね。せめて、言っておけばよかった」
「ううん。くーくんが私に言えないのは仕方ないよ。だって、最初あんなに泣いちゃったから」
春奏さんは僕のそんな気持ちまでくみ取ってくれる。胸がジンとする。
「それでも、僕だけ弱みを隠してたのは、なんだかずるい気がする」
「そんなことないよ。それに、苦手なのにくーくんは来てくれたんだよね。……それがすごくうれしくて」
そう言って目を伏せる。僕はその表情を、愛おしいと思った。
「一緒にがんばってくれてるんだって。だから私、大丈夫だったんだよ」
僕らは弱い部分を見せあって、それを乗り越えるができた。自分たちの言葉を、力を合わせて肯定することができたのだ。それはとても幸せなことだった。
「こちらこそ、ありがとう」
そう言うと、春奏さんはとびきりの笑顔を見せてくれた。
好きだという気持ちが、僕の胸の中にあふれている。確認という意味でも、それを今ぶつけてみるべきかもしれない。
「春奏さん」
「なに?」
「改めて、なんだけど……僕と付き合ってください」
春奏さんは照れたような笑顔を見せる。僕は返事に怯えていなかった。
目が合う。それはどちらかも逸らされることはなかった。
「私、今まで誰かと付き合う自信とか全然なかったけど……くーくんとなら大丈夫な気がしたんだ。……いっぱい迷惑かけちゃうと思うけど、その……よろしくお願いします」
この瞬間、僕らは恋人同士になった。僕はホッとして、大きく肩を落とした。
「この前、変な返事だったよね、ごめん。ちゃんと言わなきゃって思ってたんだけど、恥ずかしくて。今日までは今までどおりにLEENしたかったってこともあって」
「そうだよね。LEENはこれからも今までどおりでいいんじゃないかな」
「そっか……うん。じゃあ、お願いします」
春奏さんはそう言って照れ笑いを浮かべる。僕も笑顔を返す。うれしくて恥ずかしくて、もう笑うしかない。そんな感覚でもある。
僕はふと、春奏さんの持ち物に違和感を覚えた。
角底のトートバッグ。その中身はお供え物だと思っていたのだけれど、さっきと全く変化がない。気恥ずかしくて逃げるように出てきたから、供えそこねてしまったのではないだろうか。
「春奏さん、それってお供え物じゃないの?」
「え? ああ、これ?」
春奏さんは膝の上にバッグを置く。そしてその中を見ながら、何やら考えているようだった。
「……どうしようかな」
僕に視線をやり、また中を覗く。怪訝な動きだった。
「どうしたの?」
すると、春奏さんは中身を取り出した。そして、それをこちらへ差し出す。
「お誕生日おめでとう」
「え?」
「……誕生日プレゼント。くーくんの」
それは思いもよらぬものだった。
「えっ……あ、ありがとう。でもどうして?」
「今日、くーくんのサプライズ誕生日パーティなの」
「……え?」
「だから、これはまた改めて渡すね」
春奏さんは出したプレゼントをしまった。サプライズ誕生日パーティ……これ、聞いてよかったのだろうか。
「そうだったんだ……」
「言っちゃダメなこと言っちゃった。ふふふっ」
春奏さんはおかしそうに笑う。LEENでの春奏さんっぽい姿だ。元々、楽しいことが好きな笑い上戸だから。
「今日はその予定だったんだ。実はね、この前の牡丹とサギくん、くーくんの誕生日プレゼントを買いに行ってたんだって」
春奏さんは楽しそうに言った。
どうやら、この前の密会はそういうことだったらしい。面倒くさがりな牡丹さんが僕へのプレゼントに悩んでいたところに付けこみ、サギは牡丹さんを誘うことに成功したようだ。
そして、美和ちゃんが僕を中心にして予定を立てたのも、僕の誕生日だからということに他ならなかった。聞いてみれば、至極単純なことだったのだ。
「春奏さん、ひょっとしてこの前自転車のカゴに入ってたのって――」
「うん。ちょっと焦っちゃった」
やっぱり、雑貨店の袋の中身がこれだったのだ。僕へのプレゼントだったから「秘密」だったわけだ。悪いことをしてしまった。
「聞いちゃったの、どうしよう」
「言っちゃった私が悪いけど……くーくんも共犯。ちゃんとバレないように、驚く演技とかしてね」
「が、がんばるけど……笑わないでね」
「無理かも」
「えー……」
不満そうに返すと、春奏さんはまたクスクスと笑った。それを見て、僕も笑ってしまう。
僕は春奏さんに気持ちを受け入れてもらった。それなのに、僕らの会話は今までどおりだった。不思議だけど、とても心地良かった。
きっと恋人という関係になったことは、今の僕らにとって、一緒にいられる資格を得ただけのことなのだ。
誰にも邪魔されずにずっと話していられる。それだけで幸せで、安心できる。
愛おしい時間が続く。午後からはまた楽しい時間も訪れる。その時間を守るためにはもっと強くならなければならない。でも、春奏さんと一緒ならきっと大丈夫だ。
僕らは臆病で弱いけれど、二人で一緒に強くなるんだ。僕は春奏さんの冗談を聞きながら、そう誓ったのだった。
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