第四章 春奏のことが好きなの

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 テスト期間に突入した。まだ入学後の実力テストしか経験していない一年生にとって、高校に入ってから初めてのテスト期間だ。  クラスの空気はピリッとしていた。明らかに中学のころとは違う。クラスという輪から外れないように気をつけながらも、同じ大会に出場する選手同士のような空気があった。  敵か味方かわからない人に囲まれている微妙な状況は、小心者の僕には耐えたがたいものがあった。  しかし、こういう空気は最初だけらしい。結局、慣れていないことと、まだ友人関係が安定していないことから、最初は張り詰めているそうだ。  そのことは春奏さんから聞いていた。いざその空気にあてられてみると、聞いていてよかったと心から思えた。  それでも、僕は昼食後の空き時間、教室を出て過ごすことにした。サギが別の友人に連れて行かれてしまい、一人では居心地が悪かったからだ。  ふらふらと歩いてやってきたのは、二年生のフロアである三階だった。目的は奥の図書室だ。  ただの時間つぶしのつもりだけれど、ひょっとすると春奏さんに会えるかも、という淡い期待を抱いて来たのは否定できない。  図書室は、最初のオリエンテーリングで来て以来の二回目だ。ゆっくりと扉を開き、中へと入っていく。  室内は一目で広く感じられる。目の前の貸出カウンターのあるスペースが中央エリアとなっており、学習用の長机が並んでいる。ここには特集コーナーや雑誌コーナーがあり、パソコンなどの設備も充実している。  各項目の本棚の奥には学習スペースがあり、そこにも少しだけ長机が置いてある。見た目以上に奥行きがあるのだ。  中央エリアではテスト前らしく勉強している生徒もいるけど、雑誌を眺めている生徒もいた。まだ一学期の中間テスト一週間前だし、一年生以外は気楽なものなのだろうか。  僕は出入り口に近くて目立つこのスペースを避け、マイナーな項目の学習スペースに居場所を求めることにした。  どこへ行こうかと、壁の地図をジッと眺める。すると、急に肩をポンと叩かれた。ビクッと大きく身をふるわせながら振り向くと、そこにいたのは美和ちゃんと牡丹さんだった。  しかし、美和ちゃんは瞬時に視界から消える。 「こんにちは、クッくん」 「こ、こんにちは」  あいさつをくれたのは牡丹さんだけだった。肩を叩いた張本人は、かがみこんで苦しそうにしている。どうやら、僕の反応がおかしかったらしい。 「うけすぎだって」 「……あぁー」  恥ずかしい……。僕としては本当にびっくりしただけなのだけど、それが美和ちゃんのツボに入ってしまったらしい。  それにしても、違和感がある。なぜ春奏さんはいないのだろう。 「クッくーん、図書室で笑わせないでよー。声殺すの大変なんだから」 「不可抗力だよ……」  僕だって笑われたくてしたわけではない。ビビりも直したいものだ。 「ねえ、ちょっとこっち来て」  美和ちゃんにそでを掴まれる。これって癖なのだろうか。毎回ドキッとしてしまう。  そのまま歴史コーナーへと連れてこられる。そして、美和ちゃんが指さしたほうを見た。  その瞬間、血の気が引いた。 「見るからに困ってるでしょ?」  そこにいたのは、顔を赤くしている春奏さんと……男子生徒だった。そして、僕はその人に見覚えがあった。 「――桝田、先輩……」 「あれ、知ってるの? 一年にも有名?」 「ううん。僕は一緒の中学だったから」  桝田(ますだ)浩司(こうじ)先輩。それはたしかに同じ中学の、野球部の人気者だった。 「ん? ってことはクッくんって春奏とおな中なの?」 「うん……」  僕は呆然としていた。僕の好きな人が、中学のころのスターと並んで緊張している。桝田先輩がここにいるということ自体、わけがわからない。  見て取れるのは、春奏さんが桝田先輩に勉強を教えているのだということ。ぎこちない春奏さんと、懸命に話しかけている桝田先輩。二人の姿は、さながら恋愛映画のワンシーンのようだった。 「あれさ、好きなんだよ」 「え……?」  目の前が真っ暗になった。心臓がずんと沈むようになり、体が硬直する。 「桝田君。春奏のことが好きなの」 「こら、そういうの簡単に言うもんじゃないでしょ」 「あっ――いや、誰が見てもわかるでしょ」  ああ、そっちか。僕は脱力する。でもあんな春奏さんを見てると不安を拭えなかった。 「あんたは茶化しすぎ。応援するのはいいけど、ある程度そっとしてあげなさいよ」 「だって、春奏があんなだからしかたないじゃん。ドラフト候補に惚れられてんだよ?  春奏を追いかけてこの学校に来るくらいの熱意持ってさ。それなのにあんなに消極的って、絶対将来後悔するって」  桝田先輩がここにいることへの違和感の正体がわかった。先輩には色んな高校からスカウトされていたという話があったのだ。こんな学校にいることがおかしい。  でも、その理由は美和ちゃんの口から話されていた。桝田先輩は春奏さんに恋をし、追いかけてこの高校に入学したという。桝田先輩には、それほどまでの想いがあるのだ。 「両想いっぽいのに一向に進展しないんだよ。中三から高二までクラス一緒ってのも運命めいてるし、くっつけてあげたいの。  だから桝田君のテスト前サポート係を春奏にしてみたんだけど……あれじゃあ勉強のほうも進展しない感じかな」 「どうかな……」  他の人から見て美しい姿だということは理解できる。照れ屋な美少女と恋するスポーツマンが絵にならないわけがない。ほとんどの人が応援したくなるだろう。  あそこに割って入るような人間は、ドラマでは絶対に悪役だった。当然、報われるわけもない。その配役が、僕に決まったような感覚があった。  動悸が治まらない。僕にとって、二人の姿は毒のようなものだった。胸が痛む。これは失恋の痛みなのだろうか。  そのあとのことはあまり覚えていない。意気消沈したまま教室で授業を受け、家に帰ってからもボーっとしていた。  なんとか夕食を終えると、いつも春奏さんとLEENをしていた時間になった。  テスト前だから控えるべきだけど、春奏さんは送ってきてほしがっていた。だから、今日のところはまだ続けるつもりだった。  でも、あんなものを見てからではできそうにない。僕はサボることにした。  勉強も手に付かず、その日は寝てしまおうと思った。しかし、簡単に眠れるはずもなく、ずっと図書室の映像と戦っていた。それでも僕は強引に心を無にしようとした。 ○  次の日になると、昨日ほどの不安や苦しみはなかった。付き合っているわけではないし、春奏さんの気持ちがわからないので、少し冷静になった。  それでも、前向きになんてなれない。僕が競う相手は桝田先輩だ。  中学のころからの人気者で、将来性もあって、しかも春奏さんを追って進学校へ入学するという熱意もある。まるで漫画の主人公だ。  それに比べて、僕は彼女にとって、弟に似ている後輩にすぎなかった。はなから恋愛対象じゃないのかもしれない。そんな男が主人公に勝てるわけがない。  もう諦めたほうがいい。そのほうが傷は浅い。今ならまだ耐えられる痛みで済むはずだ。  思わぬ形で恋が終わりを迎えそうなことに、僕は呆然としていた。本当はまだまだ春奏さんとしゃべりたい。  でも、春奏さんと桝田先輩が結ばれる姿を近くで見ているなんて、僕にはできそうにない。  恋に失敗して崩れ落ちる姿が、僕の目に焼き付いている。自分自身がそうなること想像すると、恋が恐ろしいとすら思えてきた。  僕はできる限り春奏さんのことを考えないようにしようとした。きっとまともだと耐えられない。だから、痛みに耐えられるような思考を今から作らなければならないのだ。  でも、そう思ってもすぐには変えられない。昨日の姿を思い出しては、嫉妬で胸が苦しくなってしまう。僕は恋が病気であるということを改めて痛感させられたのだった。 ○  その日から、僕は勉強に没頭した。それが、春奏さんのことを考えなくするのに最も都合がよかったのだ。帰宅後、家事以外は寝る前までずっと勉強をした。  テストが迫ってきたある日の夜、LEENの通知音が鳴った。僕はスマホを確認する。 〈誕生日おめでとう!〉  それは美和ちゃんからだった。気づけば日が変わっていて、僕の誕生日になっていた。 〈 ありがとう〉 〈一六歳もキュートなクッくんのままでね〉  ハッピーバースデイ! というスタンプをくれる。わざわざこのタイミングを待っていてくれたのかと思うと、心が温かくなった。 〈 キュートじゃなくて、もっと男らしくなれるようにがんばるよ!〉  そう返したのと同時くらいに、またLEENの通知があった。見てみると、牡丹さんからの誕生日おめでとうスタンプだった。 〈 ありがとう〉 〈いつまでもやさしいクッくんでいてね〉 〈 がんばります!〉 〈クッくんに直接LEENするの初めてだ〉 〈テスト勉強がんばってる?〉 〈 うん〉  美和ちゃんと牡丹さん。新鮮な気持ちで、二人に忙しなくLEENを返す。  いつの間にかスマホの文字を打つスピードも速くなったものだ。これもみんな、春奏さんとの毎日のLEENの成果なのだろう。  二人とのやり取りが終わったあとも、僕はジッとスマホを眺めていた。きっと春奏さんからも来るだろうと思ったからだ。  でも、一時間くらい待っても、春奏さんからのメッセージは来なかった。  ……自分から遠ざかったのだからしかたない。僕は深いため息とともに眠りについた。 ○
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