第五章 声も勇気も足りていない

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第五章 声も勇気も足りていない

「休憩しよ」  翌日の放課後には部活が再開され、待ちわびていた夏菜とともに練習にはげんでいた。  僕は立ちあがり、窓から空を見あげる。雲が低い。今にも雨が降りそうな灰色の空。まるで僕の心の中のような天気だった。  結局、昨日はLEENをすることができなかった。もしまだ一緒にいたらと想像し、その答えを知るのが怖かったのだ。それに、普通に話す自信もなかった。 「調子悪そうね」 「ごめん」 「また恋愛のことで悩んでるの?」  ふり返ると、夏菜はファゴットの手いれをしていた。 「優希、本当にその先輩に夢中なのね。すぐ音に出ちゃう」  僕の沈黙を、夏菜は肯定と受け取ったらしい。 「……情けないよね」  僕が自虐めいて言うと、夏菜は顔を上げて、眉間にしわを寄せた。 「どうしてよ?」 「すぐに動揺が表にでちゃうのは、心が弱いってことだと思うから」  昨日のことも図書室でのことも、僕は気にしすぎだった。頭の切り替えができず、そのことばかり考えてしまう。そうすると、さらに悪い方向へと悩みが派生し、思考の悪循環が生じるのだ。  夏菜は僕の目を見て、小さくほほ笑んだ。それは大人の笑みだった。 「いいじゃん。そんなに考えちゃうほど先輩のことが好きなんでしょ?」  茶化しているのではなく、まじめに言っているように見えた。だから僕は正直に答える。 「うん、好き。こんなに人を好きになったの、初めてなんだ」  好きだから、ずっと考えてしまう。なんでも気にしてしまう。それが辛く、苦しい。  すると、夏菜は顔を背けてしまった。 「はずー……私に告ってもしかたないっつの」 「な、夏菜が言わせたんだよ!」  僕が苦情を言うと、夏菜は楽しそうに笑った。まったく、結局茶化すのか。 「で、何があったの?」  夏菜はひとしきり笑ってからそう言った。和ませようとしてくれたのだろうか。 「えっと――」  僕は昨日までのことを夏菜に話した。テスト前から話せていないこと。桝田先輩のこと。 「まあ落ち込む気持ちもわかるわね。桝田先輩っていったら、一年からエースで四番、うちでは有名人だからね。高校野球界では無名の進学校にプロのスカウトが来た、って新聞にものったことがあるらしいわよ」 「そうなんだ」  僕らは楽器を置いて、すっかり話し込んでいた。 「うちみたいな学校はああいう人が珍しいから、余計に目立っちゃってる。  ちなみに、吹部の先輩にもファンが多いわよ。なにせ、私ら吹部は試合の応援に行くわけだからね。これから同級生にもファンが増えるわ」  なるほど、二年生となり、これからさらに人気が出るわけだ。なんだか同じ高校生とは思えない存在だった。 「……すごすぎて、僕なんかじゃ比較できそうにないね」 「しかもイケメンだしね。こっちは童顔。まあこれはこれで好きな人もいるだろうけど」 「はぁ……」  無意識にため息がこぼれる。コンプレックスというものは、やっぱり肝心な場面で自分を苦しめるのだろうか。 「ちょっと、冗談でしょ。ガチで落ち込まないでよ」  僕の反応に、夏菜は少し焦ったように言った。 「それに私はさ、優希に脈ありだと思ってるのよ。毎日LEENするとか、好きでもない相手なら嫌だと思うし。その先輩が大人しい人ならなおさらね」  僕はそのことで自信を持つことができない。僕らが仲良くなったのは、共感する部分が多いからだった。  だから、特別視してくれているとしても、恋愛感情とは別もののようにしか思えなかった。  脈なんてない。あるのは仲間意識と親近感で、あくまでも、臆病な背中を押しあうのが僕らの関係なのだ。  そして、そこにはもう一つ大きな要素があり、それがネックだった。 「……弟みたいに思われてるから」 「弟?」 「うん。だから、僕のことを警戒しないんだろうなって」  ずっと思っていたことだ。でも話せるのならそれでいいと思っていた。それなのに、図書室の二人の姿を見てから、僕は不安になった。 「元々ね、弟くんに似てるって言われてて、それで知り合ったんだ。多分、僕を恋愛対象にだなんて考えられないんじゃないかな」  考えられないから、普通にしゃべることができる。僕はそれを役得のように思っていたけれど、これからのことを考えれば辛かった。 「春奏さんが桝田先輩と一緒にいるところを見てると、そう思い知らされた。結局、僕のことを男として見られないから、親しく話してくれるんじゃないかって。  それに、僕の気持ちを春奏さんが知ったら、裏切られたような気持ちになるかもしれない」  気を許していたのに、実は自分のことを狙っていたなんて。そんな気持ちを想像すると気が重くなる。 「じゃあ諦めんの?」  夏菜は少し怒ったように言った。僕は首を横に振った。 「諦められないよ。だからこんなに苦しいんだ」  そう言うと、夏菜は怒気を弱めてくれた。 「こんなに誰かを好きになったの初めてだから、どうしようもないくらい苦しいよ。  そうして自分の弱さを自覚したら、なおさら春奏さんにふさわしくないと思ってきて、自信がなくなってくる。……ずっとそれの繰り返しで」  涙で精神が不安定になる自分。人見知りで臆病な自分。恋をすると、自分の弱さが浮き彫りにされる。  恋はちょっとしたことで僕の心を舞い上がらせ、また、おとしいれる。僕はその消耗の激しさに耐えきれる自信がなくて、すっかり弱気になってしまっていた。 「……私さ、あんまりアドバイスとか上手なほうじゃないと思う」  ふと夏菜を見ると、少し落ち込んでいるような顔をしていた。僕がさせてしまったのだ。 「ごめん、なんか弱気なことばっかり言って」 「――でもさ、人を見る目には自信があるのよ。あと、耳にも」  人を見る目、だけじゃなく耳も。不思議だけど、夏菜が言うと説得力のある言葉だった。  夏菜は体ごと僕のほうへ向く。僕も倣ってそうすると、夏菜はガシッと強めに僕の顔を両手で挟んだ。冷たいのに温かい手。  夏菜はジッと僕の目を見る。吸い込まれそうな感覚だった。 「……優希って見た目を裏切らないのよ。かわいい顔してかわいい性格してる。まっすぐで善人で、嘘なんてつかないんだろうなって思わせる。  それでいて、調子良いときはすっごく色っぽい音を出す。だから私は好きなのよ」  好き、という言葉に、僕は動揺を隠せなかった。でも夏菜の顔は冗談を言っているようには見えず、だからといって照れるというわけでもない。ただ真剣だった。  夏菜はそのまま前に乗り出してくる。キスされるかのような距離の縮まり方だけど、僕にはなんの抵抗もできない。  しかし、予想と反して、それは鼻のてっぺんが当たりそうな距離で止まった。 「私も彼女と一緒であんたを警戒してないと思うけど、このくらい近づいたらドキッとするわよ。男としてなんて、これからでも見てもらえる」 「そうなの……かな……」  こんなに近くで目が合っているのに、僕は目が離せなかった。  まっすぐという言葉は、きっと夏菜のほうがふさわしい。夏菜の言葉には嘘偽りがないと思うから。  夏菜は手の力を強める。唇がギュッと絞られて、口が動かなくなった。 「……私がこうして恥を晒してまで褒めてるの。自信を持たなきゃって思うでしょ? 優希ってそういう子だから」  そういう子って、同い年なのに。でもそのとおりなのだろう。夏菜は見抜いている。  僕は顔を縦に振る。それしか可動域がなかったからだ。  すると、夏菜が手を離し、解放してくれた。スッと気が抜ける。夏菜だけの世界から戻ってくると、そこはただの学校の廊下だった。  ふと、夏菜の奥に何かが見えた。ずっと夏菜に集中していたため、他の人がいるかもしれないという思考が抜け落ちていたようだ。  チラッと見える後ろ姿には見覚えがあった。まさかと思った。 「なに? 誰かいたの?」 「え? ……ううん、大丈夫」  部活中の校舎にいるわけがない。きっと違う。でも心臓はバクバクと音を立てていた。 「自信、持てたでしょ」  僕はなんとか平静をよそおって、夏菜との会話に戻る。 「力技すぎるよ」  でも嬉しかった。夏菜は僕のことをそんな風に見てくれてるんだ。  僕は人の期待を裏切るのが最も怖い。夏菜は僕のそんなところをわかっているから言ってくれたのだ。 「ありがとう」  僕は素直にお礼を言った。でも、夏菜は無視するみたいに言葉で覆う。 「優希、もう彼女に告白しちゃったらどう?」 「……え?」  急転直下。さっきから考えていたのか、思いつきかはわからないけど、夏菜はいきなりそんなことを言い出した。 「ライバルに先を越されちゃうわよ」  確かにそれは怖かった。桝田先輩みたいな人の後に自分が告白して勝てるわけなんてない。 「そうだけど、でもまだ……」 「毎日LEENしても男として意識されてないなんて、絶対におかしい。  もし本当にそうだとしたら彼女はかなり鈍感だから、ちゃんと言ったほうがいいわよ」  夏菜は少しいら立ちを見せながら言う。 「いや、それはその……僕がこんなだから……」 「あんたがいくら女々しくたって、好きだからLEENしてるわけでしょ。普通は気づくわよ」  そうなのだろうか。夏菜にけおされた僕は「そうかな」と中途半端に同意した。 「優希の気持ちを知ったら、もう弟扱いなんてされないと思う」 「でも、告白しちゃったらもう話せなくなっちゃうんじゃ……?」  夏菜はキッとした目を向けてから表情を緩め、呆れるように言う。 「それって優希だけの問題よ」 「僕だけの……」 「告られたからって嫌わないでしょ。付き合うかどうかはともかくとして、好意を持ってる人に好きって言われたら嫌な気なんてしない。むしろうれしいわよ」  思わず顔が熱くなる。それって夏菜の思い込みなのではないだろうか。 「好意とか……ないよ」  僕はその部分だけ反抗することにした。夏菜の見解が知りたかったのだ。 「恋には満たなくても好意はあるのよ。恋愛感情はないとしても、彼女はあんたのことを好きだと思う。弟みたいに見られてるって、結局そういうことよ」  夏菜が言うならそうなのかもしれない。そう思わされるほど、はっきりと断言してくれた。 「そ、そうなのかな……」 「だからこそ、僕は異性としてあなたが好きです、って訴えなきゃなんないの。そうしなきゃ弟扱いのまま。  逆に、言ったらちゃんと意識してくれるわよ。返事が来ようが来まいが、その状態でまた仲良くなる。そこからが本当の勝負ってこと」  まずは男として見てもらうために告白する。しっかりと異性として見てもらえる状態になってから、今度こそ付き合うためのアピールをする。今の僕の場合、たしかにこのほうが正しい手順なのかもしれない。 「とりあえず、また話せるようにならなきゃ。優希はちゃんと魅力的。彼女にも好かれてる。  弱気になって諦めるなんて、私は許さないから。これからはちゃんと向き合いなさい」 「……うん」  夏菜の言葉には嘘がない。……しっかり自信を持たないといけない。それが夏菜の期待に応えるということだから。 「あの、ありがとう。アドバイスくれて」  あと、好きって言ってくれて。それは、口には出さなかった。  すると、夏菜は呆れるように口の両端をまげた。 「お礼はいいから、今からはまた色っぽい音をお願いするわ」 「……善処します」  そうして、ようやく部活は再開される。僕は夏菜のためにいい音を出そうと、オーボエのリードをくわえた。 ○
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