第二章 一緒にがんばろうね

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「……ごめんなさい」 「えっ? 九十九くんは悪くないと思うけど」 「いえ、僕が調子に乗ったからこうなっちゃったので……」 「そんなことないけど……」  僕は凹みながら廊下を歩く。さっきの勢いもなくなってしまい、ただただ恐縮していた。 「……あの、やっぱり美和になんか言われた?」 「え?」 「さっき、ちょっと無理してたような気がしたから」  ドキッとする。まあ、当然の反応だけれど。 「いえ、あの……やっぱり変に思いましたよね……」 「変とか、そんなことないよ。また私、気を遣わせたかな、なんて……」  微妙な空気。ふと、我田さんがため息をついた。 「……ごめん、酷いよね、こんなことするの。私と二人にされてもね……」 「いえ、そんなこと……」 「で、でもね。美和って、本当はやさしいんだよ。いつも私のことを気にかけてくれるの。美和と牡丹は、私が弱ってるときも、ずっと支えてくれて……」  我田さんが懸命につむぐ言葉。それは二人を擁護するものだった。 「わ、私はコミュ障でこんなに絡みづらい人だけど、二人は本当にいい子で……これからも仲良くしてあげてほしい」  我田さんは僕が二人を嫌うことを恐れているのだろうか。もちろん、こんなことで嫌うなんてありえない。  でも、僕は我田さんの言葉にうなづくことはできなかった。 「僕は……我田さんたちと初めて会ったとき、三人の仲の良さをうらやましいなって思ったんです。  僕は三人と仲良くなりたくて……だから、我田さんとも、その……しゃべりたいって」  僕が無様に顔を赤くしてこぼした言葉を、我田さんは少し驚いたような顔をして聞いていた。 「気を遣ったとかじゃないんです。美和ちゃんのためでもなくて……ただ、僕が我田さんとしゃべりたかっただけで……。  もちろん、我田さんが嫌なら無理になんて……」 「えっ!? 全然! い、嫌じゃないよっ」  今度はわかりやすいくらいに驚いて、僕の最後の言葉を否定してくれた。それがとっさに出た本音だというのは、僕にでもわかった。 「わ、私……超人見知りで、あがり症で、男の人としゃべるのすごい苦手だけど……、く、九十九くんは、全然嫌じゃない」  心の動揺がはっきりと表れている話しかたで、我田さんは心境を説明してくれた。 「……あんまり男の子っぽくないし」  ……あれ。蛇足的な言葉で、頭をぶん殴られたような気がするのはなぜだろう。それを我田さんに言われるのはかなりショックだった。 「それはなによりです……」 「――あっ! ち、違うの! そういう意味じゃなくて、威圧感がないっていうか……。女の子と一緒に居るみたいだとか、そんなんじゃないよっ!」  言っちゃってるし。まあ、それで我田さんにとって嫌じゃないならよしとしておこう。  なにより、顔を赤くしながら弁明する我田さんがかわいらしくて、僕は笑って許すしかなかった。 「……これからどうします?」 「え? うん……。多分、逃げられたからには、こっちから探そうとしても見つからないと思うんだ……く、九十九くんは何か買い物ない?」 「特には」 「じゃあ……あ、あそこ入らない、かな?」  我田さんはインボックスの向い、すぐ目の前にある店を指さした。そこはハニーレコードというCDショップだった。  もちろん、異論はない。ただ、少し気になることがあるので言ってみることにした。 「はい。その前に、その……名前、呼びやすいように呼んでくれたら」  さっきから、我田さんはクッくんと九十九を行き来しているようだった。こっちとしたらどう呼んでもらっても構わないので、解消しておきたかったのだ。 「え? ……じゃあその……く、くーくんで」 「くーくん?」 「あ、あのね、クッて詰まるの、言いづらくて。でも、私だけ名字で呼ぶの変かなって」 「なるほど、じゃあそれで」  くーくん、か。なんとなくだけれど、世界で一人だけの呼び名を使われることで、距離が縮まった気がした。 「あ、くーくんも」 「はい?」 「敬語。さっき普通だったのに、二人になってから敬語に戻ってるし。あと、私も名前でいいよ。実は私も美和と一緒で、名字が好きじゃなくて……」  我田さんの言うとおりだ。さっきは無理にでも距離を縮めようとして敬語を止めていたけれど、もう素に戻ってしまっていた。 「名字、好きじゃないん――好きじゃないの?」 「うん。我田ってなんか……強そう」 「強そう……あははっ」  僕が笑うと、我田さんも照れるように笑う。言ってることは、よくわかった。 「じゃあ、入ろっか」 「うん。……でも、その前に、一回呼んでみてほしい。私の名前」  なぜかここにきて前のめりにくる。これは、美和ちゃんの真似なのか。 「……は、春奏さん」 「……うん。じゃあ、入ろう」  前と同様に思いっきり照れてしまったのだけれど、春奏さんからはいじられることもなかった。  この場合、いじられるほうが収まりがいいのかもしれない。ただただ言わされて、恥ずかしいだけになってしまった。  ハニレコに入ると、春奏さんは悩むことなく歩いていく。目的のものがあるらしい。  そこはクラシックのコーナーだった。無言でCDを探索していくと、一つを手に取って僕に見せてくれた。 「これ。お母さん」  それは、ヴィヴァルディのオーボエ協奏曲のCDだった。オーボエ担当が春奏さんのお母さんなのだそうだ。  裏面の下のほうにある名前を確認してみる。その名前を僕はどこかで見たことがあった。 「これは旧姓なの。結婚してからもその名前のまま奏者やってたって」 「……あっ! 僕その人の本持ってる!」 「ホント!? すごい!」 「初心者向けのCD付いてるやつ!」 「すごーい!」  そんな繋がりに、二人してテンションが上がる。 「これずっとくーくんに訊いてみたくて。オーボエなら知ってるのかなって」 「そうなんだ」  こんなことならいつでも訊いてくれてよかったのに。そう思いながらも、こういうことを気軽に訊けない気持ちが、僕にもよくわかった。  そうだ、僕も訊いてみたいことがあった。今がチャンスだ。 「春奏さんって、学校の近くに住んでる?」 「え? そうだけど」 「やっぱり。この前、帰ってるところ見たんだ。それなら、東中?」 「うん」 「僕も、東中」  そう言うと、春奏さんは楽しそうな顔をして「へぇー」とこぼした。 「……ああっ! オーボエだ!」  春奏さんが声を上げる。 「オーボエ、どんな人が吹いてるのかなって見てみたら、律に似てる子だなって、思って……」  春奏さんは、途中から声のボリュームがどんどん下がっていった。そして、固まってしまう。  僕は嫌な予感がした。言葉から考えてみる。恐らく、文化祭か何かのイベントのときに僕が吹いているのを見たのだろう。それが律という人と似ていた。  僕と似ている人というと…… 「あ、あの、ごめんなさい!」  思いついた瞬間、僕は謝った。 「ええっ!? こっちこそごめん……で、出よっか」  気まずい空気。結局、ハニレコはさっきのCDの話だけで用が済んだようだった。  出ると、春奏さんに促されるままに、休憩用のソファーに腰かけた。  思わず、ふうとため息をつく。すると、似たようなタイミングで春奏さんも同じようにしたため、目が合った。 「ご、ごめんね。なんでもないから」 「ううん。僕がその……ごめんなさい」  思い出させたから。その言葉もまた、弟さんに触れることになる気がして言えなかった。 「……く、くーくんが謝ること、ない」 「で、でも……」 「くーくんって、謝り癖があるような気がする」  謝り癖。癖かどうかはともかくとして、よく謝っているかもしれない。 「私、そうみたいで、牡丹に叱られたことがあるの。悪くもないのに謝るのは投げやりな感じがするって。だから直そうとしてるんだけど」 「……ごめんなさい、たしかに僕、謝ってばっかり……」 「それも」 「あっ……」  目を合わせて、二人で笑い合う。なるほど、たしかにこれは癖だ。 「私、謝られると申し訳なくなっちゃうの。くーくんも同じ感じなら、お互い謝ってばっかりになっちゃいそうだよね。  だから、とりあえず私相手には止めよう」 「う、うん」  僕がうなづくと、春奏さんはにっこりと笑ってくれる。年上らしい、子どもを安心させるときのようなほほ笑みだった。 「くーくんって、ただしゃべりやすいだけじゃなくて、近い感じがする」 「……近い?」 「うん。なんでこんなこと言うんだろう、っていうのがないっていうか、私のしゃべることもなんでも理解してくれそうっていうか……。  自分そのままでしゃべれる感じ」  たしかに、僕もそんな感じがした。春奏さんとは共感できるところが多いらしい。 「普段、普通にしゃべろうとしても……どんな自分が普通かわからなくなったりとか、する?」  同意がてらそう言うと、春奏さんは強くうなづいた。 「する! 私もそれであわあわしちゃって……だから人見知りっぽくて」 「そうなんだ。同じ、だね」  いつの間にか、春奏さんの緊張はすっかり解けているようだった。それはすごくうれしい。  だから今のうちにいっぱい話したいのに、なぜか今になって僕の頭は働いてくれない。 「……一緒にがんばろうね」  やわらかくほほ笑みながら春奏さんが言った。すると、僕の心臓は大きく音を立てて動き出した。 「謝り癖とか、人見知りとか、そういうの。……直し方とかわかんないけど、同じことで苦労してる人が近くにいてくれると安心する。だから、一緒に」 「は、はい……」  なんだろう。ここにきて、一番緊張している。理屈じゃ説明できない。何かが頭とか心の大きな部分に侵食して、思考の自由が奪われてしまったような――  これは……恋なのだろうか。 「さっきはありがとう」  お礼の言葉。僕はなんとか声を絞り出す。 「い、いえ」 「実は私、美和に酷いこと言っちゃって……すごく不安だったの。  でもくーくんが話しかけてくれたから、もう大丈夫になったと思う。だから今、なんかホッとしてふわふわしてる」  それは、見た目からもそんな感じだった。ふわふわ。緩やかなほほ笑みが途切れない。  そんな春奏さんを見て、僕は初めて空を見た蝉みたいに心を躍らせた。 「それなら……よかった」 「うん。じゃあそろそろみんなと合流しよっか。美和たちの目的は果たしただろうから、もう来てくれると思う」  そう言って、春奏さんはスマホを操作する。少し残念な気持ちになるけれど、僕の心臓のためにもそうしたほうがいいと思った。 ○
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